新宿発ドラァグクイーンの「八方不美人」さんに聞く“LQBTQ+”連載。前回はLGBTQ+の立場から“働きやすい職場のあり方”を伺いました。そのなかで「カミングアウト」の話題が出てきたので、今回はカミングアウトについて取り上げますが、この記事は、決してカミングアウトを推奨するものではありません。「カミングアウトはしてもいいし、しなくてもいい。もしするなら自分のタイミングで」という八方不美人さんの考えを大切にしながら、カミングアウトする側の視点、そしてカミングアウトを受けた場合の視点、それぞれのお話を伺いました。
相手の打ち明け方に合わせて、話を聞いてほしい
──前回、職場でのカミングアウトの話が出ました。職場環境を整える上で、職場の人にカミングアウトされたとき、どのような対応をしたら良いかなどを伺いたいと思います。職場だけでなく、友人や家族からカミングアウトされることだってありますよね。特別なことだと意識せずに、常識的な対応をすればいいのかもしれませんが、無知や誤解ゆえに傷ついたり傷つけたりしまうことが起きないよう、改めて言語化していただきたいです。
左から、ちあきホイみさん、エスムラルダさん、ドリアン・ブロロジーダさん
エスムラルダ:まず、カミングアウトされたときは、相手の話を聞いてあげてほしいです。カミングアウトされた側が、最初に善悪を判断するのではなく、1度相手が話したいことを静かに聞いてあげることが大切だと思います。
ホイみ:そもそも「どういう反応をしたら相手を傷つけないか」という前提に立っている時点で、すでに100点満点中95点くらいよね。誰かの態度で傷つけられてしまう経験の多くは、“何も考えないリアクション”をする方がいるから。打ち明けられたときのリアクションに悩んでいる時点で合格よ。その上で“傾聴(編集部注:相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価をせずにありのままを聴くこと)”するといいと思う。
ドリアン:その傾聴の姿勢も、カミングアウトする動機によると思うんです。相手がどういう気持ちで、どういうテンションでそれを伝えているのかを感じ取ることが重要。私はずっと昔から、カミングアウトは(するのであれば)割と気楽にサラっとするのがいいと思っていまして。何でもないことのように伝えれば、相手も割と何でもないことのように受け取ってくれることが多かったですね。個人的な体験としては。
ホイみ・エスムラルダ:あ~。(うなずく)
ドリアン:自分の場合は、これまで「重大な秘密を君だけに打ち明けます」というスタンスでカミングアウトしたことがないんですよ。「あのさ、俺ゲイなんだけど。それで、昨日観たテレビでやってた話で……」みたいな感じで、普通に話すようにしてる。最初は驚くかもしれないけど、今まで周りの人たちは「あ、そうなんだ」という感じで受け取ってくれることが多かったですね。それは、友人や家族に恵まれた(自分のテンションに合わせてくれた)というのもあるかもしれないですけれど。
だから、自分の場合とは逆に「すごく重要なことをあなたにだけ伝える」という態度でカミングアウトしてくれた人には、それ相応のリスペクトを持って、テンションを合わせて対応することが配慮になると思います。
カミングアウトはしてもいい、しなくてもいい。自分の選択が、自分の正解
エスムラルダ:この間、LGBTQ+のユース層の人たちと本(『トビタテ! LGBTQ+6人のハイスクール・ストーリー』)を作ったんですよ。その時に聞いたのが、友達にカミングアウトしたら「それってごはんが好きかパンが好きかみたいなもんでしょ」って言われたという話。相手には悪意がなくて、サラっと受け止めてくれたんだと思うんだけど、カミングアウトした本人にとっては「がんばってカミングアウトしたのに流された……」と感じたようなのね。
ホイみ:どういうリアクションをするか、それをどう捉えるかは、難しいよね。
エスムラルダ:サラっと言われたらサラっと話を聞けばいいし、深刻な感じで伝えられたら、同じように重く受け止めて聞くのが間違いないのかな、と思う。
ホイみ:確かにカミングアウトした人にとっては「ごはんかパンかのレベルじゃねーよ!!!」ってなるよね。
ドリアン:うん。“生きるか死ぬか”の話よ。
エスムラルダ:でも受け止める側は、きっと厚意からきている態度だったのよね。
ドリアン:「そんなこと(カミングアウトしたこと)なんて関係なく、あなたが好きなんだよ」ってことだものね。
ホイみ:考え方の重心が互いにずれていると衝突するよね。カミングアウトされた方が、した方の考えに重心を寄せていくのが、大人のコミュニケーションかなって思う。
エスムラルダ:カミングアウトされた方は、肯定的に受け止められたらもうそれだけで合格点よね。そこでアウティング(※)とか否定的なことがあったら問題だけど……。
(※)カミングアウトされた内容を、本人の了解を得ずに、他人に暴露すること。
ドリアン:カミングアウトする側が、期待しすぎみたいな場合もあるからね。あと、もっと全体的な事を言うと、この記事が“カミングアウトを推奨する記事”になってほしくないの。カミングアウトは必ずしも“善”ではない。カミングアウトしない正解もある。なんでもかんでもカミングアウトしろという圧力は違うと思う。その人の考えで「カミングアウトしない」って決めたら、それが正解。
カミングアウトしてもいいし、しなくてもいい。その上で「カミングアウトする場合、どうするか?」を、考えてみるくらいのイメージ。SNSで流れてくるカミングアウトに関する投稿をみると「カミングアウトしたら家族が受け入れてくれてハッピー!」みたいなものが多いから、カミングアウトすることが良いという空気が広まってしまうのが気になる。
ホイみ:SNSでゲイの子が親にカミングアウトした投稿がときどきバズったりするけど、中には「すごく否定された」という経験をする子もいる。時代が進んでも、やはり壁は存在しているよね。
エスムラルダ:カミングアウトする相手は選んでいるんだろうけどね。
ホイみ:ただ、私たちがもっと若い頃はTwitterでツイートなんてできなかったけど、今は「カミングアウトしたけど親に否定された!」みたいにツイートしてバズらせることができるから、それが当事者にとって苦しみを癒やすひとつの方法になっているのかも。
エスムラルダ:なるほどね。
ホイみ:「親のことは忘れて生きていこう」みたいな、前向きなリプライも来るしね。カミングアウトで傷ついた人たちの中には、自分だけで背負い込んでしまうタイプの人もいるけれど、傷ついたことをSNSで発信することで「親には否定されたけど理解してくれる人はいる」みたいに、孤独を感じずに癒やされる部分はあるのかも。
アウティングは絶対にダメ。抱えきれなかったら相談機関を利用して
──今ほどLGBTQ+が世間に浸透していなかった世代の方々は、カミングアウトされたときに戸惑う方が多いでしょうか?
ドリアン:人によりますよ。私の場合は予想に反して父親がスッと受け入れてくれた。一方で、中には若いお母さんでも、戸惑ってしまう人もいる。ただ、世代で考えると「親個人が自分を否定した」のではなく「世代が違うから理解されなかった」と考えられて、少しラクになる部分はあると思う。
ホイみ:“親個人が自分を否定した”って考えると、ショックだからね。
ドリアン:やはりカミングアウトの話で気をつけてほしいのは「アウティング」。これは“本人の了解を得ずに他の人に、その人の性自認や性的指向を話すこと”ですが、絶対にやってはダメ。
エスムラルダ:でも、カミングアウトされてびっくりしたり戸惑ったりして抱えきれなくなることもあるかもしれない。もしそうなった場合は、オンラインのカウンセリングを利用したりしてほしい。共通の知り合いに言ってしまったら、例え名前を出さなくても「誰かがその人にカミングアウトした」という事実は広まるし、カミングアウトした本人は「信頼して打ち明けたのに」って傷ついてしまうから。
カミングアウトと“愛の告白”は同時にしちゃダメ
──カミングアウトする側のお話をもう少し伺いたいです。前提として「カミングアウトはしてもしなくてもいいし、するなら自分のタイミングで言えばいい」ということを八方不美人さんはおっしゃっていますよね。
エスムラルダ:そうね。あと大切なことは、カミングアウトと“愛の告白”を同時にするのはダメ。
ドリアン・ホイみ:あ~そうねえ。(激しくうなずく)
ドリアン:それでうまくいったって話は聞いたことないものね。
エスムラルダ:カミングアウトだけなら「あなたの性自認や性的指向がどうであろうとかまわない」と言ってくれる相手でも、「あなたが好きだから付き合ってほしい」と言われると、(付き合う気がない場合は)「付き合うことはできない」と答えざるをえない。そうなると、打ち明けたほうは、性自認や性的指向まで否定されたような気持ちになってしまう。だから「カミングアウトするときはカミングアウトだけにしましょう」と言いたい。
ホイみ:それはカミングアウトする相手に対する気遣いよね。せめて一週間は空けてほしい。
エスムラルダ:セクシャリティのことをカミングアウトされた場合、まずそのことを受け入れるのに時間がかかるし、さらに同時に自分のことが好きと伝えられたら、そのことを整理するのにも時間がかかるでしょ。それを同時に伝えてしまうのは、ちょっと過剰かな。
ドリアン:カミングアウトする側の伝え方にもよるとは思うけれど、カミングアウトって“相手に荷物を渡すこと”だと思うの。その重い荷物を一方的に投げつけるのか、ある程度敬意を持って渡すのかによって、相手の受け取り方は変わってくると思う。それはお互いの歩み寄り。
エスムラルダ:そして思いやり。
ドリアン:これってセクシャルマイノリティのカミングアウトに限らない話だと思うんですよ。例えば病気のことや家族のことなども同じ。
エスムラルダ:「重篤な病気になったんだ」と「あなたが好きだから付き合ってください」を同時に言われたら、やっぱり戸惑うものね。
ドリアン:家庭の事情や病気などを打ち明けるのとLGBTQ+のカミングアウト、何が違うんだろう?
ホイみ:違わないよね。
エスムラルダ:ただ、家庭の事情や病気になったことなどを打ち明ける場合に比べて、セクシャリティを打ち明けたときには、相手から否定されたり 責められたり する可能性がある。そこはやはり違うよね。
ホイみ:人間性の否定のようにね。
ドリアン:病気になったから親子の縁を切るという人はそれほど多くないと思うけれど、セクシャリティの告白をして親子の縁を切られる人の話は耳にするからね。
ホイみ:病気にも差別の歴史があるよね。そう考えると、いろいろな差別の歴史の中で、LGBTQ+の場合は今動きがあるトピックだから、急速にいろいろな事例が可視化されてきていると言えるかな。。
ドリアン:うん。もしかすると「カミングアウトすることが当たり前になる時代」にするために、カミングアウトしている人も中にはいるのかも。「当事者はこれだけたくさんいるんだよ。珍しいことじゃないんだよ」と世の中に伝えるために。今、「カミングアウトすることが当たり前になる時代」へ向かう、過渡期なんだと思う。
──カミングアウトの話題から、親子間での戸惑いの話になりました。次回は家庭での教育、性教育、マインドの変化、次世代に対するアプローチなどについてお話を伺います。(文中敬称略)
Writing:伊森ちずる、Photo:下城英悟