華やかな衣装とパフォーマンスで人々を魅了する「ドラァグクイーン」。その言葉はまだ一般には馴染みが薄いかもしれませんが、『RENT』『プリシラ』『キンキーブーツ』『ジェイミー』など、ドラァグクイーンを主題にしたミュージカル作品の影響もあり、認知度が高まっています。
そこで新宿2丁目発ドラァグクイーンユニット「八方不美人」のみなさんに、日本でのドラァグクイーンの歴史についてたずねると、「日本で広まりはじめたのは1990年代半ばあたり」(エスムラルダさん)とのこと。そこで連載2回目となる今回は、3人の中で一番クイーン歴が長いエスムラルダさんを中心に、その歴史を紐解いてもらいます。
左より、ちあきホイみさん、エスムラルダさん、ドリアン・ロロブリジーダさん。新宿二丁目発ドラァグクイーンユニット「八方不美人」の3人
――そもそも日本において、いつごろから「ドラァグクイーン」という言葉が浸透しはじめたのでしょうか?
エスムラルダ: 最初期のことは、私も直接知っているわけではないのですが(笑)、日本で「ドラァグクイーン」が誕生したのは、おそらく1980年代の終わりあたり。その中心を担っていたのは、ミス・グロリアスこと古橋悌二さんら、京都のアーティスト集団『ダムタイプ』のメンバーたちで、古橋さんはニューヨークに住んでいたときにドラァグクイーンというものを知り、日本に”輸入”した……と聞いています。また、その少し前から、やはり京都で、「西の女帝」とも呼ばれるシモーヌ深雪(ふかゆき)さんが、メイクをして華やかな衣装をまとってシャンソンを歌っていらっしゃったそうです。
エスムラルダさんの初期のころの女装写真。楽曲『スーパーモデル』に合わせてショーも行っていたそう
ドリアン: ドラァグクイーンって最初は割と“前衛アングラアーティスト集団”というイメージで、アート寄りでしたよね。
エスムラルダ: そんな感じだったよね。一方、東京では80年代半ばから日出郎さんがメディアに出ていたけど、クラブ文化の中にドラァグクイーン的な存在が登場したのは90年代初頭あたり。芝浦にあった「GOLD」という伝説的なクラブで、定期的にゲイナイトが開催されるようになり、そこで年に1回、「ミス・ユニバース」という女装コンテストが開かれて、新宿二丁目のゲイバーのママたちが衣装を競い合っていたの。
ドリアン: まさにクラブ黄金期! やっぱり「GOLD」が東京のドラァグクイーン史の重要なポイントになるのかしら?
エスムラルダ: たぶんそういうことになるんじゃないかな。その時点ではまだ、「ドラァグクイーン」という言葉はほとんど誰も知らなかったと思うけど。
ドリアン: なるほどね~
ホイみ: ドラァグクイーンのメイクって、基本的にはゴージャスなアイメイクやつけまつげなどでステージ映えするように作っていくけど、当時のコンテストのメイクはどうだったの?
エスムラルダ: どちらかというと、ナチュラル寄りのメイクだった気がする。でも、衣装は派手だったり、素材やデザインに工夫がなされていたりして、かなりドラァグクイーン的だった。
ドリアン: 有名な方もいっぱい出ていらっしゃったから、今考えると贅沢なイベントよね。
エスムラルダ: そうそう。当時の人気ゲイバーの名だたるママたちが出ていたし、その後、超ビッグネームになったデザイナーさんが衣装を作っていたし、アタシが見たときは、アン・ルイスさんが審査員をしていたし。まだバブルの余波が残っていて、とにかくキラキラしていたわ……(遠い目)。あと、マーガレットさんやhossyさん、オナン・スペルマーメイドさんとかも、その前後くらいから女装をしてクラブに遊びに行ったり、表現活動をしたりしていたはず。
●NETFLIX『ル・ポールのドラァグ・レース』で人気を博すル・ポールの影響を受ける
2006年に開催された「若手女装グランプリ」の際のドリアンさんの写真
エスムラルダ: アタシ自身がドラァグクイーンという言葉を初めて知ったのは、1994年。同い年でよく遊んでいたブルボンヌさんに、アメリカのドラァグクイーンの重鎮、ル・ポールを教えてもらったの。
ホイみ: ル・ポールは、NETFLIXで『ル・ポールのドラァグレース』という人気番組をしているから知っている人も多いかも。
エスムラルダ: 今でも第一線で活躍している人だけど、当時、ル・ポールの『スーパーモデル』という曲が、クラブシーンを中心に大ヒット。MVもかっこよくて、それを見てブルボンヌさんたちと「こういうのやってみよう!」という話になったの。翌年(95年)にはドラァグクイーンの映画『プリシラ』が公開されて、クラブで遊ぶゲイの間で、少しずつドラァグクイーンという言葉や存在が浸透していった。あと、その頃ちょうど二丁目にクラブができて、頻繁にゲイイベントが行われるようになり、ドラァグクイーンがショーをやる機会も増えてきたの。
ドリアン: 二丁目に常設のクラブができたのは大きいよね。その頃から二丁目“ご当地クイーン”が出てきたのね。
ホイみ: 活躍の場が一気に広がったわけね。
2013年、まだ「ちあきホイみ」という女装名がつく前の時代の写真
エスムラルダ: そうそう。ゲイ雑誌にドラァグクイーンの記事がちょくちょく掲載されたのも大きかったかな。なにせ、マーガレット、ブルボンヌ、マツコ・デラックスといった面々が編集部にいたから(笑)。そのあたり(90年代後半)から、京都や大阪、東京だけでなく、札幌、名古屋とかでもしばしばゲイナイトが行われるようになり、ご当地クイーンが増えていった。美しさを追求する人、アーティスティックなショーをする人、お笑い色の強いショーをする人、いろいろなタイプのクイーンが出てきて百花繚乱よ。
ドリアン: そこから、トップアーティストのバックダンサーになる人や、テレビのコメンテーターになる人や冠番組を持つ人なども現れた。思えば本当に活躍の場が広がっているわよね。
●ドラァグクイーンの定義と、「オネエ」の使われ方とは?
取材時、さっそうと新宿二丁目を歩く八方不美人さんたち
――テレビのコメンテーターや冠番組を持つ人などは、メイクや服装がナチュラルよりですが、それでも「ドラァグクイーン」?
ドリアン: 最初は派手な装いだったんだけど、テレビの視聴者の反応などをみながら表現を変えていったといえるんじゃないかしら。
エスムラルダ: マツコ(・デラックスさん)は、割と早い時期から「ドラァグクイーンという概念は、自分にはしっくりこない」と言っていた。あまり、そういったカテゴリーに縛られたくないのかも。
ホイみ: ミッツ・マングローブさんも、あまり自分のことをドラァグクイーンとはおっしゃられないわよね。女装家と言っているもの。
エスムラルダ: テレビの視聴者の方に「ドラァグクイーン」と言っても伝わりにくいということもあって、「女装家」という肩書きを使うことにしたみたい。
ドリアン: 2000年に入ると、テレビ業界では「オネエブーム」というのがあったのよね。IKKOさんとかはるな愛さんとか。アタシはその「オネエブーム」の文脈と「ドラァグクイーン」の文脈を組み合わせたのが「女装家」なんだって解釈してる。
エスムラルダ: 「オネエ」という言葉は、メディアでは、ゲイもドラァグクイーンもニューハーフさんもトランスジェンダーもひとまとめにした、包括的な言葉として使われるようになったよね。ゲイの間では、もともとはまったく違う意味で使っていたけど。
ホイみ: 90年代は「あの人、オネエだから」みたいなことを言っていたよね。
ドリアン: もともと「オネエ」は形容詞よね。女性的な振る舞いのことを指したゲイの間のスラングだったんだけど、「オカマ」という言葉を使わない時代の流れになってきたから、そこで便利な言葉として「オネエ」という言葉が広まっていった感じじゃないかしら。
ホイみ: そこにも歴史があるのね。
エスムラルダ: メディアでの「オネエ」という言葉の使われ方には、違和感を覚えている当事者も多いけどね。
――なるほど!呼び方の歴史もあるわけですね。そこから先は次回、詳しく伺いたいと思います。
text/伊森ちづる photo/HIRUMA Yasuhiro