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昔のような厳しい指導が難しくなった時代に

夏合宿であえて厳しい指導者にチームごと預けた理由とは?

author: 村瀬秀信date: 2022/05/24

―3回のウラー おとなたちの物語
 
「一緒に合宿をやらないかとブラックキャップスさんからお話があった時。よろこんで承諾しました。いや、楽しみでしたよ。2つの意味で楽しみがあって、ひとつは都会の子は多分うちの練習にはついてこられないということ。もうひとつは、そんな子たちが、どう乗り越えて、チームになっていくのか……そんな楽しみがありましたね」

やると決めたら必ずやりぬく
親にも子にも徹底的に厳しく

新潟ボーイズ/上越ボーイズの代表兼監督を務める田中健太郎氏は、そう言って野球少年そのまんまの瞳を輝かす。

長野の名門松商学園のエースで4番として1997年の甲子園に出場した田中氏は、そのまま秋のドラフトで巨人から5位指名を受けて入団するも、入団後は右肩の故障に悩まされ捕手・内野手に転向。周囲が驚くほどの練習量でよみうりランドの泥と汗にまみれたが、当時の巨人ミレニアム打線の壁は高く、1軍出場がないまま5年でプロ生活を終えた。

現役引退後も野球への熱は冷めきらず、アスリート向け健康器具メーカー勤務を経て、2013年に新潟で独立。野球教室などを手掛けつつ、2015年に新潟県初となるボーイズリーグのチーム「新潟ボーイズ」を、2019年には「上越ボーイズ」を起ち上げ、信越地区で精力的に活動。ブラックキャップスの竹下代表とは旧知の仲でもあった。

新潟ボーイズ/上越ボーイズの代表兼監督を務める田中健太郎氏

「ブラックキャップスのことは設立前からお話を伺っていました。チームが起ち上がったとはいえ、1年生だけのチームですからね。阪口監督も含めて、根本の部分で学ばなきゃいけないところが多いと聞きました。うちが教えてあげるというエラそうなものじゃないんですけど、世の中にはこういうアホみたいなチームがあるよということを見てもらえればいいかなと思って。アホですからね、ウチは(笑)」

アホ。その定義を田中氏は「やると決めたことは必ずやりぬくこと」だと言う。

「僕自身、天才でもなければ才能もない。子供の頃から上手くなるには努力をするしかないとわかっていた野球人生でした。だから本気で努力すれば『できる』ってことも経験してきたので、選手たちにも平気で『努力しろよ』って言っちゃうのかもしれない。ただ、僕はエラそうにふんぞり返って指導はしません。その代わり、どこでもノックするし、走る時は一緒に走る。道具も並べて、グラウンドも整備して。やると決めたことは一緒に最後までやらせる……僕はそういう面倒くさい指導者なんですよね(笑)」

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2015年の設立以来、新潟7年。上越で3年。ゼロからチームを起こし強豪と呼ばれるまでのチームに育ててきた。田中氏の指導のポリシーは至ってシンプルだ。先頭に立って一緒にやること。ノックも自分で打つし、走る時も走る。徹底的に選手と向き合い、自分で“やる”と決めたことは何があろうとも妥協せずにやり通させる。

時代の変遷とともに、昔のような厳しい指導がどんどんできなくなってきている野球界にも臆することなく、田中氏は親にも、選手たちにも、厳しい言葉を飛ばしながら、成果を収めている。

「子供たちに厳しいことを言わない。怒らなくていい、勝たなくていい。「いいよいいよ」、「惜しかったね」と言うだけの指導は楽ですよ。僕は怒ります。厳しいことも言います。暴力は論外ですが、厳しい言葉も受け手によっては暴力と紙一重。今の時代は言い方がすごく難しくなってきていて、かなり気を遣ってやっていますが、今の僕の教え方も、ギリギリのところだと思います。だから、多分。うちの選手は僕のことを恐いでしょうね。だけど、嫌いではないと思う。親にも、子供にも、厳しいことを言いますし、めちゃめちゃに怒られるけど、なんで怒られたのか。理由をちゃんと理解しているからですよ。選手は指導してほしがっているんです。理不尽な怒りじゃなく、自分のしたことがなんでダメだったのか理解してくれるようになれば、怒ることにも意味が出てくるんだと思います」

しかし、である。スポーツ界における最先端のトレーニングメソッドを武器とし、効率やデータなどを重んじてきた茅ヶ崎ブラックキャップスが、そのチーム力を飛躍させるための合宿に、なぜ“厳しめ”の田中氏のチームを選んだのか。代表の竹下氏はその理由をこう説明する。

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「チーム発足時、僕らのチームには先輩がいない分、参考になるような身近な存在がいないのが問題でした。昔の野球にもいいところは必ずあって、特に挨拶や返事、声の出し方など社会生活の基本になる部分は普遍的に変わらないもの。これを学ぶなら田中健太郎君のチームならば間違いないだろうとお願いしました。最も大きな理由は、彼の野球に対するまっすぐさ。そして厳しさですね。指導にしても、むちゃくちゃ厳しいんだけど、昔のスパルタとは一線を画した𠮟り方。怒る時は怒るんだけど、そこにはユーモアを必ず入れて、フォローも的確にしている。ひとりひとり選手をしっかり見ているんですよね。この中で育った選手たちを見て、また実際に彼らが入って見て何を想うか。そして、指導者である監督や大人たちがここから指導というものを学ぶという意味でも、絶対的に信頼を寄せている田中君のチームを選びました」

チームという共同体は、ひとつの文化を持つ。独自のルール、決まり事、自分たちがやるべきこと、向かうべき目標。そんな全員が共有すべき意識が統一された“成熟したチーム”の中に、まだ生まれたばかりのブラックキャップスを入れることで起こる変化。3泊4日の短い時間でも効果は十分に期待できるという。

「合宿は子供たちが確実に成長できるチャンスです。なぜなら、家を離れ朝から晩まで僕らが一緒にいられること。その間、同じ釜のメシじゃないけどチームのみんなで同じ時間に起きて、ご飯を食べてと、そこで初めて子供たちの生活スタイルが見られる。大概が親が言っている話とまったく違いますからね。合宿の最大のメリットは親……というより、やらなくてもなんでもやってくれるお母さんから離すチャンスなんですよ。3日間だけでも自分がやらなきゃいけない状況に置かれたら、見て覚えるしかないんです。特に彼らは先輩もいない。頼る人もいない。脱皮するチャンス。何人が泣いて、何人ついて来るかなと思って見ていたんですよ」

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変わる雰囲気を持っていた
ブラックキャップスの選手たち

ブラックキャップスの選手たちを最初に見た印象を田中氏はこんな風に評する。

「最初グラウンドに入ってきた時は、結構な衝撃でしたね。テキトーに挨拶して、テキトーにダラダラ歩いて。あーこりゃ大変だとは思いました。だけど、挨拶すらできないチームって実はたくさんあって、その中でも『何を教えても無理なチーム』、『変わる雰囲気を持ったチーム』があるんです。1人変われば2人目が代わり、と連鎖をするようなね。ブラックキャップスの選手たちは、ダメの部類ではあるんだけど、教えたくないっていうチームじゃなかった。その基準って本当に細かいことで、たとえば僕が目を見て話をすれば、『ヘンな人が来た』とビビりながらも、ちゃんと目を見て話を聞けるところとかね。そういう姿勢はあった」

それは練習の中でも同じだった。田中氏はブラックキャップスの選手をお客さんとして扱わず、新潟・上越ボーイズと同じ練習に参加させ、雰囲気を見ながら同じように叱責を飛ばす。練習のプレーを見ても、ブラックキャップスの選手たち、ひとりひとりの能力は高いと感じていたが、まだ皮を破り切れていない。荒々しい言葉が飛び交う合同ノックの中で、矛先は次第にブラックキャップスの選手たちにも向けられていく。最初はお客さん状態だった選手たちも、徐々に声の出し方も動きも変わってきてきた。

「最初はあえてうちの選手に対して荒っぽい言い方で叱るのを、ブラックキャップスの選手たちに見せてから、徐々に同じ扱いをしていき、最後には『おまえ、やる気ないなら帰れよ』なんて言ってましたね(笑)。選手たちも最初は戸惑っていましたけど、どんどん目の色が変わって行きましたよ」

地獄の夏合宿の大きな収穫は
阪口監督までも成長させたこと

わかりやすく変化の兆しが見えたのは2日目だった。

「2日目には雰囲気がかなり出てきましたね。ただ、ちょっとずつ衝撃を受けて、ごはんが食べられないとか、帰りたいとか、そういう事態に直面して何人かが泣き出す。ブラックキャップスの子たちも何人か泣いていましたね。必死に食らいつこうとしている子たちも同じくらいいました」

合宿の中で、ブラックキャップスの選手たちがある意味で最も苦戦したのが食事だった。この合宿中、朝昼晩に加えて各食の間に身体をつくる捕食を入れて1日5食。身体を作り、筋肉を作るためにも、しっかりと食べる。いわゆる“食トレ”はブラックキャップスの選手にとってもはじめての経験であり、約半分の選手が泣きながら食事に向かうことになった。

「うちのチームで言えば身体の小さな子はサイズに合わせた量にしているし、食べやすいように味付けの工夫もしています。だけど、はじめてのことで、吐いてしまった子もいるし、食べられなかった子もいる。食トレには賛否がありますが、本来なら合宿でそこまでガッツリと食べさせる必要はないんですよ。家で毎日、栄養を考えて身体を大きくしてくれたらね。ただ、甘やかされている子供はやっぱり食べられないし、身体も小さいままなんです。うちのチームは、やると言ったら最後までやり通す。弁当ひとつでも、食べ終わらなければ絶対に練習にも参加させませんし、大人が「もういいよ」と妥協してうやむやにすることも許さない。どうすれば食べられるかを考えさせて、食べ終わるまで終わりません。竹下さんたちは身体を作るプロですし、僕もこれが正解じゃないということはわかっている部分もあります。だけど、ブラックキャップスの選手たちには、こういうチームもあるということを知って欲しかったし、指導者の人たちも取り入れるかの話し合いをすることにもなるでしょうしね」

3日目になると疲労か成熟かチームの雰囲気がだいぶ大人びてきたと田中氏は振り返る。

「おそらく前夜のミーティングか何かで監督さんに何か言われたか、選手たちが話し合ったんだろうね。グラウンドに全員で揃って『おはようございます』って言う。3日間でだいぶ変わってきましたよ。練習もハードだし、食事もハード。この日も朝から1時間走って、冗談じゃない。練習に行きたくないと感じるあたりです。ここで一番楽しい試合を入れてあげると、本当にノビノビと楽しそうにやりますよね。ブラックキャップスの選手たちも、上越ボーイズの1年生チームを相手に逆転勝ちをしましたからね。いい感じになってきましたよ」

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そして、もうひとつ。大きな成長を見せたのが阪口監督だったという。

「阪口監督も指導者としてはまだ1年目。わからないことだらけだったと思うんですけど、この合宿中、絶対に何かを盗んで帰るんだという気迫で、指導する上で悩んでいたことや、練習内容、指導方法、子供たちへの接し方など、ずっと質問の連続でした。特に注意の仕方、怒り方。やさしい人ですからね。どういう風に言えばいいのか。強く言いすぎじゃないのかとかね。僕は攻めろと言ったんです。子供には愛情を持っていれば大丈夫だから、一緒に走って、怒って、悔しがって、どんどん攻めましょうって。まだ若いし、やる気に満ち溢れているし、これからが楽しみですよね」

監督・選手たちが3泊4日の間にそれぞれ大きな収穫を得た強化合宿。あるものは泣きじゃくり、あるものは帰ると家にLINEしながらも、最後まで全員でやり遂げることができたことで大きな自信を得たのは間違いない。

そんな中、合宿の最後に田中氏がエースのユウギとの間にこんな会話があったことを教えてくれた。

「僕も息子が同じ新潟ボーイズにいたので、竹下さんがユウギにだけ特別厳しくなる気持ちもよくわかるんです。いま、ユウギに厳しく言うことも、100%おまえのためを思ってのこと。そこで不貞腐れた態度を取ったり、ダラダラとポケットに手を入れて歩いていたら恥をかくのはお父さんだ。悔しくても態度に出さず、一生懸命やれば絶対に大丈夫……そんな話をしたんです。まぁまだどうしていいのかわからない感じではありましたけど、彼はやってくれると思いますよ」

よそのチームを身近で感じられる合同合宿は、自分のチームや組織の良さであり、何が足りていないのかを浮き彫りにしてくれる効果もあった。田中は「どんなに必死にやっても僕ひとりでやれることには限界がある。いいチームはたくさんの人を巻き込んでいける組織」と言う。それは身近なところでは親であり、地域。そして選手をサポートしてくれる“仲間”である。

暑かった夏合宿を乗り越え、大きく成長したかに思えたブラックキャップス。しかし、行く先にはまだまだ越えるべき大きな山が待ち構えていた。

【4回の表/こどもたちの物語へ続く】

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作家・ライター
村瀬秀信

1975年神奈川県茅ケ崎市出身、旅と野球と飲食のライター。著書に「止めたバットでツーベース 村瀬秀信野球短編集」(双葉社)「4522敗の記憶~ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」(双葉社)「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」シリーズ(講談社)など。文春野球の初代コミッショナーであり株式会社OfficeTi+の代表。
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