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世界一意識低いクラシック名曲アルバム

赤ら顔の作曲家ムソルグスキー。エリート候補生がアルコール依存症になったワケ

author: 渋谷ゆう子date: 2023/11/28

肌寒い季節になるとホットワインが堪りません。日本酒はぬるめの燗がいいですね。肴は炙ったイカでいい(昭和歌謡)。しかし今や時代のトレンドは「ソバーキュリアス」でございます。Sober(しらふ)とCurious(好奇心が強い)という英単語を組み合わせた新語で、要はしらふであることを重視し、アルコールのマイナス要素をきちんと捉えて健康であろうとする人々のことです。でも、そんなことはどうでもいい。とにかく好きな時に好きなお酒を好きな人と飲みたい。今回はそんな方にもおすすめの作曲家、赤ら顔の肖像画でお馴染みのアルコール依存症で亡くなったムソルグスキーを紹介しましょう。

モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー

1839年(0歳)
ロシア帝国に生まれる

1849年(10歳)
エリート養成機関ペトロパヴロフスク学校に入学

1852年(13歳)
『騎手のポルカ』出版

1858年(19歳)
軍を退役

1867年(28歳)
『禿山の一夜』初稿完成

1873年(34歳)
オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』上演

1881年(42歳) 
アルコール依存症により死去

エリート軍人の道を捨て音楽家へ

ムソルグスキーって誰? と思ったみなさま大丈夫。実はほとんどの人がちゃんと知っています。ナニコレ珍百景というテレビ番組のBGMになっているあの曲、「キエフの大門」を作った人です。それから、小学校の音楽の教科書でそのタイトルだけを覚えている「禿山の一夜」、ディズニー好きの方も「ファンタジア」で使われていたといえば思い出すかもしれません。

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モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキーは1839年ロシアに生まれました。ムロルグスキー家は代々軍の要職を得ていた家系で、広大な土地も持っていた裕福な家庭でした。母親はフランス語もでき、文学や音楽など教養にあふれた人物でピアノも演奏したそうです。母親の真似をしてピアノを弾き始めたムソルグスキー少年は、音楽に興味を示すようになります。しかし、家系的には軍人になることを求められ、10歳でエリート養成機関であるペトロパヴロフスク学校に入学し、13歳で士官候補生になります。がっちがちのエリートだったわけです。

とはいえ、音楽に熱を上げる息子を父親も理解を示していて、最初に作曲したとされる『騎士のポルカ』(1852年13歳ごろの作品)の楽譜を父親が出費して出版さえしてくれています。両親にちゃんと愛されて大切にされて育っていたんですね。

こうして順調に軍人への道と音楽への道を両立させながら成長していったムソルグスキーは、ロシア音楽界でも大切に扱われはじめます。人懐っこく、人付き合いもよかった性分に助けられていたのでしょう。そして本格的に音楽の道に進みたくなっていき、ついに19歳で軍務を退役してしまいます。ああ、大丈夫かなこれ。ミュージシャンが退路を絶ってダメになっていくパターンやん、って心配になってしまします。案の定、その後の音楽活動は大変で、それから病気になり鬱状態も続きました。簡単に音楽家へ華々しく転身することはできなかったわけです。もう、言わんこっちゃない。

さらにこの頃、実家の私有地のほぼ半分も収奪されてしまい、没落の危機を迎えてしまいます。安定した職を投げ打って、音楽に生きようとした矢先のこと、さらにムソルグスキーは経済的にも精神的に落ち込んでいたようです。しかしそこは作曲家、この鬱っぽい状況をそのまま示すかのようなどんよりした歌曲「日の光もなく」や「死の歌と踊り」などを作ります。さすがや。転んでもタダでは起きないというのか、作曲家のサガなのか。

苦しみから生まれた「禿山の一夜」

そうして頑張っているというのに、現実はもっと辛い仕打ちをします。1865年、ムソルグスキーの最愛の母親がこの世を去ってしまうのです。人生にはこんなことがままあるわけで。ムソルグスキーは心が折れて、また作曲ができなくなってしまうのです。そうしてやりきれない思いをお酒に逃げて解消するようにもなります。

ロシア人の心の友、ウォッカはこの頃すでに一般化されていました。ムソルグスキーがどれを飲んでいたかは定かではないですが、簡単に手に入る酒を始終持っていたというのですから、20代半ばですでにアルコール依存症の兆しが見え始めたのにも納得です。飲んで~飲んで~飲まれて~飲んで~しまったのです(昭和歌謡)。

こうした辛い時期を兄弟や友人たちに支えられ、ムソルグスキーはなんとか自分の音楽を取り戻していきます。1867年には、「禿山の一夜」の初稿もできていました。

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作曲家スター集団「ロシア五人組」と称されたのもこの頃です。管弦楽曲だけでなくオペラ制作にも挑みます。また、画家で友人であったハルトマンが亡くなった後には、彼の遺作の展覧会が催されムソルグスキーも鑑賞に訪れています。その時のことを題材にしたのが、組曲「展覧会の絵」です。

これをたった3週間で書き上げたくらい、その頃のムソルグスキーは作曲への意欲と気力を取り戻していたようです。酒量が減っていたかはともかく、シラフで楽曲を書く元気はあったということです。

アルコール依存症による早すぎる死

しかしやっと作曲家として安定し始めたかと思ったら。またまた38歳ごろ、どうしても起き上がれなくなります。眠れない日が続いて、さらにお酒に頼るようになるムソルグスキー。もうここまでくるとアルコールによる不調は回復せず、小康か後退かのどちらかを行ったり来たりする程度にしかなりません。

他の臓器にも影響が出始めます。肝臓だけでなく心臓にも負担をかけ、心臓発作で倒れたこともあったようです。作曲もできず生活は困窮して、賃貸の家賃が払えず、追い出されてしまったことも。それでもお酒を買うお金はなぜかあるのが怖いところ。こんな状況でもまだまだ飲んでしまうのです。

そんな彼をまた兄弟や友人たちが助けようと手を差し伸べます。入院中は作曲家の友人たちが代るがわるお見舞いにも来てくれます。他の分野の文化人にも友人がいて、励ましてくれたりも。ムソルグスキーは周囲の人に愛され、大切に思われていたようです。残念ながら他の作曲家のように恋愛に長けていたわけではなさそうで、もっぱら友人とお酒にしかモテなかったので独身ですが、それでも愛されるキャラクターであったことは間違いありません。

残念ながらこの体調は回復することなく、多臓器不全に脊髄へも不具合がかさなり、ムソルグスキーは1881年、42歳でこの世を去ってしまいました。

もし、彼がソバーキュリアスだったら

豊かな家庭で両親に愛されて育ち、前途揚々な未来が待っていたはずのムソルグスキーは、作曲家への夢と現実に苛まれてお酒に逃げるようになり、結果、自分自身を損なってしまいました。

ムソルグスキーがもしソバーキュリアスであったなら、今に残る楽曲ももっと多く、そして豊かだったのではないかと思うと残念でなりません。

悪いのは酒ではなく飲む本人だ、そういう人もいるでしょう。ただ、人生はそんなふうにいつもいつも強くあることができるほど、生やさしいものでない場面もあるのです。そしてそんな時に、お酒に逃げた彼をだれが責められるでしょう。飲まなければいいというのは簡単ですが、きっとそんなことは本人も周りもわかっていたのでしょう。それでも抜け出せないのが依存症の怖さです。

兄弟や友人にいつも助けてもらえた。その一面だけはきっと彼の人生の中のもっとも良い側面だったに違いありません。そして彼が残した楽曲の数々も、今にこうして生き残っていることを思うと、42歳の人生はそう悪くなかったんじゃないかとも思ったりします。そう思わないとやりきれない気持ちに、彼の曲を聴くと思ってしまうのでした。

ほどほどに飲んで楽しめるお酒って、ほんと難しいですね。さて、私も今夜は頭髪を置いて前進してしまった人と一緒に「禿山の一夜」を聴いて、ワインをいっぱい、いや一杯だけ楽しもうと思います。みなさまもムソルグスキーの赤ら顔の肖像画を見て、お酒はほどほどにストップしてくださいね。

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音楽プロデューサー
渋谷ゆう子

株式会社ノモス代表取締役。音楽プロデューサー。執筆家。オーケストラ録音などクラシック音楽のコンテンツ製作を手掛ける。日本オーディオ協会監修「音のリファレンスシリーズ」や360Reality Audio技術検証リファレンス音源など新しい技術を用いた高品質な製作に定評がある。アーティストブランディングコンサルティングも行う。経済産業省が選ぶ「はばたく中小企業300選2017」を受賞。好きなオーケストラはウィーンフィル。お気に入りの作曲家はブルックナーで、しつこい繰り返しの構築美に快感を覚える。カメラを持って散歩にでかけるのが好き。オペラを聴きながらじゃがいも料理を探究する毎日。
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