自らもアートコレクターであり、アートビジネスの起業家として国内外のアートフェアやギャラリーを巡り、作家との対話を重ねる岩崎かおりさん。京都芸術大学の卒業展/大学院修了展でピックアップした学生アーティストに続き、同校と東北芸術工科大学(山形市)から選抜された学生の選抜展「DOUBLE ANNUAL 2023」を開催すると知り、会場となった東京・六本木の国立新美術館を訪れた。
「DOUBLE ANNUAL 2023」は、京都芸術大学が2018年から2022年まで5回にわたり開催した学生選抜展「KUA ANNUAL」を、2022年度から東北芸術工科大学からも学生選抜を行うプロジェクトへとバージョンアップさせたもので、2022年度が初開催。
本展のサブタイトルは「反応微熱-これからを生きるちから―」。「反応熱」とは、化学反応において発生する熱のことである。日々、さまざまな物事に遭遇しては考え、アート作品として提示した学生たち。彼ら一人ひとりが、置かれた環境や境遇、出会った人、心動かされた出来事、そして違和感や社会的課題に対して真摯に向き合い、丁寧に考えぬいてきた歩みが、展示室のそこかしこに読み取れた。
岩崎さんは、じっくりと一つひとつの作品を眺めて会場を一周した後、「作品や創作活動について何を考えていたのか、ぜひ直接話を伺いたい」と3名の学生と対話した。
想像を超える体験と、思いがけないチャレンジを経て:中川桃子
中川さん:作品のそもそものはじまりは、今から1年以上前に大学の授業で手にした、日野啓三の小説『夢の島』(講談社/1985年)です。
都市が広がっていく描写に粘菌が登場したので、興味を持って調べてみると、都市開発や地下鉄建設などの現場で、実際に粘菌の行動が応用されていると知りました。私はそれまで、都市構造への興味があって、建物の外壁を写真で撮影することを続けていたので、粘菌と都市が関連づけられるのでは、と。
自分でもシャーレの中で粘菌を育てていくうち、生物としての人間へも興味を持つようになり、人間の皮膚と、今まで撮影してきた外壁とが、「内と外の境界面」であったり「中で行われていることが見えない」というところが似ていると感じて、コラージュし始めたのがきっかけでした。
岩崎さん:面白い視点ですね。柄や色に違いがあるのは?
中川さん:私自身と、友人や恋人の皮膚の写真をコラージュし、建物の外壁の写真とミックスして構成しました。粘菌を模しているモールも、黄色が私で、ピンクは恋人が作っています。
これは粘菌を育てるうち、最初は自分がエサをあげ、いわば管理している感覚だったのですが、徐々に餌の時間を気にしたり、外泊もままならないようになったり、まるで自分が管理されているような、他者が介入してくるような感覚を抱きました。この変化を作品のなかに入れたいと考えたんです。
岩崎さん:なるほど。作品全体に高さを出して空間を構成したのは、ビルや建物のイメージでしょうか。
中川さん:はい。当初は壁面に写真を展示する平面的な構成だったのですが、プロジェクトが進むにつれ、モールで表現した粘菌が立体的になっていき、ビルが建て替わっていく都市の様子が、生物の新陳代謝のようにも思えて、掛け合わせた表現を模索していきました。
また、皮膚のことを調査するなかで、スキンシップによって分泌される愛情ホルモン「オキシトシン」の語源が、ギリシャ語の「quick birth」。つまり「時間のかからない出産」だと知って驚いたんです。出産のイメージとのギャップや、あまりにもインスタントな印象が、自分が身を置いている現代アートのスピード感とも重なったので、その軽さを浮遊感で演出したいな、と。
岩崎さん:粘菌という存在から、思考も表現も見事に大きく広がって変化しましたね。ディレクターの方々からはどんなアドバイスがありましたか。
中川さん:例えば、総合ディレクターの片岡さんからは、2022年末のプレビュー展で「生命というカオスなものを扱っているけれど、オーダー(秩序)な部分もあるといいかも」とアドバイスいただきました。
自分にとっては初めてのチャレンジでしたが、そこからインスタレーション形式の展示に発展させました。先生方は本当に親身で、個別で相談する時間を作ってくださったり、本当に感謝しています。
岩崎さん:素晴らしいですね。先生方のコメントや気づきが、ひらめきのきっかけになり、自分一人だけでは到達できないような場所まで、ぐっと成長していけた。この展示空間でインスタレーションというチャレンジにもつながったんですね。
中川さん:はい、本当にそうだと思います。貴重な機会を与えていただきました。
ここでの最終的な設営プランも、大枠はあらかじめ準備しましたが、粘菌をどう配置するか、は、ここへ持ってきてから考えましたし、照明をつくっていく過程で、自分のイメージをスタッフの方に伝えるのが難しかったものの、とてもていねいに時間をかけて対応くださり、本当に素晴らしい空間が完成しました。
岩崎さん:すべてが貴重な経験でしたね。新年度からは大学院へ進学されるのですか。
中川さん:はい。京都芸術大学の大学院で、写真・映像領域に進みます。ずっとこの作品のことをメインに取り組んできた1年でしたが、次はどんなテーマに取り組んでいこうか、幅広くリサーチしながら考えていきたいです。
中川桃子(なかがわ・ももこ)
1992年、京都生まれ。短期大学で服飾を学び、卒業後はバンド活動を行う。2019年足を骨折し、その経験が転機となり写真を撮りはじめる。2021年京都芸術大学美術工芸学科 写真・映像コースに3年次編入 。2023年4月からは京都芸術大学大学院 芸術専攻修士課程(美術工芸領域)写真・映像専攻へ進学予定。
Instagram:@mnohigeki
身を持って表現し、作品と鑑賞者へ投げかける:趙彤陽
岩崎さん:初めて観たとき、どうしてマスクなんだろう、世の中への不満や不自由さ、意見表明かな、と考えましたが、改めて作品について教えていただけますか。
趙さん:はい。この数年、私たちの健康と安全を守ってきたマスクですが、私は誰の家にもある洋服ハンガーを使って、「マスクのパチンコ」を作りました。これがなかなかの攻撃力を持つ「武器」になり得てしまうのです。
上映している映像作品では、私自身が標的となり、誰もが手に入れられるパチンコ用の金属のボールなど、さまざまなものを投げつけられる、というパフォーマンスを行いました。
3mmの厚さがあるガラス板が割れてしまうほど破壊力があるので、顔に当たって腫れたり、鼻血が出てしまったりしたほど。リアクションも演技ではなく本当に痛かったです。
趙さん:この作品を構想したきっかけは、マスクというものがこの3年間で、人間の対立や抵抗を表現できる存在に変わった。つまり、物理的な意味から記号的な意味へ変容したと感じていて、その「記号としてのマスク」を分析・表現したい、と考えたことでした。同時に、変容のプロセスそのものにもとても興味を持ちました。
岩崎さん:今、誰もが分かるモチーフとして、マスクを選んだのでしょうか。
趙さん:そうですね、確かにマスクは誰もが毎日使っています。一方で、自分を守る「盾」のようでありながら、実はいろんな理由でマスクをつけない人を攻撃し社会を分断させる「矛」にもなっていたことが、興味深いと考えました。
岩崎さん:なるほど。お話を伺って、作品やマスクの見え方が変わりました。自分を保護するものでありながら、人を怪我させてしまうほどの攻撃もできる危険なものにもなるとは、考えたこともなかったです。
視点を変えるだけで、こんなにも柔らかいのに武器になるし、被害者にも加害者にもなる。これは他のことにも言えますよね。
趙さん:はい。今の社会は、二項対立のように見えますが、実はさまざまなイデオロギーや思想の対立が起きていますし、平和な世界が理想ですが、戦争や紛争が絶えません。コロナ禍は終焉に向かいつつありますが、対立の図式は残念ながら終わらないでしょう。
私はコロナ禍で、人間のイデオロギーの対立というものを特に強く感じていましたが、この先は対立し合う二つの物事を、優劣ではなく、その関係から新たな考えへと進化させていく、いわゆる弁証法の考え方が必要だと考えています。
岩崎さん:そもそも、攻撃や対立、武器という発想にいたったのは、どんな理由だったのでしょうか。
趙さん:本来、コロナ禍への考え方や、マスクを付けるか付けないかは、人それぞれの自由だったはずです。しかし、周囲への配慮や責任を考えているか、という判断材料にされました。今は多元の世界、多様な世界ですし、「こうするべき」ではなく、「人によって違う、人それぞれ」と考える個人の自由が優先されようとしています。
私自身も、自分以上に周囲の人達を守る意味でマスクをしますし、抵抗もないです。しかし、「相手にもつけて欲しい」とは思いません。同じ一人の人間でも、3年前と今とでは態度や考え方が変化しているはずです。
岩崎さん:そうですね。物事の見方が違うと、保護するものも攻撃するものになりうる。興味深いですね。これまでも考え方や概念を表現するような作品が多かったのでしょうか。
趙さん:はい、現在制作しているのもコンセプチュアルな作品です。今回はマスクというものを切り口にしましたが、今後はマスクに代わる「何か」で、個人の意識から社会の意識まで、幅を広げて表現していきたいと考えています。
岩崎さん:新年度からは修士2年生ですね、少し先ですが、来年の修了展での作品も楽しみにしています。
趙 彤陽(ちょう・とうよう)
1997年、中国山東省済南市生まれ。2019年、浙江伝媒学院学部デジタルメディアアート専攻を卒業後、中国と日本両国で写真やパフォーマンスなどの作品を制作。2022年4月、京都芸術大学大学院芸術専攻修士課程(美術工芸領域)写真・映像専攻に進学し、視覚、演劇、身体を主な研究手段とし、社会問題とイデオロギーの衝突に注目している。現在は美術館やギャラリーで作品の発表を続けながら、博士を目指して研究と制作に集中している。
Instagram:@hazelzz_z
私の日常の風景を自由なリズムで描き続ける:高橋侑子
高橋さん:私は普段から、室内や日常の風景をモチーフに制作していて、特に印象に残ったところを強調して描くスタイルです。
向かって左の作品では、伺った家の間取りが印象に残っていたので、柱の部分だけを強調してみたら、形が浮かび上がってきて面白いな、と。
また、描くときに一番大切にしているのが「リズム」です。向かって右の作品は、友人と食事をしたときのテーブルを描いていますが、ケーキが置かれている方向がすべて違っていたり、お皿のデザインが1枚だけ違ったりするところにリズムを感じて描きました。
例えば、この線は何にもならないな、と思っても、線を引きたいと思ったら引きますし、現実の風景にないものも、ここにあったら面白いと思ったら描くこともします。
岩崎さん:とても自由でユニークな感覚ですね。リズムが大切っていうのも興味深いです。ここ数年、身近に見たものを題材にする作家が本当に増えたと感じていますが、高橋さんはなぜだと思いますか。
高橋さん:コロナ禍もありますが、人と話す機会が減って自分のことを考える時間が増えて、自分にしかわからないような個人的なエピソード、つまり「小さなストーリー」を大切にしている人が増えたからでは。
「多くの人に広く」というより、「自分のために」という視点です。私自身も「誰かに何かを伝えたくて描いている」というよりも、「自分のために、自分がやりたいから」ですね。
岩崎さん:そうなんですね。油絵だけでなく、糸や折り紙などを使ったコラージュのような作品もありますが、これもやってみたくて?
高橋さん:はい、大前提は「ここに糸を張りたい!」ですね(笑)。折り紙も、ここにあったら面白いかな、と貼ってみました。そもそも私は、一つの作品を仕上げるまでの時間が、ほかの方々よりも短いため、5~6作品を同時並行させて描いています。
油絵が好きで、この先も油絵を続けていくつもりですが、ずっと油絵具だけで描いているとどうしてもマンネリになるので、自分のモチベーションやテンションを上げるため、違う素材に触れるという意味合いも大きいです。
岩崎さん:ローテーションしながら描いていると、それぞれの作品が似てきたり、影響し合ったりするものですか。
高橋さん:そうですね。でも、似てきたとしてもまったく別の作品だと思います。また、画面の分割に自分のこだわりやクセのようなものを感じますし、平面的な作品より奥行きのある空間を描きたくもなります。だから、この中央の作品のような平面を描くことも。
それにこちらは、本来は手のひらサイズの付箋を、思いっきり大きなサイズで描いてみたら面白いかな、と考えて描いた作品です。実は、自分が中学生のときに実際に使っていた問題集なんです。ページを開いたら、落書きが描かれた付箋が貼ってあって、面白いので、そのページをそのまま描きました。
岩崎さん:とってもユニークですね、本当に。これからも油絵を続けて行くつもり、とおっしゃっていましたが、そもそも、油絵を始めたきっかけは?
高橋さん:高校生のとき、進路のことを相談した友達に、美大を薦められたんです。実は油絵を始めたのも高校3年生から。思いきって美大受験の予備校に行くと、先生から「油絵が向いていそうだね」と言われ、このタイミングで新しく始めたら面白いかもしれない、と思って今の大学を受験しました。
岩崎さん:そうでしたか! その自由さも、油絵にぴったりだったのかもしれませんね。
お話を伺ってみて、作品はもちろん、高橋さんご本人もとってもユニークで魅力的です。同時に、自分自身が制作活動に飽きないよう、いろいろと工夫しながら取り組んでいる点も、よく考えていらっしゃいますね。
新年度からは大学院へ進学されるとか。今後の作品がどう進化していくのか、とても楽しみです。応援しています。
高橋さん:ありがとうございます!
高橋侑子(たかはし・ゆりこ)
1998年、北海道札幌市生まれ。2019年、東北芸術工科大学入学美術科洋画コースに入学 。日常の風景や、身近なもの・こと、友人などをモチーフにドローイングをし、それらをもとに絵画制作。キャンバスに油彩を基本とし、水彩、アクリル、布、金属等も組み合わせた平面作品を制作している。2023年2023年4月から東北芸術工科大学大学院芸術文化専攻絵画領域に進学予定。
Twitter:@rkasamgo19
執筆:Naomi
「DOUBLE ANNUAL 2023」は、あえて「選抜展」という形式をとり、これから世界のアートシーンで活躍しうる学生を見出し育てる、という画期的な取り組みだ。そのため、世界を知る錚々たるスタッフがプロジェクトに関わり、参加者の募集から今回の展示まで、1年近くに渡って学生たちに並走してきた。
総合ディレクターは「KUA ANNUAL」を立ち上げた片岡真実(森美術館館長、京都芸術大学客員教授)。京都芸術大学のディレクターには、国内外で多数の展覧会を企画してきたインディペンデントキュレーターで、コダマシーンのファウンダーでもある金澤韻(京都芸術大学客員教授)。東北芸術学科大学のディレクターには、第58回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館のキュレーターも務めた服部浩之(東北芸術工科大学客員教授、東京芸術大学 大学院映像研究科 准教授)が担当している。
加えて、国内有数の広さと天井高の展示空間である、国立新美術館で作品を設営・展示するのは決して容易ではない。プロジェクトそのものが、すでに相応のキャリアをもった美術作家でもなかなか叶わない、貴重で得難い機会なのだ。
参加した11組の学生たちは、学部生も院生も、年次すらもバラバラ。書類とプレゼンテーションによる審査を経て選出された。ディレクターらが提示したテーマ「抗体」「アジール」「ミラクル」から構想した展示プランを、半年以上もの時間をかけて磨き、2022年末に各校でプレビュー展を開催後、さらにブラッシュアップさせて国立新美術館での展示を迎えている。
WEB:学内選抜展「DOUBLE ANNUAL 2023」