近年は不倫スキャンダルに文春砲が打ちまくられるので、あまり堂々と言われなくなったが、「女遊びは芸の肥やし」という言葉がある。全くこれほどまでの駄言はないし、妻を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。芸事の向上にはそれくらいの刺激がないとダメだというご都合主義な言い訳をしたい御仁、または家で子育てする妻をもう女として見られない、抱く気もしないなどと妻を落としめる男性には、ぜひ偉大なる音楽の父バッハについて知ってもらいたい。
ヨハン・セバスティアン・バッハ
1685年(0歳)
神聖ローマ帝国ザクセンに生まれる
1694年 (9歳)
母他界
1695年 (10歳)
父他界
1700年(15歳)
聖歌隊に入団
1707年(22歳)
マリア・バーバラと結婚
1720年(35歳)
マリア死去
1721年(36歳)
アンナ・マグダレーナと再婚
1723年(38歳)
ライプツィヒ・聖トーマス教会トーマスカントル就任
1736年(51歳)
ザクセンの宮廷作曲家に任命される
1750年(65歳)
ライプツィヒにて死去
愛妻と添い遂げて実子20人
1685年、音楽一族の8人兄弟の末っ子として生まれたバッハは、ヴァイオリンに加えてオルガンの演奏など幼いころから音楽教育を施された。この時代は教会での音楽が発展していて、バッハはボーイソプラノとして聖歌隊で歌うようになる。変声期以降は楽器奏者として活動を続け、作曲もはじめた。即興演奏にも長けた何でもこなせる才能溢れた青年だった。
1707年、22歳になったバッハは教会音楽家として勤めながら、作った曲を売って収入を得るようになっていた。この頃結婚したのが最初の妻マリアである。父親同士が従兄弟という親戚関係のマリアとバッハは、幼い時に両親を亡くしたという境遇が似ていることもあり、互いを深く理解し合って励ましあい、7人の子供が生まれた。ただ当時は乳幼児の死亡率が高く、7人のうち成長できたのは4人だけである。のちに「ドレスデンのバッハ」と呼ばれるヴィルヘルム・フリーデマン、「ベルリンのバッハ」カール・フィリップ・エマニエルや、ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルトなど作曲家を育てた。しかしこの幸せは13年ほどで終わってしまう。
マリアは1720年、バッハが雇い主の旅行に随伴して留守の間に急病で死去した。バッハが家に帰った時にはすでに埋葬を終えており、泣いて父を出迎える子供たちの姿があったという。バッハもどんなに心を痛めたか。想像するだけでこちらも辛くなる。マリアが亡くなった時期に書かれた「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調・終曲シャコンヌ」は、どうしようもなく心を何か揺さぶる要素が備わっている。完璧な美しさの中に、苦しいほどの切迫感と悲壮感がある。
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4人の子供を残してマリアが亡くなり一年半が過ぎたころ、バッハは2番目の妻アンナと結婚する。二人の間にはなんと13人の子供が生まれた。残念ながら大人になるまで成長できたのはそのうちの7人、のちに「ビュッケンブルクのバッハ」と呼ばれるクリストフ・フリードリヒや、「ロンドンのバッハ」ヨハン・クリスティアンなどがいる。アンナも才能溢れた子供たちを育てた。アンナ自身も実は有能な音楽家で、バッハも「歌がめちゃうまい」と妻を評した。結婚後も宮廷に音楽家として勤め、収入を得ていたデキる女である。
夫婦愛が後世の研究者を泣かせる
1750年にバッハが65年の生涯を終えるまでのおよそ30年の間、精力的に音楽活動を続ける夫のそばで、アンナは毎年のように子供を産み、前妻の子供たちの世話もしながら自分も音楽の勉強を続けている。常にバッハのそばにいて、その作曲活動を助けた。書き殴って読みづらいバッハの楽譜を清書したのもアンナで、それを続けるうちに筆跡もバッハに似せてくるという仲睦まじさである。
この筆跡酷似問題は、今のバッハ研究を阻んでいるというから面白い。つまり、筆跡がそっくりすぎて、どっちが書いたものがわからない。さらには本当にバッハが作曲して妻が清書したのか、音楽に精通している妻のほうが作った曲なのか、という問題まで起きているわけだ。夫婦愛が後世の研究者泣かせになっている。
現代であれば作曲ユニット・バッハとして二人で作ったと言えば済む話なのだが、音楽研究としてはそうはいかないわけで。二人の仲の良さに今も翻弄されているのを草葉の陰でアンナが見ていたら、くすくす笑っているような気がする。いや、バッハが亡くなってからも慎ましく暮らしたまじめなアンナのことなら、それを申し訳なく思っているかもしれない。
先妻の子どもたちとは微妙な関係
ただ、この出来た妻であるアンナも先妻の子供たちとはうまくいっていたと言えないようだ。バッハが亡くなったのち、先に成人して音楽家になっていたヴィルヘルムとカールは父の楽譜を持ち出し、アンナには渡さなかったという。遺産としても価値あるこれらの楽譜をアンナは二度と手にすることはできず、晩年は困窮して暮らした。ステップファミリーはやっぱり難しかったのだろうか。
死別のあとの後妻にとってみれば、夫が先妻を愛していたと知れば知るほど、その子供たちに優しくするのは難しい。喧嘩して別れたのではなく、愛していたのに亡くなった妻の後釜という立場はかなり女性としては難しいものがある。同じ女としてアンナが自分と血がつながった子供たちを優先してしまう気持ちもわからなくはない。
そして継子たちの疎外感を払拭できるほど、夫バッハは器用でもなかったかもしれない。家庭の問題にいささか無関心、または時間がない、またはそれは妻の仕事だと切り捨てていたとしても、外に他の女性がいなかっただけマシか。こうなるとバッハ夫婦の関係性判断に迷うところだ。余計なお世話だけど。
男が見習うべき父親としての責任感
バッハは歴史的にも重要な宗教的なオルガン音楽だけでなく、有名な「G線上のアリア」などの室内楽曲や「マタイ受難曲」に代表されるの声楽曲など、生涯1000曲以上を残した。
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古くから伝わる音楽によるだけでなく、その後主流となる新しい手法での作曲をして、バッハは音楽史の重要なマイルストーンになった。音楽の美しさと新鮮さを追い求める芸術家の側面がある一方で、より自分を高く評価してくれる雇い主を渡り歩くという野心的な部分も持ち合わせており、決してヤワなタイプではなかったことが分かる。
才能あるアグレッシブな男。そして妻と子を養う責任感のある男。自分の仕事を手伝えるようになるまでに子供たちを教育した男。外の女の刺激がなければ技を向上できないと言わない男。そして何年経っても妻とベッドを共にする男。バッハは類まれな愛に溢れた才能豊かな男性だ。
女遊びは芸の肥やしといいわけをして遊ぶものは皆、あの威厳あるカーリーヘアかつらの肖像画の前でも同じことが言えるのか、自身の胸に手を当てて考えてもらいたい。こちとら、バッハの二人の妻の前で、彼女たちほど相手を慈しんでないかもしれないなと、ひとりの女として神妙に自省しているのだから。