このコラムでは常に女性の肩を持ちがちな筆者であるが、古典派を代表する作曲家フランツ=ヨーゼフ・ハイドンの妻アロイジアだけはそれがちょっと難しい。とにかく強烈な逸話の持ち主なのである。今回は「クラシック音楽作曲家の三大悪妻」という誰が言い出したかわからないが、とにかくとんでもなく評価の低い妻たちを引き合いに、大作曲家ハイドンの夫婦関係に迫る。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
1732年(0歳)
現在のオーストリアに生まれる
1740年(8歳)
ウィーン・シュテファン大聖堂聖歌隊に入る
1757年ごろ(24歳ごろ)
モルツィン伯爵宮廷楽長職に就く
1760年(28歳)
マリア・アンナ・アロイジア・ケラーと結婚
1761年(29歳)
エステルハージ家宮廷楽団に就く
1809年(77歳)
ウィーンにて死去
クラシック音楽作曲家の三大悪妻
三大悪妻の最初のひとりはモーツァルトの妻、コンスタンツェである。桁外れの才能を持ったモーツァルト。常に言動キレッキレでもあるその夫と連れ添った妻である。あの難しい性分と一緒にいられたのだから、それだけでも十分出来た妻ではないのか。
以前のコラムでも書いたように、夫の死後コンスタンツェが行ったことは、作曲家の妻として十分な働きですらある。これで金遣いが荒いとか、温泉ばっかり行くとか、そんなちっさいことで悪妻呼ばわりするのは気の毒というものだ。
三大悪妻にもう一人は、チャイコフスキーの妻アントニナである。チャイコフスキー自身が「好きでもない女性と結婚しちゃった」と後悔しまくり、しかもどうやらホモセクシャルであり、アントニナはそれを知らずに結婚していた。おまけに新婚3ヶ月で夫に逃げ出されたのだから、彼女のほうが不憫である。
逃げたチャイコフスキーを執拗に追っかけたというのが悪妻と評されるゆえんでもあるのだが、理由もわからず失踪した夫をしつこく探し回ってどこが悪いのか。こんなことで悪妻呼ばわりされたらたまったものではない。かわいそうなアントニナ。
これら二人の悪妻の定義は理解に苦しむところである。こんな不名誉な悪妻称号を与えたんは絶対おっさんやな。出て来いやコラ! と大阪弁で反撃すらしたくなる。しかし、そんな風評被害的でさえある悪妻称号だが、三人目だけはちょっと勝手が違う。ハイドンの妻、アロイジアのことである。
仕方なく結婚したら悪妻だった
古典派を代表する作曲家フランツ=ヨーゼフ・ハイドンは1732年オーストリアに生まれた。現在のドイツ国歌の元となった『神よ、皇帝フランツを守り給え』の作曲家として知られ、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父とも呼ばれる。
伯爵家に仕える庶民の家に生まれたハイドンは、幼い時に聖歌隊に入って音楽の道を歩き始める。才能を認められてウィーンのシュテファン大聖堂聖歌隊にも入れたが、ボーイソプラノの限界点である変声期を迎え、9年勤めた聖歌隊を解雇された。その後は定職に就けず、あちこちを彷徨う不遇の時期を過ごしたようだ。しかし聖歌隊での生活はハイドンの音楽に大きな影響を及ぼしていたとされ、作曲にも挑戦するようになる。その才能が少しずつ認められるようになり、25歳ごろにある伯爵家が抱える宮廷楽団長の職を得るに至った。この頃には交響曲作曲にも取り組み、いよいよ生涯1000曲とされるその創作活動が加速していく。
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その頃、ハイドンはかつら屋の娘に恋をしていた。その女性との結婚を望むも、彼女は修道院に入ってしまう。逃げられたわけである。娘の父親は、そんなハイドンにあろうことか姉妹だからいいだろう的な気概で、姉のほうのアロイジナを押し付けた。結婚を急いだハイドンにも、それなりの計算高さもあった。当時の宮廷楽長としての社会的地位を盤石にするためには、結婚もして家庭を持った一人前の男として認識してもらう必要もあったのだ。妹が神に仕えちゃったから、髪屋のお姉ちゃんでいいやというあたり考えなしなのか、ハイドンとしては結婚して身を固めるという一応の結果を得たわけである。適当だけど。こうしてハイドンは、まんまと後の悪妻を手に入れてしまうのである。
アロイジナのほうとしては、妹と結婚を希望していた男が、それが叶わないからと言って自分で手を打たれた感あり、そうそう素直に自分の結婚を喜べるわけではなかっただろう。しかし当時の社会的な風潮としても、女性は親が決めた結婚を受け入れることが一般的でもあり、ハイドンがどうだといって断れるわけでもなかった。こっちもこっちで仕方ないわけである。
波乱に満ちた結婚生活
そんな二人の結婚生活はやはり波乱に満ちている。ハイドンの仕事に関しても、アロイジナは理解ができない。というか理解しようとする努力はしていない。そもそも音楽に興味もなかったようで、ハイドンが何をしているかを深く知ろうとはしなかった。ある時はハイドンが書いた楽譜の紙を野菜やケーキの包み紙にしたという。想像してみてほしい。音符が書かれた紙で包んだケーキは、わりとオシャレ…いや、夫の仕事のそんな大事なものを流用するとは、なんたる無理解と憤慨されても仕方がない。ハイドン自身も妻について、「自分の夫が音楽家だろうが靴屋だろうがどっちでもいいんだ。」とぼやいたという。いや、オマエも姉ちゃんでも妹でもどっちでもよかったんちゃうか、というツッコミが大阪弁で聞こえそうである。ハイドン最大のブーメラン発言だ。
そうはいっても夫婦は夫婦。生活費やら住居のことやら、夫の仕事がまったく妻の関心外でいられるわけではない。アロイジナも、ハイドンの新曲「天地創造」が大成功を収めて評判を上げた際には、「評判がいいんだってね。私には関係ないけどさ。」と言ったという。なにこれ、ツンデレか。ハイドンの生涯という漫画があったら、来年あたりはコミケでアロイジナ主人公のツンデレ妻のスピンオフが展開されそう感すらある、素晴らしいセリフである。こうして割と可愛げある発言をしているアロイジナは、夫の仕事に対して両手を上げて応援できるほど自分も大切に扱われていないという状況ながら、それでも一応「よかったね」という一瞥くらいは妻としていたようだ。「私には関係ないけどね」というひねくれた一言も、裏を返せば「関係あったらいいのに」という、女性特有の面倒な裏返し表現であったかもしれないのに。男性諸氏にこの女性の機敏を理解しろというのは酷なのかもしれないが。
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とはいえ、やはり筆者もアロイジナを擁護できるばかりではない。ある時は「あなたのほうが先に死ぬんだから、私に家を買っておけ」とハイドンにせまったともされ、いくら女性の立場が低かった時代とはいえ、あまりにあからさまな言い方であり、ハイドンが可哀想である。たとえアロイジナが本当にそう思っていたとしても、言い方の配慮くらいはしてもいいだろう。そこは可愛く「あなたに先立たれたら、その後の私の人生が不安だから、住むところは置いといて欲しい」くらい言えばハイドンも買ってくれたかもしれない。しかし、アロイジナはやっぱりそんな性格ではなかったようだ。こうして、二人は何にしても夫婦としての関係は全く近しくならず、妻は夫に文句ばかり言ってきつくあたるし、夫は外で妻が美しくないだの性格が悪いだのと言いふらすようになる。全く救いようがない。
結婚後に地位を確立したハイドンは、その後1761年にオーストリア=ハンガリー帝国有数の大貴族、エステルハージ家の宮廷楽団楽長にまで上り詰めた。仕事が成功してきた夫にとってみれば、家のひとつやふたつ、妻に買ってあげてもいいようなものだがそうはならなかった。
おまけにハイドンには、エステルハージ家お抱えの歌手で、自分の音楽に理解ある人妻のルイジャ・ポルツェッリ夫人と長くダブル不倫関係を続け、ハイドンの子供まで生まれている。ルイジャの夫は、音楽的才能をあまり雇い主に評価されていないヴァイオリニストであった。演奏を評価されない上に、妻は作曲家の愛人で子供まで生んでいる、可哀想な夫様なのである。さらにはそんな彼が解雇の憂き目に合いそうな際には、妻がハイドンの長年の愛人ということが表沙汰になって、夫の解雇が取り消しになったのだ。大作曲家である妻の愛人に助けられる夫。互助作用がすごい。それほどこの頃のハイドンは大きな影響力があったということである。ハイドンは、自分の妻に家すら買わないのに、愛人の夫の解雇に作用して愛人の立場を結果的に守ったわけだ。不倫が表沙汰になろうがこの二人は、お互い離婚せずに不倫関係を続ける。
家には暴言を吐いて、楽譜でケーキを包む自分に理解のない妻。妻との間には子供もいない。一方で自分の仕事にも理解を示す音楽家の愛人と夫公認の不倫中。愛人のほうも、才能なしと判断された夫を捨てるでもなく、大作曲家の愛人に収まっていられるくらいの肝の据わった女である。こちらはこちらで人生を自分マターで楽しんでいるとしか思えず。こうした関係性を考えても、アロイジナが悪妻呼ばわりされるのは、やっぱりなんだか納得できない気がしなくもない。ハイドンはその後、宮廷楽長としてだけでなく、ウィーンやロンドンなどでも活躍し、モーツァルトとはお互いの才能を認め合い、ベートーヴェンには弟子に来てもいいとさえ言ったとされている。
そんな大作曲家になった夫に理解を示さず、可愛げもなく、仕事へのサポートもしない。そんなアロイジナの晩年10年、夫婦は別居していた。アロイジナは、結局71歳でハイドンよりも先に死んでしまう。ハイドン自身はそれからおよそ10年後にこの世を去る。偉大な業績を残した作曲家生涯のほとんどの日々を、理解し合えない夫婦として縁を切らずに過ごしたわけである。まったく夫婦とは奇なるものだ。素晴らしい作品を数多く残した大作曲家ハイドンの死に際し、ウィーン市民が参列できる盛大な追悼式も執り行われたという。
さて、このハイドンの埋葬にあたって、頭の部分と胴体が切り離されて別になり、頭蓋骨が音を立てて飛び回ったというオカルトな噂が残っている。いや、あれだけ好きなことして生きたんだから、飛び回らないで大人しくしてなさいよと思わずにはいられない。ハイドンのその切り離された頭蓋骨は長らくウィーン楽友協会に保管されていたそうなので、興味のある人はぜひ楽友協会内を彷徨ってみて欲しい。ハイドンの魂に出会えるかもしれない。そのオカルトを天国のどこかで悪妻アロイジナが笑っているような気もしなくもない。「頭蓋骨飛んでようと、私には関係ないけどね」とかいいながら。