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世界一意識低いクラシック名曲アルバム

19世紀の婦人を虜にしたイケメンピアニスト「リスト」の悲しい末路

author: 渋谷ゆう子date: 2021/12/05

クラシック音楽史上最もモテた、スーパーイケメンピアニストで作曲家のフランツ・リスト。細身で長身、肩まであるストレートヘアをさらっとかきあげて顎をそらせ、筋の通った鼻先から流した目線の先に鍵盤を見る。そしておもむろにピアノに手を置き、その長く美しい指を動かし始める。女性たちはみな、その仕草と音に一瞬にして心を奪われる。演奏に熱狂しすぎて失神するものまでいる。ピアノの上にリストの手袋や持ち物が忘れられていたら、それを奪い合う女性たちがもみくちゃになる。ピアノの貴公子リストは、ある意味全盛期のジャニーズタレントのようなものだった。

1911年 (0歳)
オーストリア帝国領ハンガリー王国に生まれる。

1822年 (11歳)
ウィーンに移住し、ウィーン音楽院でツェルニーやサリエリに師事。

1823年 (12歳)
ウィーンでコンサート開きベートーヴェンに絶賛される。

1835年 (24歳)
マリー・ダグー伯爵夫人と不倫逃避行。

1847年 (36歳)
カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と同棲。

1848年 (37歳)
ヴァイマールの宮廷楽長に就任。

1861年 (50歳)
カロリーネの離婚が成立、リスト結婚準備を行うも失敗。

1886年 (75歳)
バイロイトで死亡。

スキャンダラスな女性関係

キャーキャーと甲高い声と熱量に囲まれてピアノを弾き続けたリストは、案の定、まったく節操のない女性遍歴を繰り返していた。超絶モテ男は古今東西、迫られたら拒まないものである。周りにいるファンも、当時ピアノのリサイタルのためにサロンに通うような階級の女性たちである。家柄もよく、教養もあり、実家も太い。なかなかにチャーミングな方々なわけだ。選別する必要すらない。ウェルカム・リストワールドである。おまけに当時売れっ子ピアニストであるリストは、20代後半から30代半ばにかけて、ヨーロッパ各国で演奏旅行を行い、その数1000回以上に及ぶ。ヨーロッパ中を超絶技巧の演奏とそのルックスで女性を熱狂させ、また収益を存分にあげる精力的な作曲家でピアニストであった。

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そんなリストの数えきれない女性関係の中でも、当時ちょっとしたスキャンダルになったのは、ピアニストのマリー・モークとの関係である。当時マリーは、作曲家のベルリオーズと婚約破棄し、有名ピアノメーカー・プレイエル社の御曹司と結婚している人妻だった。しかもリストは、そのベルリオーズともプレイエルとも友人である。マリーが魅惑的だからという側面もあるかもしれないが、そこはまぁあれだ、もうちょっと相手を考えようよ、近場で済ませすぎ、と思わなくもない関係性の近さである。しかしそこは流石のリストで、そんなことは全く厭わず、それはそれ、これはこれ、という考え方が魅力的というか、ある意味少年のような無邪気さの輝きかもしれない。

若かりし頃のリストの肖像画

結果、案の定マリーはプレイエルと離婚する。とはいえ、リストと再婚したわけではなく、リストはリストでこの頃、子供もいる年上の人妻と関係を持っていて、駆け落ちして離婚させちゃったりもする。現代であればあっという間に文春砲を撃ち込まれまくること間違いなしだが、当時は、スキャンダルがあっても、責任をとって活動自粛するなんてことはない。リストにとって生きていきやすい時代だったわけである。

さて、ややこしい話で恐縮だが、この駆け落ち相手も名前がマリーである。(下世話で申し訳ないが元カノと今カノの名前が一緒ってある意味リストにとっては好都合。ベッドの上で間違って呼んでも大丈夫)

このマリー(便宜上マリー2とする)は、これまた最高に美しく、さらに作家である。教養あふれたマリー2は、リストの心をつかんで駆け落ち後に同棲し、リストの子を三人産む。その一人がのちに作曲家ワーグナーの妻となるコジマだ。マリー2は、前の夫である伯爵と離婚も成立していたのに、結局リストとは正式な結婚をしていない。どちらがどう思っていたかなど今となってはわかるはずもないが、恋の熱量で子供を置いて駆け落ちし、すっぱり離婚して相手の子供を三人産むようなパワフルな作家女性にとってみたら、リストのような危なっかしい男とまた結婚までして面倒なことになるくらいなら、このままの関係でいいと思ったのではないかと思う。マリー2は賢い女である。

さて、やっぱりというか、案の定、この頃もまだまだリストは、そこそこ遊び、そこそこスキャンダルを被って生きていた。そのうちの一人がショパンの恋人になったジョルジュ・サンドである。ジョルジュはマリー2とも気が合ったようで、三人で旅行に行ったりしている。しかもジョルジュは男装の麗人であり、またバイセクシャルの噂もあったりした。そんなリスト、マリー2、ジョルジュの旅行と聞くと、そこはもう大人の嗜みとして本人たちがそれでいいならいいのではないかという、ある意味遠い銀河系彼方の恋愛プレイを聞いている気がしなくもない。楽しそうである。ここまでいくと、リストの恋愛のあれこれに他人がとやかくいうのも、野暮な気さえしてくる。

36歳で略奪婚を試みるが…

ところで、色っぽい話に溺れて忘れている読者諸氏のために念を押すと、こうした日々の中でリストは素晴らしい楽曲の数々を生み出していた。あんなこと、こんなことあったでしょう、したでしょう、的な時間の中で。またリストはピアノの名曲を生み出しただけでなく、交響曲などオーケストラの楽曲も残した。さらに、情熱的で力強い演奏技巧がピアノそのものの耐久性や表現力の評価にも影響した。こうしてリストは、あれこれプライベートの忙しさにかまけることなく、クラシック音楽の世界に多大な貢献をしていたのである。

これだけの女性遍歴を重ねるだけあって、リストは人間的な深みや魅力も持ち合わせる人物であった。面倒見のよい側面もあり、シューマンとクララ、クララの父の間の結婚を認めさせる裁判で、クララたちのために一肌脱いだり(日本語の妙だが、本当に脱いだわけではないところを一応書いておく。リストだけに。)、災害などへの慈善演奏活動にも積極的で信心深い一面もあった。

こうしたリストの人生の中で、とうとう、というかやっとというか、一人の女性と真剣に生涯を共にしようと考えるに至る。

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若かりし頃のカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人

リスト36歳の時(意外と若いという気もする)、演奏旅行先のキエフで出会った、カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人である。夫人とつくのでご想像のとおりカロリーネには夫がいた。また文春砲か。

しかし、リストも一時的な火遊びではなかったようで、カロリーネと同棲をはじめ、またカロリーネも離婚の手続きに入ろうとする。しかし、カトリック教徒には離婚が認められていない。そこで二人は考えたのだ。「いや、そもそも結婚の手続きがちゃんとできてなかったというか、えっと、そもそも結婚そのものが無効っていうか」という流れに持っていこうとした。カロリーネは賢く強い女性である。自分の離婚が成立しないとリストと共に生きていけない、なんとかしなければという強い思いが、カロリーネを動かした。カトリックの総本山であるローマへ行き、教皇へ直訴までしたのだった。

この行動力と執念のもと、なんと15年もかかって離婚(というか結婚の無効)が成立した。しかし、リストとの結婚式直前に前夫の横ヤリが入り、なんと二人は結婚できなかったのである。これにはリストはしょんぼりして、キリスト教の聖職者になり、カロリーネとも別れて作曲活動に専念する仙人のようになったのである。超絶なモテ期を堪能し、才能ある女性たちに囲まれたリストがここにきて、もうその恋愛遍歴ステージから降りてしまうのであった。そういうところがなんか可愛いと言えば可愛いのだが、やっぱり男はかくも弱いのか。そしてやっぱりそこが魅力なのか。

あのモテ男が、まさかの生涯独身

一方、女性はやっぱり賢く強くて、カロリーネはと言えば、リストと結婚できなかった恨みをはらさんとばかりに、キリスト教の、特にカトリックの宗教上、また制度上の問題点を研究し尽くし、68歳で死ぬ直前まで研究論文を書き続けていた。15年かけて好きな男と結婚するために力を尽くしてだめだった上に、リストはしょぼくれてもうやる気をなくしちゃうし、それってなんなの、自分の人生なんなのとカロリーネが静かに燃える怒りに震えてもおかしくない。そしてその後、今度はなんとさらに25年をかけて、自分たちが結婚できなかった問題点を洗いざらい研究し執筆、出版したわけだ。強い。強すぎる。

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晩年は精力的にピアノ指導を行っていたリスト(中央)と生徒たち

リストとカロリーネは別れても手紙のやりとりをしたり、お互いに気遣って忘れずにはいたようだが、結局リストは生涯独身だった。超絶モテ男が、自分の愛を貫こうとした先に転んで立ち上がれず、半ば諦めたように生きることになるとは、だれがあの輝かしいスター時代に想像しただろうか。そして、その光と影と紆余曲折の波の中には、強烈に光を放つ、強く賢い女たちがいるのである。

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音楽プロデューサー
渋谷ゆう子

株式会社ノモス代表取締役。音楽プロデューサー。執筆家。オーケストラ録音などクラシック音楽のコンテンツ製作を手掛ける。日本オーディオ協会監修「音のリファレンスシリーズ」や360Reality Audio技術検証リファレンス音源など新しい技術を用いた高品質な製作に定評がある。アーティストブランディングコンサルティングも行う。経済産業省が選ぶ「はばたく中小企業300選2017」を受賞。好きなオーケストラはウィーンフィル。お気に入りの作曲家はブルックナーで、しつこい繰り返しの構築美に快感を覚える。カメラを持って散歩にでかけるのが好き。オペラを聴きながらじゃがいも料理を探究する毎日。
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