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世界一意識低いクラシック名曲アルバム

ショパンから学ぶ、格上の女性と生きる難しさ

author: 渋谷ゆう子date: 2021/09/03

ピアノの詩人ショパン。日本では太田胃酸のCMでもお馴染みの美しい楽曲を数多く残したピアニストであり作曲家だ。クラシックの音楽家の中でも知名度は抜群。人気ゲーム「モンスターストライク」のキャラとしても登場する(ちなみにバッハやベートーベンもある)。アニメ「ピアノの森」に出てくるショパンコンクールは実際のコンクールだし、出生地ポーランド最大の空港にはショパンの名前がつけられている。そんな偉大なショパンはロマンチックでエモーショナルなピアノの名曲を数多く残した。

ただ本人は、偏食偏屈コミュ障気味で病弱、なんか冴えない男感があり、肖像画も具合悪そうなのしかなく、それほどイケメンでもない(個人の感想です)。そんなショパンがジョルジュ・サンドという一流作家との恋愛で、偉大な作曲家へと進化を遂げた。

1810年 (0歳)
ワルシャワ公国(現ポーランド)に生まれる。

1817年 (7歳)
ピアノを習う。現存する最初の作品『ポロネーズ ト短調』を作曲・出版。

1830年 (20歳)
ウィーンでコンサートを行う。

1831年 (21歳)
パリでの演奏活動が軌道に乗る。

1835年 (25歳)
マリアに出会う。『別れのワルツ』作曲。

1838年 (28歳)
サンドとの交際が始まる。

1847年 (37歳)
ジョルジュ・サンドと別れる。

1849年 (39歳)
永眠

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当時の作曲家には珍しい奥手キャラ

幼い頃からピアノの才能を発揮していたショパンは、7歳で作品を出版し、8歳でプロの演奏家として活動するなど、華々しい音楽家人生の幕開けを故郷ポーランドで開始した。ワルシャワの音楽院で学び首席で卒業するなど、演奏家としても作曲家としても大きな期待を寄せられ成長する。好きな女の子もいたが、本人に告白できないまま、当時文化の中心だったウィーンへ移る。奥手なのだ。好色ぶり甚だしい作曲家ばかりの中でなかなかレアキャラである。

20代の頃のショパンの肖像画。

その頃時代は混沌としており、故郷であるポーランドのワルシャワで革命が起こり失敗に終わる。この時に祖国への思いを込めて作曲したのが、激情的なピアノ曲『革命のエチュード』である。この激しさと悲しみの吐露は、今聞いても心に迫ってくるものがある。

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この革命前後にウィーンでの立場が確立できないまま、ショパンはパリに移る。当時パリは市民革命後。市民の自由な精神が尊重され始めていたころだ。祖国ポーランドから亡命してきた貴族もあり、ショパンはこの文化の中心で自分の演奏を広めていく。

パリの社交界ではライバルとも言われたピアニストで作曲家のリストら数々の音楽家、詩人のハイネや、画家のドラクロアらとも知り合う。文化の香り高い文化人やその周りの富豪たちの支援もあり演奏会などで生計を立てる。

その頃奥手で真面目なショパンは一人の伯爵令嬢マリアに恋をする。若干16歳のマリアに焦がれたショパン。彼女の住む地方から去らなければならない時に一曲の美しいワルツを残す。しかし残念ながら、この恋は一旦受け入れられたかに思えたが、結局は実らなかった。簡単に言えばフラれてしまったわけだ。悲しみに打ちひしがれるショパン。実らなかった恋の残骸、愛するマリアからの手紙やバラをご丁寧に包んで、その包み紙に「ボクのかなしいもの」と書いた。あぁ、なんて純粋。中学生のよう。その不器用さには好感が持てるではないか。

とはいえ、当時のパリ社交界でそのピアノの腕前と、きらびやかな楽曲を生み出す好青年のショパンは女性たちに一応人気があった。病気がちで少し不器用で、青白い幸薄そうな男性は、ある意味女性の興味はひくものだ。そのひとりがジョルジュ・サンドである。

男装のスーパー肉食女子、ジョルジュとの出会い

1835年に描かれたジョルジュの肖像

男装の麗人、ジョルジュ・サンドは当時すでに作家として地位を確立し、パリ社交界で存在感を増していた。結婚して子供も二人おり、大人の魅力十分な年上の女性である。自信に満ちたこの魅力的な女性とショパンの出会いは、その後次々と生まれる名曲の大きな基礎となった。

数々の恋とスキャンダル、手練手管の女ジョルジュからみれば、若き才能あるピアニストで、不器用さや病弱そうで頼りない儚げなショパンの姿は、なかなか魅力的で興味深い対象だったに違いない。それまで自分が恋愛を繰り返してきた男性たちは、自身の夫や社交界の男性で地位も名誉もお金もある、いわばアグレッシブな推しの強い面々である。そんな手強い男性たちを男装で時には身を軽やかにやり過ごし、時には翻弄して奔放に恋愛をしてきたジョルジュにとってみれば、ショパンは新鮮な素材として目にとまったに違いない。

事実、ジョルジュがまだショパンを手に入れる前、自分の友人に宛てて長々と思いを綴った手紙を送っている。当時、別の恋人(ジョルジュは結婚しているので、愛人とも言えるが)もいるが、ショパンが気になってしかたがなく、仮にショパンが結婚してしまったとしたら、愛人でもいいかもしれないなどと書き連ねている。なかなか情熱的である。恋愛経験の少ない草食系男子がこのタイプの女性にロックオンされたら、たぶんそのまま落ちる。実際この後すぐに、ショパンはジョルジュと恋人関係になっている。わかりやすい。

優柔不断で病弱、「ピアノが弾けていれば幸せです」と控えめに礼儀正しくいうショパンと、奔放で決断力も行動力もあるジョルジュの対照的な二人。ジョルジュからしてみれば、恋愛経験の少ない内向きなショパンを翻弄するなど、子供に文字を教える以上に簡単だっただろう。

情熱を注いでその気にさせ、作曲を励まし、甘えさせて時々突き放しておく。自分の作家として仕事も忙しく適度に精神的な距離も保てる。自分もたまに仕事でうまくいかなかったり、気分が落ち込んだりしたら、優しいショパンの前で「私も今日は辛いな」って言っておけば優しくしてくれる。まるで純粋無垢な子供のようなショパンの愛情を受けながら、ジョルジュ自身が恋愛を楽しめばいいのである。

ショパンにとってみても、引く手数多の魅力的な女性が自分を翻弄しつつもずっとそばにいてくれるわけだ。才能ある年上の女性に自分の作品が認められ、心も体も充足していれば、仕事もうまく回っていく。

とはいえ、ジョルジュも遊びでショパンを単に翻弄していたわけではない。愛を注いで大事にしていた。ショパンの体調が思わしくなかったことを理由に、暖かなマジョルカ島に静養をかねて滞在したこともそうだ。偏食のショパンに野菜たっぷりのスープを作り、出来上がった曲をほめ、夜にはベッドで優しく慰める。ショパンに穏やかな生活を与えたこの島でできた楽曲が、今も残る名曲の数々である。

ジョルジュにフラれて失望落胆

ただ恋愛の情熱はかなり初期の頃に冷めていたと、ジョルジュは後に語っている。手に入れるまでは面白かったかもしれないが、子供のように無邪気で勝手なショパンに体を求められても、もう楽しくもなかったと。結婚もしていないカップルが、セックスレスでその後も生活が成り立つには、仕事への尊敬か、または相手への理解がないと継続は難しい。

8年の間、ジョルジュはショパンに献身的に尽くし、作曲活動を支え励ました。そしておそらく、自分自身もかつてのように恋愛遍歴を重ねていくには若くもないことに気がついていただろう。ジョルジュ自身がそこに価値を見出さなくなったとも言える。だからこそ、恋愛関係が失われていたとしてもショパンのそばに居続けられたのだ。

しかしジョルジュはある時気づく。いや、徐々に認めざるをえなくなる。この関係がもう色を失っていることに。ショパンの才能も十分味わった。目の前で煌く楽曲が生まれる瞬間にも立ち会った。そして自分もそこにエネルギーもお金も使ってきた。ショパンはショパンで遠慮も配慮もなくなってくるし、子供たちも大きくなった。

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晩年の1849年に撮影された39歳のショパン

「もういいかもしれない。終わっても」。アグレッシブな女性が一度決心をしたらそれは絶対に揺るがない。ジョルジュがショパンの元を去ったのち、ショパンは精神的に落ち込み、体調は悪化した。作曲もできなくなった。ショパンが寝込んだという便りを受け取っても、ジョルジュは二度と会うことはなかった。こういう女性は揺るがないのだ。そしてついにジョルジュと別れて2年後、39歳でショパンはこの世を去ったのである。

ショパンは死ぬまで、ジョルジュの髪の毛のひと房を大事に持ち歩いていたと言われている。それはちょっとキモい。そういうところだよ、と思わなくもない。残念ながら生涯を共にしたいとジョルジュが思えなかった片鱗を見た気がして、ショパンの楽曲が美しい分、居心地の悪さを感じる。

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1864年、ジョルジュが60歳の時に撮影された肖像写真

一方、ジョルジュはショパンと別れた後、やっぱりその魅力は衰えておらず、新しい恋人もできて人生を精力的に楽しんだ。作家としての活動も続け、保守的な社会への啓蒙活動を行なった。71歳で亡くなるまで、その自由でアグレッシブな生き方を貫いた彼女の視点からすれば、ショパンという才能豊かな男性のそばで、後世に残る作品を生み出したあの年月は、自分も作品の影の功労者であると心に誇りを持っていただろう。

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ピアノの詩人ショパンの美しい曲の多くが、こうしてアグレッシブな女性のもとで生まれ、そしてその人に去られると同時に楽曲が生み出されなくなったことを知るにつけ、世の男性諸君には心して、格上の女性と生きる難しさをショパンから学んでほしいと願わずにはいられない。そんなショパンが作った別れの曲を、あなたはショパンの気持ちで聞きますか? それともジョルジュを纏って聞きますか?

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音楽プロデューサー
渋谷ゆう子

株式会社ノモス代表取締役。音楽プロデューサー。執筆家。オーケストラ録音などクラシック音楽のコンテンツ製作を手掛ける。日本オーディオ協会監修「音のリファレンスシリーズ」や360Reality Audio技術検証リファレンス音源など新しい技術を用いた高品質な製作に定評がある。アーティストブランディングコンサルティングも行う。経済産業省が選ぶ「はばたく中小企業300選2017」を受賞。好きなオーケストラはウィーンフィル。お気に入りの作曲家はブルックナーで、しつこい繰り返しの構築美に快感を覚える。カメラを持って散歩にでかけるのが好き。オペラを聴きながらじゃがいも料理を探究する毎日。
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