魅力的でデキる女性を生涯惹きつけておくのがどれほど難しいかは、マーラーに学ぶといい。
素敵な女性と結婚できたからといって油断していたら、こんな不幸と苦しみがやってきますよという見本のような作曲家、それがマーラーだ。
1860年(0歳)
オーストリア帝国に属するボヘミア王国で誕生
1875年(15歳)
ウィーン楽友協会音楽院
(現ウィーン国立音楽大学)に入学
1888年(28歳)
『交響曲第1番ニ長調』の第1稿が完成。
ブダペスト王立歌劇場の芸術監督
1897年(36歳)
ウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)芸術監督
1898年(38歳)
ウィーン・フィルハーモニーの指揮者となる
1902年(41歳)
当時23歳のアルマと結婚。
『交響曲第5番嬰ハ短調』完成
1911年(50歳)
敗血症で死去
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『交響曲第1番第四楽章』を聴く】
恋する作曲家の暴走はすさまじい
早くから音楽の才能を発揮し、15歳でウィーンの音楽院に入学したマーラーは、オペラ指揮者としても地位を固め、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を勤めただけでなく、優れた交響曲も作曲した。その交響曲は今も圧倒的な支持を受け愛され続けている。 そんな素晴らしい仕事で成果を出し、地位を固めたデキる男マーラーが失敗しているのが、愛する妻アルマとの関係である。
20歳ごろのアルマ
マーラー41歳の時、熱烈な恋に落ちる。相手は、当時ウィーン社交界で最も麗しい女性と言われていた22歳のアルマである。有名な画家グスタフ・クリムトとも深い関係にあったとも言われる魅力的なアルマに初めて会ったマーラーは、その美しさだけでなく、機知に富んだ会話と、彼女の音楽的センスにも惹きつけられた。アルマはピアノの名手であり、すでにその頃には有名作曲家のもとで、100曲以上は歌曲を作っていた。いつかは自分でもオペラを書いてみたいと思っていたし、その当時の師である作曲家と恋愛関係でもあったようだ。
そんな才能ある美しい女性に一瞬で恋に落ちたマーラーは、早急な求愛をする。国立歌劇場音楽監督で、世界最高峰のオーケストラウィーンフィルの指揮も行うという、いわば当時の最高クラスの音楽家マーラーからの熱い求愛は、アルマにとってみれば誇らしいことだっただろう。自分が夢見る世界にいる年上の男性が、自分を求めている。断るわけがない。事実、二人は出会って3週間で婚約をする。
マーラーは有頂天になった。作りかけていた交響曲第5番に、アルマへの思いを存分に盛り込んだ楽章を入れ込む。交響曲は通常4楽章で構成されるが、ここにアルマへの愛情発露ともいえる第4楽章アダージェット、通称「愛の楽章」と呼ばれる部分をねじ込み、この交響曲は五楽章構成になった。ついでに言えば、この交響曲出だしのトランペットのファンファーレは、メンデルスゾーン作曲の結婚行進曲っぽい。マーラー浮かれすぎ。恋する作曲家の暴走はなかなか激しい。
交響曲第5番第四楽章アダージェット
弦楽器とハープで奏でられる甘く美しいこの楽章は、ビスコンティの映画『ベニスに死す』に使われたことでも有名である。愛を得て、また愛を差し出す恋人同士の見つめ合う温度と官能的なうねりが見え、その親密な空気感は、性愛を含む音楽として他の追随を許さない出来栄えだ。簡単に言えば、めちゃくちゃロマンチックで甘く切ないので、恋する皆さんにぜひ聞いてほしい。間違いなく、今すぐ好きな人に会いたくなる。
だが一方で、この愛の楽章に垣間見えるほんの少しの違和感が、つまりはそれがマーラーの思い込みや暴走に端を発するわけだが、アルマと心がすれ違い、いつしか大きく傷を開いていく原因にもなった。
妻の気持ちを踏みにじる、マーラーの関白宣言
才能ある美しく若い女性が、自分の目指す先で地位を固めている男性から熱烈な愛を受けたら、自分の未来をその世界に見据えたことは想像に難くない。自分の夢見る場所にいる男性と一緒なら、その人に自分も開花させてもらえるかもしれないと思ったに違いない。アルマは当時付き合っていた、そして自分も教えを乞うていた作曲家と別れてマーラーを選んで婚約に至る。しかしその未来へ希望は婚約中にさっさと破られる。マーラーはアルマに宛てて旅先から長い手紙を送った。そこにはもちろん愛の言葉があるが、一方では、お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがあるかのように、「家に作曲家は二人はいらない」だの、「家庭にはいってほしい」だの、「僕の音楽家生活を支えてほしい」と言い、一方で言い訳するように「でもご飯作って身の回りの世話してくれる女中にしたいわけではないから安心して」とのたまう。
確かにこの時代は女性の地位は低かったが、すでにウィーンでは妻が夫に変わって文化サロンを切り盛りしたり、女性写真家が人気を博したりと、才能ある女性がどんどんと社会進出を始めていた。そんな進んだ都市でマーラーは関白宣言をしていたわけである。これほどの才能ある女性を前にしてなお、彼女自身の人生ではなく、自分の音楽活動をまず優先しろと言い切ったわけだ。
アルマはこの時のことを後に「冷たい手で心臓をもぎ取られたようだった」といい、日記にも「華やかなことを望む鳥の足に鎖が繋がれている」と書いた。それでもなおマーラーと結婚したのは、マーラーの才能や地位だけでなく人間的な魅力に惹かれたからだと思いたい。事実、アルマは作曲活動をやめ、マーラーの書いた楽譜を手書きで清書し、アメリカの仕事にも同行してサポートを続けた。自分の思いを曲げてでも、献身的に夫の才能と仕事に懸けたのだ。
妻に浮気をされて病んでしまう
そんなある種マーラーにとっては心地よい日々は10年ほどで終わりを告げる。二人の間に生まれた娘がたった4歳にして亡くなり、ショックを受けたマーラーは心臓発作を起こした。これを境に積み上げたものが総崩れになる。マーラーはウィーン国立歌劇場の職を失い、アルマは流産も経験し精神的に不安定になる。その静養もかねて訪れていた避暑地で、アルマは一人の才能ある男性に出会う。この魅力的な男性は、のちにドイツの近代建築の巨匠となるヴァルター・グロピウスである。グロピウスはアルマに惹かれ、不倫関係にのめり込んでいく。アルマ32歳の時だ。才能ある男を虜にする魅惑的な何かをアルマは生涯持ち続けていたようだ。
グロピウスとの不倫は、すぐにマーラーの知るところとなる。その際のアルマのキレっぷりが素晴らしく、魅惑的な女性のある種テンプレなので、ぜひ男性諸氏は覚えておいてもらいたい。自分の不倫を完全に棚上げして、「あなたが構ってくれない、私を大事にしてくれないから他の人に愛されているだけであって、それのどこが悪いの? 寂しいからよ? 浮気したのはあなたのせいよ!」である。
いいですか皆さん。これを言われたらもう諦めてください。相手を好きなら許すしかないです。自分のそれまでの行いを反省してください。マーラーもちゃんと許しました。大事なことなので2回言いますが、マーラーほどの男でさえ、許しました。構ってくれないから浮気したと言われたので、構い続けました。アルマを失いたくなかったから。マーラーは心を入れ替えてアルマを気遣い続ける。アルマの言うことは何でも聞いてあげる。いいですね。この猛反省ぶり。関白宣言が嘘のような敗北宣言だ。
しかしその結果、今度はマーラーが精神を病んでしまった。この時にマーラーを診察したのが、かの有名な精神科医フロイトである。病んでいくマーラー。一方で実はグロピウスとの不倫が終わっていないアルマ。手に入れたものは、絶対にもう手放さないというアルマの強い思いも垣間見える。マーラーによって取り上げられたものを、これ以上作りたくはないという強い意志がそこにあるように見える。残念なことにこの後二人の関係は修復することなく、マーラーはほどなく亡くなってしまう。
多くの天才と浮名をならした芸術界の“あげまん”
マーラーが亡くなった翌年、アルマは悲しんでいるかと思いきや、やはりエネルギッシュなモテ女は一味違う。グロピウスとは別の恋人もいた。今度は画家オスカー・ココシュカである。この熱烈な恋愛もまた、素晴らしい絵画に昇華されている。アルマ恐るべし。しかしその数年後に元さやでグロピウスと再婚している。とはいえ、もうお分かりにようにモテ期継続中のアルマは、今度は小説家フランツ・ヴェルフェルと不倫関係になり、離婚してヴェルフェルと3回目の結婚をした。
その後、第二次大戦中に二人はアメリカへ亡命する。亡命先でアルマはストラヴィンスキー、シェーンベルク、コルンゴルトなど才能あふれる最先端の音楽家たちを招き、サロンを運営し音楽界に大きな影響を及ぼした。84歳で亡くなるまで、彼女の周りには常に様々な分野の一流の才能ある男性がいた。クリムト、マーラーをはじめ三人の夫たち、シェーンベルグ。彼らを引きつける魅力とそれを自分の手に集約していくエネルギーが彼女にはあった。3番目の夫ベルフェルでさえ、「アルマ最後の夫」と形容されるくらいに。
甘く美しいマーラー作曲の交響曲第5番のアダージェットを、もしあなたが今聞いたらなら。そこには恋人への甘く切ない思いだけでなく、どんなに一流の仕事ができても一人の女性すら手に入れ続けられなかった、優秀な男の隠れた哀愁も感じてもらえることだろう。
現在ウィーンにあるアルマの墓は、マーラーの墓の背中合わせの少し斜めになったその先にある。決してもう顔を合わせたくはないけれど、かと言ってそばにいたくないわけでもなかった。そんなアルマの屈折したマーラーへの愛情もまた、こうして今も音楽と共に残っているのかもしれない。手に入りきらなかった二人の心と希望のすれ違いは、少し、苦い。