東京高円寺でお店を構え「妄想インドカレー」という架空のインドカレーを作っている僕たち夫婦は、日本各地積極的に動いては、お店を飛び出してカレーを作っています。飛び出した先にあるのは現在進行形の街の姿、ニュー風土。街の隙間を覗くことで見えてくる魅力的な個人商店たち。
砂の遊び場、カレーは山羊
きっかけは、絵描きの木下ようすけさんだった。もともとハードコアのバンドでドラムを叩いていた木下さんは、ツキノワグマのような風体で、こんがらがった子供の夢を可視化したような絵を描く人。名古屋で個展をすることになったから、オープニングパーティでカレーを作らないかと言われ、妄想が膨らむ。
個展のテーマは木下さんの息子さんが一日の終わりでよく呟く一言「いい一日だったね」。一日というフレームで強制的に切り取られた、悲喜交交のベリーショートストーリー。現実世界に出没した、一見すると奇怪な要素たち、でも時間が流れていくと自然と共存できていたりする。生きていくってたくましいし、愛おしいと再認識する。
木下さんの世界観を想像しながら、八百屋をうろつき、カレーを煮込んだ。野趣溢れる山羊肉、耽美に熟れたプラム、微かにエキゾチックな風景が目に浮かぶホーリーバジルなど。自分たちも景色を身体で捉えて、食材を選び、火を入れ、香りをつけてストーリーを描くようにカレーを作る。そして、カレーを食べながら会話して、相槌をうったり、共感したり、驚いたり、笑ったりできたら、いい一日だ。
木下さんの展示を企画したのは、覚王山のギャラリースペース「オフザレコード」の店主・GOさん。表の顔は、名古屋市内、東京とヘアースタジオを何店舗も運営し、人懐っこい笑顔で仕事をこなすタフな男。
オフザレコード、通称オフレコ。彼はここに好きなものを集めて隠しておいて、たまにやってきたと思えば選りすぐりの作品を壁に飾って照明を当ててみたり、それに合ったレコードを流してカウンターでお酒を飲んだり。
いつ開くか分からないその部屋の、扉が開いてることに気づいた大人たちや「あれ今日やってんの?」と近所の常連のじいさんも集まってきた。大人の秘密基地という、口にすると恥ずかしくなりそうなその言葉がしっくりくる。
オフレコは砂の部屋だ。この物件を借りた時にあった床のタイルが気に入らなかったから、床に砂を敷き詰めることにしたという。安直な理由で生まれた都会の砂浜は世話もかかるそうだ、毎朝水やりをしないといけなくて大変だとGOさんは笑っていた。
さて、出張の醍醐味、余白の時間。もっと深く、名古屋の奥に潜り込みたい。そうか、名古屋、覚王山と言えばHAOHAOHAOのキャオリンがいるじゃないか。膨大な数の念仏や唄が収録されているブッダマシーンを、アジア諸国を中心に世界各地その身一つで探し歩き、好きが高じて、オリジナルのマシンまで製造してしまうほど突き抜けた変わり者。彼女とならきっと面白い名古屋が見られるはず。
「私、車を運転するのでご飯食べに行きましょう」
片側4車線の大通りが当たり前のように縦横に引かれている町。暴力的なアスファルトからの放射熱に覆われた灼熱の道を走り始めた。威勢良くアクセルを踏み、迷いなく一方通行の道を逆走しそうになるので、僕たちはひゃっと慌ててしまうが、肝が座っている彼女はすぐさまハンドルを切り替え走り出した。
「どこ曲がるか教えてください」「出口指示してください」
名古屋環状線を海へ向かうと、周りを走っている車がトラックばかりになっていく。僕たち夫婦は地図が読めないポンコツナビゲーター。彼女のハンドルを握る手に力が入ったことに気付く。
環境レーンなる誰も走っていない車線に逃げ込む我らが軽自動車。まくられ、譲られ、一回降りちゃったり巻き返したり。複雑すぎる名古屋の道路。砂埃が舞う湾岸沿いの工場群を抜けて、辿り着いた食堂。
幻の食堂
天白川から伊勢湾へと流れていく水を見送る格好、小さく佇むバラック小屋の中はなんだか清浄で、作業服の男たちがひっきりなしにやってきては静かに飯を食い、帰っていく。両壁には周辺の工場から毎年送られているのであろう大小のカレンダーが数十枚ずらりと並んでいる。どれも真っ白で、全てのカレンダーの同じ日付に赤丸がついている。美しい。ブラウン管テレビの音量は大きすぎず小さすぎず、4人がけの事務机のようなテーブルで大きな男も小柄な男も小さな茶碗山盛りに盛られた米をつつく。
「茶碗、赤」米の量と味噌の色を選ぶだけ。ショーケースに並べられたおかずから好きなものを選ぶだけ。静かに食べて、帰るだけ。全ての人のお会計が500円を切っている。なにより、美味い。ゴーヤチャンプルもきんぴらもキャベツの漬物も梅干しも全部美味い。街の端のこの場所で、求められ続ける店の在り方がここにある。ああ、でもきっとあれは幻だったんだ。環状線をぐるぐるしてるうちにポッと迷い込んでしまった別の空間だったんだ。
キャオリン曰く名古屋の人はみんな知ってる、何でも貸してくれる近藤産業だけをリアルに感じながら僕らは都会へ戻るのだった。
都会に潜む、架空の数学者。
名古屋に来たら必ず立ち寄りたいお店。ブルバキという眼鏡屋。フランスの若者の数学者集団が、論文を提出する際、でっちあげた架空の数学者の名前。ブルバキ。
新栄の大通りに面しているが外の喧騒を他所に、いつ訪れても静かなビルディング。ホラー映画のようなタッチで「シャインビル」。光を思わせるのか、黄色のペンキの手描き感、なんとも秀逸で、胸を突く。ブルバキはこの中にある。
築50年以上と風格たっぷりだが、住居者は少なく、外の眩しい光が嘘のように生活音がしない。薄暗い階段を昇り、も抜けの空の部屋もいくつも通り越して、突き当りの部屋。「眼鏡」と書かれた扉の前に立つと、いつ来ても少し緊張する。
昔、高円寺の洋服屋さんから「“意図的に”客を緊張させにいく」という話を聞き、なるほど物の購買において親しみやすさと真逆の方向での接客が、却ってその物の価値を高めていることもあるのかと首肯したものだが、ブルバキの店主にもそのような意図があるのだろうか。
扉の重さに見合った店内の静けさ、ふっと耳に入るBGMで音があることに気がつく。鯖江の職人手彫りの彫金が施されたオリジナルの銀眼鏡が並ぶショーケース、奥には店主、生田君の姿。
「色々な威圧感が出ないように気をつけています」
眼鏡業界という大局を見てきた彼が、たった1人でつくることを選んだブルバキという“店”。彼はブルバキの思考を垣間見ることの出来る扉を、ブログの中に用意している。ブログという今やズレのある媒体に、彼はブルバキの性癖を記録し続けている。
店頭では客からの問いかけがあるまで多くを語らない。人を威圧してしまうほどの自我が、ブルバキには潜んでいるのかもしれない。
目の前の眼鏡を見る。格好良いじゃないか。大振りなデザイン、色調のもの、素材の極みのように繊細なもの、普遍的な眼鏡という役割を担うそれぞれが、時代の意思を持って作られている。当時の高級感、かつての最先端。時を経て、時代の意思が価値となり、店主の新たな視点でもって陳列されているのだ。
気になる眼鏡があったらかけてみる。「踊り狂ってた80年代享楽の時代の最中の、早すぎたプリミティブ、ですかね」。価値を懐かしむのではなく、生田くんの眼鏡を通して価値を再構築しているような、うっとりする表現でその魅力を教えてくれる。
何個も積み上がった箱の中をパパパっと見せてくれる。フィッティングが驚くほど丁寧で、少しうとうとしてしまう。腕の良い仕立て屋にオートクチュールを誂えてもらったような、ふわふわした気持ちになって店を出る。そして気がつくとまたあの扉の前に立っているのだ。
名古屋、大都市だ。ブルバキ店主の言葉を借りるなら“バリシャキの都会”。それでもどこか、いなたさを持つ町。伝統や慣習を誇示しているわけではなさそうなのに、街の個性がはっきりしている不思議。誰かが言っていた「名古屋の人は出ていかない」という言葉がよぎる。出ていかない人々が変化し、動かし続けてきた街だからこその独自性なのかもしれない。
主の社交性で持って生み出される突発的な空間も、港の片隅で不変に存在している食堂も、過去から未来へ価値を創造し続ける眼鏡屋も、そんな名古屋という未来都市の中に息づいている。
出張の記録
photo by @shimada_masafumi
photo by @shimada_masafumi
=妄想インドカレー定食=
✳︎山羊と夕顔と麦味噌のカレー
✳︎ゴーヤと花椒のアチャール
✳︎ビーツとカフィアライムのアチャール
✳︎沖縄マンゴーと老酒のプルドポーク
✳︎デストロイヤとレモンペッパーのフライドポテト
✳︎完熟プラムとホーリーバジルのライタ
✳︎つるむらさきとすだちのアチャール
=special=
✳︎鴨とパッションフルーツのアチャール
✳︎桃とマスカルポーネのラッシー
PICK UP
愛知県名古屋市千種区覚王山9-14 第二ことひらビル 1A
愛知県名古屋市中区新栄1-6-3 シャインビル201