東洋のガラパゴス、小笠原諸島。実は東京都に位置することをご存知だろうか。とは言え、その道程はなんと船で片道24時間。海外より遠い島とも言える。
交通手段は、東京の竹芝桟橋から出る、週に1便の定期船「おがさわら丸」(通称「おが丸」)のみ。不便に感じるかもしれない。しかしこの限られたアクセスこそが、小笠原の手つかずの自然を守り、小笠原旅をさらに豊かなものにする。
おが丸の船内には、レストランやシャワーもあり、意外と快適だ。デッキから、通り過ぎる島や夕日を眺め、風に当たる。電波の届かない時間を過ごす。そうして、時間をかけて日常の喧騒から離れていくこと自体が、すでに旅の入り口なのだ。
では、往復丸2日をかけてでも行きたい、小笠原諸島の魅力とは何なのか。トラベルプロデューサー、堀真菜実が「人生に一度は行くべき小笠原旅」を紹介する。
世界のどこより美しく、生命を感じる海
「小笠原の海を見ないのは、世界の海の半分を見ないのと同じ」。
どこかのダイバーがそんな言葉を残したそうだが、ダイビングをしない私でも、そう思う。小笠原では、海のあらゆる顔を見ることができる。これまで世界のビーチリゾートも訪れてきたが、「もう一度あの海が見たい」という衝動から再訪したのは、唯一ここだけだ。
深さによって色を変える海は、見飽きることがない。浜辺に立つと、足元で砂を静かに動かすのは、澄み切った波だ。これが海上に出ると、浅瀬ではエメラルドがかったライトブルー、沖では透明感のある深い藍色に見える。どの色のときも、水面が日を細かく反射して、溢れんばかりに輝いている。
この藍色は、「ボニンブルー」と呼ばれる。かつて小笠原が「無人(ブニン)島」と言われたことに由来するのだが、確かにわざわざ名前をつけたくなる気持ちがわかる。先人たちも、世界のどことも違う、この海の美しさを指す色を知らなかったのだろう。
小笠原の海は、生物の宝庫でもある。カラフルなサンゴ礁を乱舞する熱帯魚、固有種の魚に、マグロの群れ。イルカやクジラに出会える確率もかなり高い。ある日には、数十頭のイルカたちに船を囲まれて一緒に泳ぎ、夕暮れのSUPボードから、夕焼けをバックに跳ねる十数頭のクジラたちを目撃し、夜の散歩中に、ばったりウミガメの産卵に遭遇した。(もちろん、しっかり距離をおいて見守った)。こんなことが他の場所であるだろうか。この海では、生き物を見に行くというよりも、生き物たちの棲む大自然におじゃましているという感覚がずっと正しい。
人との出会いが、最後の一瞬まで感動を生む
小笠原諸島は、日本にたった4ヶ所しかない世界自然遺産だ。ここでしか見られない固有種の生物が棲む森林、日本一とも謳われる星空……自然の見どころは語りきれない。それでも、熱狂的なファンを生む最後のひと押しは結局のところ、人である。
まずは観光客同士の繋がり。同じ定期船で旅に出たメンバーは、島にいる期間も、帰りの便も、大抵同じだ。船だけでも48時間を共にするのだから、自然と顔見知りになる。登山では一緒に汗をかき、帰る船では思い出を語る。ついには意気投合し、次回は一緒に小笠原へリピートする人も珍しくはない。
そして、島の人との出会い。小笠原に到着した観光客の最初のミッションは、船着き場で出迎える島民の中から、自分が宿泊する宿の人を探し出すことだ。小笠原は民宿が中心なので、ここで出会う宿のご家族は、同じ空間で食事することもあるし、困ったときに相談する相手でもある。島での頼れる存在だ。
また、滞在中はボートで海上に出るときにはもちろん、山や森に入るときにも、ツアーへの参加が必至だ。諸島の大部分は保護対象となっているため、整備された公道以外の場所へは、ガイドの同行が必要となる。つまり、普通に観光をしていると自ずと島の人たちと関わることになるのが、小笠原なのである。
これらの出会いは、島を出発する日に、忘れがたいものとなる。おが丸の出航日は、見送りのために、島中の人が港に集まる。宿、ツアー、食事処、商店の人たち……皆がやってくるので、乗船した船のデッキから港を見渡せば、必ずや島でお世話になった人が見つかる。思い出と名残惜しさが一気に湧き上がる瞬間だ。
いよいよ船が出る時、島民が一斉に口にする言葉はこうだ。「いってらっしゃーい!」。小笠原の人は別れの挨拶を言わない。だから、私たちも「ありがとう、いってきます」と返す。戻って来ると心に決めて。
見送りには、まだ続きがある。船着き場が見えなくなるまで手を振りあうと、今度は、何隻もの船がおが丸を追いかけてくるのだ。安全な航海を祈るかのように、しばらくおが丸を囲んで併走したあと、その乗組員たちは、「いってらっしゃい!」と叫んで、次々と海へダイブしていく。その間、数分やそこらのことではない。最後の一隻が見えなくなる頃には島は遥かかなただ。
旅先を後にする瞬間は、寂しさがつきものだ。だが小笠原の旅は、この熱いフィナーレが、最後の一瞬まで感動させてくれる。
ふと海へ目と向けると、確かに藍色ではあるのに、あのボニンブルーでなくなってしまったことに気付く。私たちは、小笠原から離れつつあることを実感しながら、島での出来事と光景を反すうする。そしてまた24時間かけて、ゆっくりと日常へ戻るのだ。
他にはない大自然と、効率なんぞものともしない、もてなしの心。利便性の時代に、絶海の孤島へのリピーターが絶えない秘密は、ここにある。