20代の頃、自分の健康について真面目に考えたことなど一度も無かった。25歳で会社員になった時、誰から教わったわけでもないが「飲むのも仕事のうち!」という考えに取り憑かれ、得意先の接待中に浴びるほど酒を飲んだ。先方からの評価は上々だったが、上司からは「お前。もうそれ以上飲むの、やめろ」と叱られた。また、ある日には連日の不摂生で浮腫んだ身体に鞭打って、真夜中の恵比寿に繰り出した。スノッブな食事会に出かけては、シャンパンをガブ飲みして会話が楽しいフリをする。仕事もプライベートも充実させるべく、周囲から誘われるがまま華やかな場所へ出没し、日夜、退屈を誤魔化すようにして笑顔を作っていた。
ストレスによる暴食とPMS
しかし当然、こうした接待や食事の席を終えると、いつも「疲れた」という感覚だけが手元に残る。過剰なアルコール摂取が止まらず、慢性的な睡眠不足が続く。人生設計に焦り、体重も全く減らない。浮腫んでいない時の顔を思い出すほうが難しいフェイスラインと、冷蔵庫にはキンキンに冷えすぎた酒。こうした「その場しのぎの生活」を過ごすうちに、いよいよ28歳で身体が言うことをきかなくなり、勤めていた会社は辞めざるを得なくなった。
そこから3年の歳月が経った。現在31歳になった私は、フリーランスの作家・ライターとして収入を得ている。会社員時代のように無理に自分の生活を誇張させるような虚栄心は捨て、すべて万事順調…のように一度は思えた。しかし、人生はそう簡単に上手くいかない。抜本的な問題解決はしていなかったのである。引き続き睡眠不足は続き、原稿の校了前は平気で2~3時間の睡眠が続く。
少しでも気を抜くと、現実逃避のために高カロリーな食べ物を食べ、「執筆の景気づけに」という我ながら意味不明のロジックで牛丼もラーメンもステーキもガシガシ食べた。さらに、これだけの量を食べていても気持ち的には原稿のことだけを考えたいから、食事の際は食べ物をよく噛まずに丸呑みするようにして済ませていた。もっとも「これはヤバいかもしれない」と懸念した点がある。
それが、PMSの症状だ。
私は原稿の締め切りと生理前が重なると、「全てを投げ捨てて、もうどこかに逃亡したい」、「色々と無理かもしれない」という得体のしれないヤバい精神状態に陥っていたのだ。生理がくるごとに穏やかにメンタルは終了し、悲しいことがなくても涙が出たり、尋常じゃない食欲が湧いたりする。
イライラしすぎて他人と“普通の会話”ができなくなることもあった。しかも、なぜかこの時期になると対人関係で「自分は嫌われているのではないか?」という謎の猜疑心を抱くのだった。
山梨の漢方薬剤師との出会い
悶々としていた2021年春、ある漢方薬剤師と出会った。彼は「漢方坂本」という、三代続く漢方薬局を営んでいる坂本壮一郎氏と言った。その存在を知ったのは、私が尊敬する先輩の作家からの紹介であった。ある日その先輩と食事をしながら、PMSを迎えることが怖いことやメンタルの不調を訴えたところ、この薬局について教えてくれたのだ。ところが、場所は山梨の甲府だという。
ムリ。
あまりにも東京から離れている。さらに公式ホームページを見てみれば、「お電話でご相談の上、当薬局に直接お越し下さい」と書いてある。自分は、山梨まで行けるだろうか。わざわざ漢方のために。我ながら怖気づいた。
しかし、ある日、思い切って薬局に電話をかけてみたのである。電話口に出たのは壮一郎氏本人で、穏やかな口調で問診の日程など調整してくれる。もはや藁をもすがる思いであったため、症状を聞かれた瞬間、言葉をオブラートに包まず「生理前に絶望するんです」と言ってしまう。しかし彼は、神妙になりすぎることもなく、「なるほど、なるほど」と淡々と相槌を打ってくれた。
東京駅から甲府駅まで、どんなに頑張っても2時間はかかる。当日は、もはや小旅行の気分だった。特急かいじ35号に乗り、変わりゆく景色を眺めるうちに、私はいつからこんなにも鬱々とした身体を手に入れてしまったのだろうかと考える。
会社員時代も自分の身体の優先順位は低かったが、作家としてデビューをした2019年頃から随分と肉体的な無理が祟っていた気がする。寝る間を惜しみ良い作品を書き続けることだけが大事だと思い込むあまり、「休んでしまえばそこで試合終了」だという恐怖と常に戦っていた。
誰にも強要されていないのに無理を続けるそのスタンスは、まさに「ひとり社畜スタイル」だと思った。冷静に分析してみると、疲労困憊まで頑張るという状況を作り出すことで、“努力の免罪符”にしたかったのだと思う。
こうした考えが堂々巡りをするなか、しばしのうたた寝を挟んで甲府駅に到着する。肌寒い空気を感じながら細い道に入り込むと、すぐに薬局は見つかった。外観を見て、すぐさまハッとさせられる。店頭はガラス張りになっており、無数の生薬と、白い花を付けた樹木が綺麗に飾られており実に美しい。その後ろには桐製と思われる漢方棚が置かれ、陽の光が差し込むとガラスに反射して見惚れるほど綺麗だった。
まるで、ジブリの世界。どうも街の小さな薬局と呼ぶには、相応しくない。細部に魂が込められすぎている。今になって緊張してきた。そのまま吸い込まれるように店内に入ると、そこは見たこともない漢方がずらりと並んでいた。
「いらっしゃいませ。ちょっと座ってお待ち下さいね」
白衣を着た女性の声に促される形で、隅に置かれた木製の椅子に座る。促されたその椅子も、葡萄が二房掘られた美しい椅子だった。やや緊張しつつ、握りしめていたスマホのメモ帳アプリを開く。
・生理前に絶望する
・常に身体が浮腫んでいる
・食欲がコントロールできない
・鬱々としており、毎日なんだか本調子ではない
・全てを投げ出して現実逃避したいときがある
説明する際に言葉が詰まらないように、何度も今の症状の説明をシュミレーションした。おそらく私の症状は、全て精神的なものからくるものだろうと睨んでいた。この数年間で脱サラしてフリーランスの作家になり、夜なべしては原稿を書き、泥のように働く日々を繰り返し行っている。我ながら尋常ではないプレッシャーと常に戦っているため、疲労が限界に達して身体が悲鳴をあげているのだろうと予測した。
しばし待機していると、店の奥に設置されたカウンセリングスペースに呼ばれた。着席すると、髪をひとつに結った白衣の男性が現れる。坂本壮一郎氏本人だった。一見すると鋭い目つきだが、丁寧に挨拶をしてくれる姿が実に穏やかであった。
会話を進めていくうちに、気づいたことがある。それは、これまでに経験してきたどのような問診よりも、ここの薬局の問診はじっくりも丁寧に行われているということだった。普段の起床・就寝時間に始まり、いつも何時頃にどのようなものを食べ、どのようなことを感じ、どのような生活を送っているのか細部までじっくりと共有していく。
「これは取るに足りないだろう」。そう勝手に自分で判断して発言を躊躇うようなことも、彼は懇切丁寧に引き出してくれた。舌を見せたり、爪を見せたり。相談の途中、彼は笑いながら、「大木さんの語気を感じていました。肌ツヤにも力があります。本来は凄くお強い人です。きっと大丈夫です」。
しばらく経過したところで、私は緊張しつつ本音を打ち明ける。
「先生、私、一連の症状は全て自分の『心の問題』なのではないかと思うんです」
すると、彼は少し考えてから、こんなことを言った。
「もちろん心がお疲れということも考えられます。しかし」
「しかし?」
「僕は、これまでの話を聞いている限り、おそらく一連の症状は肉体的不調が原因なのではないかと考えます」
「はぁ。肉体……というと、具体的にどこの部位です?」
彼は、伏し目がちになると、ひと息に言った。
「これ、おそらく『胃』なんです」
「胃ですか……!?」
意表を突かれたことで、私は驚きを隠せなかった。
漢方だけに頼らない治療
壮一郎氏いわく、このような見解だった。
「これは多分、長い間なんですけど……。大木さんは、人生の大部分を、深くリラックスすることが出来ていない環境にいたのではなかと」
「え?」
「人間って、通常は緊張したり興奮したり、リラックスしたりという状況が等間隔で波打っているんですが、現状どうなっているかと言うと『緊張と興奮』だけが続いているのかなと」
「…なるほど」
「もちろん、そういう生活の中で、仕事上の期待だとかいわゆる大きくひっくるめた『外部的かつ精神的なストレス』というのは当然あるんでしょう。ただ…」
「ただ?」
「精神的な問題だけじゃないです。うん。多分これは体の問題です」
そこから彼は、私の身体の状況を懇切丁寧に分析してくれた。一言一句漏らさぬようにそれを録音しながら、私は驚く。聞けば聞くほど肉体的な不調が原因であり、それに対して自分が間違ったアプローチばかりをしていたことに気づいたからである。
また、彼は漢方による治療を続けていくだけではこの体調を完全することは不可能であり、生活習慣がいかに大切であるかということについても説明してくれた。
「漢方だけで改善しようと思ってはいけません。今の生活を変えず、薬だけでこれらの症状を全部変えるのは不可能です」
まっすぐに私の目をみて真実を伸べてくれた彼のことを、私は強く信じてみたいと思った。そこからはさまざまな生薬の香りを匂い、自分の症状に合った薬を選んでいく。人生初めての「漢方相談体験」は、実に興味深かった。壮一郎氏はその日、数日間分の漢方を渡してくれると最後に言った。
「一度の相談で完全に症状が改善に向かえばそれはそれで素晴らしいですが、少しずつ身体に適応させていけるように調整していきましょう。もし体質に合わなければ、遠慮なく仰って下さい。そして最終的に、漢方を飲むことを辞められるところまでもっていきましょう」
と。漢方薬剤師なのに、漢方を辞められるように促す。その考え方に、彼の漢方の専門家としてのプライドを感じた。「処方したら終わり」ではない。長く付き合っていくものだからこそ、目の前の相談者に対して一件一件、誠実な治療が行われていることに涙が出そうになるほど感動した。
現在、この薬局で選んでもらった薬を飲み始めて5ヶ月ほどが経過した。いま私は、穏やかに自分の身体が変わっていることを実感している。身体の浮腫んだ感覚はじょじょに薄れ始め、身体が軽い。今では暴飲暴食をしなくても、必要な分だけ身体が「食べたい」と欲してくれるようになった。
しかし、壮一郎氏が言ったように、私は漢方にだけ頼っているわけでもなかった。筋トレも1日数分、毎日続けている。こうした努力も、漢方と掛け合わせながら正しく積み重ねていきたいと思えるようになった。
漢方坂本に出会えたことで、私は全ての悩みや不安が全て解決したわけではない。しかし今、確実にQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が向上したことだけは間違いないのである。
※あくまで著者個人の経験に基づく体験談であり、漢方の効果・効能を約束するものではございません。尚、本記事につきましては坂本壮一郎氏に承諾を取っています。