演劇界において、いま急激に知名度を上げている関西発の劇団「南極」。個性豊かな劇団員にあてがきしたポップなキャラクターや、SFを軸とした物語が特徴でありつつ、その世界観の鍵を握るのは、舞台を埋め尽くすほどの物量の美術にあるように感じる。
南極の舞台美術の材料として使われているのは、段ボールなどの安価なもの。一見するとチープになりそうな、手作り感満載の美術の数々だが、むしろこの美術であることが南極のポップさに拍車をかけているように思えてならない。
南極の美術がどのようにして作られているのかを入り口に、南極という劇団の魅力を紐解いていきたい。

南極
とびきりキュートな10人によるゆかいな劇団。2020年春の誕生以来、“どきどき、わくわく、ちょっとこわい”演劇をつくっている。劇団員全員が俳優であり、自立したクリエイターとしてそれぞれの創造力を持ち寄り作品に臨む。
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非効率であることが、南極の面白さ
―― 南極が作る演劇は、舞台を埋め尽くすほどたくさんの美術が登場するのが印象的です。物語を彩る美術について、どのようなことを意識して制作していますか?
こんにち博士:僕たちの美術は、やっぱり量の多さが特徴だと思いますね。もともと多くしようと思っていたのではなく、結果的に多くなってしまったというのが正しいです。ただ、前々作である『wowの熱』のあとからは、意識的に物量を増やすようにしています。

――何かきっかけがあったんですか?
こんにち博士:僕たちの演劇の作り方って、すごく非効率的なんです。そもそも演劇自体がコスパ悪いよねって話でもあると思いますが、南極の場合はメンバー全員で美術を手作りして、終わったらすぐに壊してしまうわけです。世の中がどんどん効率化していく中で、こういった非効率性とどう向き合うべきなのか、悩んでいました。

(左上から時計回りに)瀬安勇志、古田絵夢、こんにち博士、ポクシン・トガワ
こんにち博士:そんなとき『wowの熱』に、関西を拠点に活動する劇団不労社の代表である西田さんが来てくれたんです。西田さんは「演劇は過剰であるべきだ」とした上で、南極の演劇に対して「過剰で良かった」という感想をくれて。それが、南極のあり方を肯定してくれたように感じて、すごく嬉しかったんですよね。

――演劇は過剰であるべき。
こんにち博士:演劇において、舞台上にものをたくさん出すのは、あまり美しくないじゃないですか。でも、逆にものを大量に作って舞台に上げることにこそ、南極の面白さがあるんじゃないかと思うようになりました。効率的であることを求められる現代において、非効率的であることはむしろすごい武器なのかもしれない、と。
――「実際にはそこに無いものを“ある”」と信じさせることができる演劇という表現においては、真逆の方向性と捉えることもできそうですね。ただ、そんな美術をすぐ壊してしまうと聞くと、もったいなく感じます(笑)。

(左から)九條えり花、揺楽瑠香、井上耕輔
九條:数は多いけどそれぞれにめっちゃ愛情を持って作ってるので、本当はもっと感傷に浸りたい気持ちもあるんです。でも、千秋楽が終わったらすぐに片づけて劇場から撤収しないといけないんですよね。
井上:千秋楽だと、もう出番ないなってモノは、本番中でもどんどんバラしていきますね。
九條:今後も使えそうなものとか、作品の象徴的な美術は、少しだけ残すこともあります。
瀬安:ただ、僕らの技術的な問題もあって、千秋楽の頃にはもうボロボロで、これ以上使えないことも多くて。仕方なく壊すしかないということもありますね。

(左から)和久井千尋、端栞里、ユガミノーマル
南極の美術の作り方
――今は次回作である『SYZYGY』の準備期間とお聞きしています。普段、物語の美術はどのように作っていくんですか?
こんにち博士:基本的には、脚本が出来上がったときに美術のイメージもセットで浮かんでいることが多いですね。脚本に合わせて美術を作り始めて、実際に出来上がったものに合わせて、脚本を調整していくような形です。
ポクシン:脚本の中で、自分の役が使うものは自分で作るルールです。特定の誰かが使うものじゃない場合は、みんなに担当を割り振って作っていきます。
――作り手がバラバラだと、世界観やトーンを合わせるのが大変じゃないですか?
こんにち博士: やっぱり上手い人と下手な人がいるので、クオリティーに差は出ます。
端:色塗りとか差が出ますね。私とか絵夢さんは、例えば赤やったら、赤をそのまま塗らないようにするんですよ。原色はすごく目立つから、みんなにも何色でもいいから別の色を混ぜるようにしてほしくて。
こんにち博士:その理論を持ってないメンバーがいるからな(笑)。でも、前回の『ゆうがい地球ワンダーツアー』のときからは全員で一緒に作ってるので、今みたいなことをお互いに注意し合えるようになりました。
ポクシン:最近は、こんにちが美術のイメージボードを作ってくれるようになったので、より統一感のあるものを作れるようになったと思います。


――でも、以前は本当にバラバラに作ってたってことなんですね。
瀬安:この事務所は、南極を法人化したタイミングで借り始めたんですけど、ここがあることによって、みんなで一緒に作業ができるようになりました。これまではみんなで集まって作業できるような場所がなかったので、担当を割り振ったら各々が家で作ってたんですよ。だから、持ち寄ったときに初めて他のメンバーが作ったものを見て「?」となることが(笑)。
こんにち博士:でも、持ち寄るときにはもう本番が近いから、少しくらい変でも「それで行こう」と言ってました。
――だいぶ、ぶっつけ本番で作ってきたことが伺えますが、作り続けているとだんだん上手くなっていくものなんですか?
一同: なってる気がしますね。上手くはなってます!
こんにち博士:確かに上手くはなってるんですけど、やっぱり芸大生とか、本気で段ボールを使って美術を作っている人たちとは次元が違いますね。
僕らは演劇に登場できる最低限の強度があるものを、とにかく早くたくさん作ることに特化している感じです。最近になって、やっと木材やスタイロフォーム(断熱材)なども使うようになって、少しずつノウハウが蓄積してきました。

瀬安:ただ、誰も美術制作の勉強をしていないので、かなりおかしな方向に成長していっている感覚があります。
こんにち博士:ありえないって言われると思うんですけど、段ボールと段ボールをビス打ちして固定しています。
井上:それは俺がやったんですけど、紙ってもともと木じゃないですか。だから、段ボールを何枚も重ねて強固にすれば木に戻ると思って。実際に重ねてビス打ちしたら完全に固定されたので、俺の理論は正しかったんです。
九條:なら、最初から木でええやん。
井上:いや、段ボールをどうしても繋げる必要があったから。段ボールを木に戻すしかなかった。
舞台で見たことがないものを作りたい
――美術制作をするうえで、南極らしさを出すために意識していることはありますか?
こんにち博士:これは美術に限らずの話でもありますが、「見たことがないものを作る」ということを一番に考えてます。
演劇や映像など、いろいろな現場のプロたちと一緒に仕事をしているうちに、「プロの外にある領域」があることに気付いたんですよね。プロだったらやらないけど、僕らは無知だから手を出してしまう部分。「段ボールで何かいけんちゃう?」 と話しながら試行錯誤していくと、想像もしてなかったような面白いものが出来上がる。
和久井:僕たちは効率的な方法を知らないがために、自分たちが知ってるやり方でどうにかしちゃうんです。
井上:今ここにあるもので作らなきゃっていう時に、ものすごいものが生まれてる気がします。
こんにち博士:でも、僕らに知識がついて「段ボールにビス打ちなんておかしいよ」とか言い出すようになったら、ちょっとずつ新鮮さが失われていく気がしてて。
――プロに任せる部分は任せつつ、自分たちで作るものに関しては、下手に美術制作を学ばない方が結果的に面白いものができるかもしれない、ということですよね。
瀬安:僕たちは舞台制作のプロじゃないからこそ、「舞台とはこうあるべきだ」に囚われず、まっすぐ向かうことができているのかもしれないです。
こんにち博士:やっぱり「見たことないもの」を作るのが、面白いと思っているので。特にビジュアル面に関しては、美術でもフライヤーやグッズのデザインでも、よくあるものではなく「見たことないもの」を追求したいです。

――「見たことない」という意味で、印象的だった過去の美術はありますか?
こんにち博士:直近だと、「ゆうがい地球ワンダーツアー」に登場した手術ロボ。あれは、実際に医療の現場でも使われている、遠隔で手術をすることができるロボットを参考にしていて。それをベースに、もっとアホっぽくて怖いものを作ろうとした結果、敵のロボットにしてはクリーンなんだけど、色が白くて腕がいっぱいある気色が悪いものになりました。

揺楽:ちょっと違うかもしれないけど、「(あたらしい)ジュラシックパーク」の頭が4つある恐竜。長い棒をつけた恐竜の頭に、筒状にしたピンク色の布で首を表現して、それを浄瑠璃のように動かしたんです。そのあと、主人公がその恐竜に飲み込まれたシーンでは、ピンク色の布で胃の中を表現してて。これも、大きな恐竜が作れなくて試行錯誤したからこそ、生まれた面白さだったと思います。見た目が本物に近くなくても、「これは〇〇なんです」と言ってしまえば成立するのが演劇のすごさだなと。

写真:笠峰新志さん
――南極の美術は、そういった勢いで観客を飲み込んでいくような力があるなと思います。ちなみに、今後みなさんが作ってみたいものはありますか?
端:作りたいとか思ったことないです(笑)。
井上:僕らはいつも、こんにち博士から「これ作ってほしくて」と言われて作ってるので。あまり、自分から「これ作りたくて」みたいな感じはないですね。
こんにち博士:絵夢さんとかないの?
古田:いやたぶん、シンプルに作ることが好きな人はここにはいない。
ユガミ:インタビューなのにやばいって(笑)。
こんにち博士:今後作ってみたいものはない(笑)。
古田:こういう舞台があったらいいなみたいなのはあるけど、私たちは作る過程があんまり得意じゃないと思う。
端:正直、誰かが作ってくれたらいいなって思ってる(笑)。
こんにち博士:いや、俺はもっともっと作りたいけどな。でっかいやつ作りたい。
――お、南極が作る巨大な美術は見てみたいです。
瀬安:それで言うと、これまで南極は恐竜を題材にした劇をたくさんやってきましたが、さっきの話みたいに、大きな恐竜となると劇場の大きさの関係で頭しかない姿だったので。今後、劇場が大きくなっていったら、恐竜の全身を作ってみるのも良いなと思ってます。

拮抗によって、偽物が本物に見えてくる
――段ボールを素材に使うことで美術がチープに見えてしまうリスクがある一方、段ボールだからこそ、南極の世界観に入り込めている気もしていまして。このあたり、何か意識していることはありますか?
こんにち博士:これ実はあまり考えてないんです。ただ、僕も客席で見たときに思いますが、たとえ段ボールで作った動物であっても、舞台の上では不思議と本物っぽく見えますね。
前にみんなで映画を撮ったとき、そこでは段ボールを使わなかったんです。それは、映画というフォーマットではチープさが隠せなくて、嘘って分かってしまったから。そう考えると、僕たちが作っているものが演劇であることは重要なんでしょうね。
――演劇であれば、嘘でも本物に見えるときがある、と。
こんにち博士:舞台上に俳優がいて、美術がある。その中には、実際に“ある”ものもあれば、“ない”のに“ある”ことになっているものもあって。それらすべてを「そういうこと」として、お客さんを含む全員が信じられるのは、演劇のマジカルなところだと思っています。

ユガミ:段ボールで作った虎がいるとして、物語の中でそれを僕らが動かすときは、ガチ虎を見せるつもりで動かしてます。その本気の熱量っていうものが乗ることで、見てる人の想像を一段上げてくれているのかなと思ってます。
――演劇には、その場にしかない熱量というものが確かにあると思うんですけど、段ボールでも十分見せることができるという話なのか、段ボールだからこそできてることがあるのかは、気になります。

端:例えば虎の剥製が出てきたら、本物に近すぎて想像の余地がない気がします。
揺楽:演劇ってお客さんにマジックをかけてるというか、かかってもらってるというか。そういう前提があるものだから、リアルなものが出てくると急に現実に引き戻されるのかな。
ユガミ:完成度を表した0~100のゲージがあるとして、一番上は本物の虎、一番下は何もないっていう状態。このゲージの中で、100に近すぎるともう本物の虎でしかなくて、一定のラインを下回ると虎には見えない。虎には見えるけど本物ではない、ギリギリのラインだと、お客さんの想像の余地が残るんじゃないかな。
和久井:偽物をどうやって本物に近づけるかっていう、その拮抗が面白いのかも。
こんにち博士:確かに、僕らの演劇は拮抗が好きなんですよ。今の和久井の話のように、明らかに作り物であるものに対して、これを作り物として扱うわけにはいかないっていう拮抗が生まれたときに、南極としての魔法がかかってるのかも。
ユガミ:俺はその拮抗が、演者側の表現や見せ方で生み出せてるんじゃないかなって思う。
――拮抗を起こすことで、見てる人の想像力を引き上げてるというのは、面白い解釈です。
こんにち博士:お客さんの想像に委ねるだけだと個人差が生じるけど、僕たちの働きかけによって意図的に想像の余地を生み出そうとしているのかもしれないですね。偽物だけど、これが本物に見えたら面白い、というか。









