1400年の歴史がある日本最古の国道、竹内街道。推古天皇により敷設された、大阪と奈良を結ぶこの大きな道は、古くより大陸からの使節団などの往来があり、これまで多くの人と人とを繋ぎ縁を結んできた。
大阪府堺市の竹内街道を歩く。瓦屋根の住宅が立ち並び、金岡神社の御神木の楠は街道のほうにまで力強く枝を広げている。この地で盆栽作家として活動し、日本の伝統を次の世代に受け継ぎたいと奮闘するのが、伊藤壮吾さんだ。
稀人No.011
盆栽作家・伊藤壮吾
盆栽作家/DANJI JAPANプロデューサー。1998年大阪府生まれ。堺市在住。中学の体育教師を経て盆栽作家として2023年独立。盆栽の製造・販売・リース・撮影プロデュース・SNS発信などを通して、盆栽を若い世代に広めるべく活動中。2024年、伝統的な日本の和服や履き物のジャパニーズカジュアルブランド「DANJI JAPAN」を立ち上げ、カジュアルな現代のファッションに和服を取り入れた着こなしが注目を集めている。2025年、盆栽とDANJI JAPANのアイテムを展示するアトリエをオープンする予定。
Instagram :@sogoito.danji / @danji.japan
TikTok :@sogoito.darebonsai
午前10時。自宅に伺うと、大小合わせて100鉢ほどの盆栽に囲まれた伊藤さんが出迎えてくれた。盆栽は、山野の樹木を鉢に移し、剪定や針金掛けなどの技を用いて、自然の美しさや厳しさを空間で表現する芸術作品だ。苔や枝の配置など細部にまでこだわり、長い時間をかけて独自の世界観を創り上げることが魅力とされている。
取材の日は晴れていて、朝日を浴びてきらめく盆栽に見入ってしまった。樹齢や樹形が様々な盆栽たちは、どっしりと構えていたり、背伸びをしたり、じっと静かに佇んでいたりと、各々の過ごし方をしている。それはまるで、それぞれの風を受けて歩んできた個性豊かな人々が、一つの空間に集まっているようにも見えた。
中学教師を辞めて盆栽の道に突き進むことになった伊藤さんのこれまでについて、話を聞いた。
サッカーに捧げた青春時代
1998年堺市の隣、松原市生まれの伊藤壮吾さんは、双子の妹と二人兄妹で育った。
「子どもの頃は、妹に嫌われてました。けっこう喧嘩も多かったです。男友達と虫を採ったりピンポンダッシュしたり。紙でお金を自分で作って、これ使えんちゃうかみたいな。実際には使われへんかったけど。しょうもないことばかりしていましたね」と笑う。
とにかく活発だった伊藤さんは、小学校に入学するとすぐにサッカークラブに入団し、サッカーを始めた。点が取れるようになったり、リフティングが100回できるようになったりと、練習を続けていくうちにどんどん上手くなっていくのが楽しかった。
サッカーに明け暮れ、充実した日々を過ごしていたが、中学に入るとやる気を失ってしまう。
「なんかだるいみたいな時期あるじゃないですか。それがかっこいいみたいな、真面目にやることが恥ずかしいみたいな、そういうタイミングやったですね」
中学1年でサッカーを辞め、友人と遊んでみたりしたものの、まったく充足感を得ることができなかった。ぼんやりと過ごす張り合いのない生活は、霧の中にいるようだった。もう一度サッカーを本気でやりたい。もう一度汗をかきたい。熱中した時の高揚感は全身に刻み込まれていて、決して忘れることができなかった。
サッカーと再び向き合う決意をした伊藤さんは、せっかく再開するならと、厳しいことで有名なチームに入った。自宅からの距離も離れていたため、片道一時間かけて自転車で通った。そのチームのコーチとの出会いで、「叩き直されました」という。
「ボッコボコにされましたけどね。親もおる前で、お前はゴミやとか言われて。今そんなんやったらあかんすけど。俺には合ってたって感じです」
その後は大学を卒業するまでの間、ボールを追う日々が続く。
「彼女作ったりとかみたいな、みんなが思う青春はなかったかもしれないっす。つい最近までサッカー一筋の人生でしたね。それしか知らんかったです」
大学4年生になり、同級生たちが就職活動を始めても、どうしてもやる気になれなかった。サッカーでプロになれないのはわかっていたが、何の職に就いたらいいのかわからなかった。4年生になっても部室に現れ続ける伊藤さんに、後輩たちも心配するようになる。しかし、偶然観たドラマ『GTO』から感銘を受け、自分の進む道を見つけた。元暴走族の高校教師・鬼塚永吉が、生徒との本気のぶつかり合いの中での成長を描く、学園ドラマだ。
「自分どんくさくて、いろんな人のお世話になってきたんで。恩返しできるかなって」
大学で教職課程は履修済みだったが、教員の本採用が決まる教員採用試験はすでに終わっており間に合わなかった。しかし、臨時職員の希望名簿に登録し、試験を経て採用が決まった。働きながら本採用の試験に挑戦すれば良い。希望を胸に、社会人へと一歩踏み出した。
中学の体育教師としての生活は、期待通りとても充実していた。
「めっちゃ楽しかったです。サッカー部の顧問もやりました。月から金まで練習して、土日もどっか連れて行って試合やってぼろ負けして。『おら、お前らまじやれよ!』って喝入れて。めっちゃ楽しかったです。もう俺はこれで生きていくんやなと思いました」
盆栽との出会い
盆栽との出会いは2020年。「マジ天職やな」と感じた中学の教員となる1年前、大学4年生の時だった。コロナ禍でサッカーができず、家でできる趣味を探していた時に、たまたまホームセンターで手に取ったのが手のひらサイズの小さな盆栽だった。
「木がちっさい器に入っている姿に、限られた空間で表現された自然を感じて、直感的に良いなって思いましたね」
盆栽の手入れは地味だと伊藤さんはいう。毎朝起きて、まずじっくりと観察をする。魅力を最大限引き出すために、不要な部分を考えて、少しずつ剪定をする。一気に形を変えたり、成長させることはできない。毎日盆栽と向き合い、丁寧に手入れをしていく中で、意外と細かい作業が好きなことに気がついた。
盆栽に惹かれたポイントのひとつとして、その歴史の長さもあるという。
「盆栽って何百年も生きられるんですよ。僕の家にあるやつでも、100年、200年のものがあって。僕なんかせいぜいあと何十年ぐらいなんで、関われる期間が少ないし、できることも少ないですよ、正直。なんか、それも魅力っすよね。ちょっと歯がゆいですけど、そういうのもいいなって思いますね」
他の人が大切に管理してきたものを受け継いで育てる。自分ひとりでの静かな作業の中に、先人との繋がりを感じる。そのことに、確かな胸の高鳴りを覚えた。
しかし、興奮を伝えたく趣味で盆栽を育てていることを同世代の友人に話したりSNSに投稿してみても、周囲からの反応は想像よりもずっと鈍かった。
「みんな知らないですよね、盆栽のこと。何それって言われた記憶があります。サザエさんの波平さんみたいな人がやってるイメージを持ってるんですよ。それで、かっこよさをもっと広めたい、わかってもらいたいと思いはじめました」
発信をするには学びが必要だ。盆栽のことをもっと知りたいと思った伊藤さんは、休日に盆栽の展示会を巡り、盆栽業者に足を運んだ。購入した盆栽をビニール袋に入れて担いで電車で帰宅して、自宅の庭で育てた。
こうした生活を続ける中で訪れた兵庫県加西市の 「盆栽翠松園」の松末さんに、伊藤さんの実家の近所にある盆栽園を紹介してもらう。それが盆栽界の重鎮である橋本太閣園の橋本三四士さんとの出会いだった。
「パッと見はコワイおっちゃんやと思いました。お前えらい若いなって言われて。でも、興味あるんやったらその辺の雑誌とか、道具とか全部持って帰ってええよって言ってくれて。紙袋いっぱい両手に抱えきれないくらい貰いました。初対面なのにすごく良くしてくれて、ホンマに嬉しかったっすね」
知識や経験が豊富な橋本さんは、そのすべてを伊藤さんに惜しみなく与えてくれた。
「めちゃめちゃいい人です。ほんまに面倒見が良くて。今でも何鉢も持って帰れと譲ってくれます。お世話になってますね」
橋本さんとの出会いは、伊藤さんの盆栽への情熱を育み、その後の歩みへの後押しとなった。
盆栽のことを知れば知るほど、もっと知りたい、そしてもっと広めたいという気持ちが強くなった。ふと、自宅に併設された工場で家具大工をしていた亡き祖父の姿を思い出す。記憶に残る職人の背中は輝いていた。憧れていた気持ちが蘇るとともに、盆栽を育てる自分の姿と重なる。仕事にしたいと考えるようになったのは自然なことだった。
教師を辞め盆栽作家になることを周囲に伝えると、両親や友人たち、橋本さんも含め全員から反対された。しかし伊藤さんに迷いはなかった。安定には興味がない。ただ盆栽を極めたい。その一心だった。
2023年3月に丸2年勤めた教職を退いた。
盆栽作家として独立
盆栽作家は、産地から盆栽を仕入れて作品として育て上げ、一般の人向けに販売をするのが活動の中心。リースをしたり講師として活躍したりする人もいる。
盆栽作家一本で食べていく。そう決めたはいいものの、もちろん最初は試行錯誤の連続だった。収入がなくなるため、一人暮らしの家を引き払い、実家に戻って生活することにした。貯金を切り崩し、盆栽を購入して育て続けた。
結婚式の装花の代わりに使ってもらうというアイデアが思い浮かび、とっておきの五葉松を連れ、結婚式場やホテルへの営業まわりをし始めた。最初はまったく受け入れてもらえず、落胆する日々が続いた。
相棒の五葉松(写真左)
「先生辞めたの、ミスったかな」と自分の決断を後悔することもあった。それでもめげずに結婚式場への営業や、自宅近所の飲食店などへリースの提案を続ける。
最初に契約が決まったのは、大阪のフォトスタジオcaja(カハ)だった。担当者に五葉松を見せたところ、一目で気に入ってもらい、即採用となった。和装をした新郎新婦の撮影に、盆栽が合うのではという企画が通ったのだ。撮影のリース代は1件3万円。初めて報酬をもらえた時は、嬉しさで手が震えた。
Instagram @sogoito.danji
ひとつ仕事が決まってからは、徐々に軌道に乗り始める。営業の際に実績として撮影例を見せると、担当者の反応が良く、契約につながるようになっていった。比例するように、盆栽の魅力をわかってくれる人が増えているという実感があった。
現在は結婚式の和装撮影用にフォトスタジオ4社と提携、ホテルや飲食店などへのレンタル、販売の3本柱が収入を支え、その他定期的な展示会の開催や、SNS発信を続けている。独立して1年半、収入はようやく教師時代を上回り、実家を出る目処も立った。だが、収入を上げることに重きを置いていないという。
「食べていくにはお金は大切なんですけど、別にたくさん稼ぎたいからやってるっていうわけではないんで。きちんと仕事をしていたら勝手についてくるって思ってます」
ジャパニーズカジュアルブランド「DANJI JAPAN」立ち上げ
伊藤さんがプライベートで下駄を履くようになったのは、盆栽作家になるよりも前、大学生の頃だ。大阪の繁華街、難波。たまたま見かけた革ジャンを着たある西洋人の姿に目が釘付けになった。人でごった返している中で一際眩しいその姿は、まるでスポットライトを浴びているようだった。
自分が同じファッションをしていても勝てない。自分がかっこよく着こなせるものは何だろう。日本人なら日本のものを。そう思いつき下駄を履いてみた。その後も日本の伝統文化を学んだ。昔の日本人が身につけていた服や装飾品を知るうちに、どんどんそのかっこよさに惹かれていった。
「ジャパニーズカジュアルを略してジャパカジって呼んでます。僕、下駄履いて歩いてたらJKとかに笑われるんすよ。全然いいんすけどね。でも本当にかっこいいと思っているんで世の中に広めたいし、そういうジャンルもこれまでなかったんで、そういう市場を作りたい。それを当たり前にしたいですよね」
ジャパカジを広げたいと思った伊藤さんは2024年、盆栽作家としての活動と並行して自身のブランド「DANJI JAPAN」を立ち上げた。盆栽を毎週末見てまわった時、そして五葉松を連れて営業に回った時のように、気になる職人さんの元に通い続けた。
「最初はね、職人さんにも、変なやつが来たみたいな感じで見られます。絶対全員に言われるんすよ。お前そんなんできるわけないやろって。いや、いけるんでって。マジでいいと思うんで、絶対広めましょう言うて。そんで話していったら、なんかいいやん、おもろいやんみたいな感じになりますね。それで売れたらやるやん、みたいな」
日本の職人さんの手作りであること、国産素材であること、そして365日身に着けられることがDANJI JAPANのアイテムの特徴だ。
DANJI JAPANのアイテムを取り入れた伊藤さんのファッションへの注目も高まり続けている。TikTokのフォロワーは1.6万人。毎回投稿へのコメントも数多い。
「コメントはぜんぶ見てますし、ぜんぶ返していますね。やっぱ見てもらえるっていうことが大事なんで。知ってもらうことが何より大事。自分がきっかけでジャパカジのアイテムを取り入れてくれたって声もいただけて、嬉しいです」
TikTok:@sogoito.darebonsai
伝統と想いを乗せて
「言い過ぎやけど、伝統を残していきたいとか、日本のかっこいいをもっと若い人に知ってもらいたいみたいな。盆栽だけじゃなくて、やりたいことがデカくなったんですよね。ただ、飯食いたいとか、かっこつけたいとか、それだけじゃなくってきて。DANJI JAPANは僕だけのものではなくて、いろんな職人さんの思いが乗ってるんで」
盆栽作家として独立して1年半。「DANJI JAPAN」の影響もあり、盆栽の展示会への反応もよくなった。独立当初はたった1人だった来場者も、最近の展示会には60人が訪れた。SNSの総フォロワー数は6万7000人にものぼる。街で声をかけられることも多い。
2025年には、盆栽とDANJI JAPANの商品が並ぶアトリエをオープンする予定だ。アトリエ設立の目的は、実際の商品をお客さんに見てもらうことと、伊藤さん自身がお客さんと直接出会うためだという。普段はSNSでのやりとりが多いが、実際に人と会ってもらう意見は貴重だ。これまで、人との出会いを大切にしてきた。多くの人に助けられたからこそ、自分もまたそういう存在でありたいし、人々の想いや伝統を形に残して届けていきたいと語る。
伊藤さんにとって、これまで人との出会いが多くのきっかけを運んできてくれたように、この場所を訪れる人や関わる人にとっても、何かが始まるきっかけになるかもしれない。
「友達に聞くんすよ。お前、人生で輝いた瞬間いつやって。みんな答えるのが、10年前とか、中学校の受験とか、小学校の部活動とか。それでもいいんですけど、なんかそれって寂しいなと思って。俺は今日なんすよ。今日がマジで1番って自信を持って言える。できれば、みんなにもそうであってほしいですね。だってその方が楽しいじゃないですか」
取材を終えた別れ際、盆栽に見入っている私に、「育ててみますか?」と真柏の鉢を一つ譲ってくれた。初心者でも育てやすいと言われる品種だ。賃貸マンション暮らしの私に育て方のコツを丁寧に教えてくれ、最後にこう一言付け加えて笑った。
「もしこれで盆栽にハマって、もっと立派なのが欲しくなったら、庭付きの一軒家を買って引っ越してください!」
執筆
高橋ウカ
1984年北海道札幌市生まれ。大阪府在住。食品メーカー勤務を経てデザイン業界へ転身。デザイン制作会社でディレクターとして勤務する傍ら、フリーでライターとして活動中。その人それぞれの様々な経験から生まれた感情や心の動きを、磨いた言葉で表現することを大切にしている。興味関心のある分野はものづくりや食文化など。
編集、稀人ハンタースクール主催
川内イオ
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、イベントなどを行う。