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特集

文筆家のライナーノーツ

伊藤 紺・永井 玲衣・僕のマリが寄せる“読む音楽”

author: Beyond magazine 編集部date: 2024/09/01

5分にも満たない音楽が、心を突き動かすことがある。どうしてこの曲がこんなに自分に響くのか、染みるのか。わからないけれど何度も何度も繰り返し聞いてしまう。誰しもそんな曲があるのではないだろうか。


今回は、言葉を扱う仕事で活躍する3人に、それぞれにとって大切な曲について教えてもらった。楽曲解説とはまた異なる、3人のパーソナルな経験と結びついたライナーノーツをお届け。

歌人・伊藤 紺の場合
8otto 「レモンティー」(live)

15歳の夏、狂ったように聴いていた曲がある。8ottoの「レモンティー」のライブバージョンで、取り憑かれたように繰り返し聴いた。

1曲リピートで音楽を聴いているとせいぜい数時間、長くても数日でおなかいっぱいになるが、このときは全く飽きなくて、何週間聞いても一発目の音から胸を掴まれて仕方なかった。歌詞ももちろん何度も読んだが、正直なぜ自分がこの曲にこんなにハマっているのかわからなかった。誰かに勧めたり、どこかに感想を書くでもなく、毎日往復2時間乗る激混みの通学電車の中や、教室や、夜の自室で何度も聴いた。

若くて熱い胸の中に、当時よく飲んでいた紙パックの冷たいレモンティーが直接注ぎ込まれるような心地で、味わうというよりは、聴いていないと渇くからとにかく飲む、そんな聴き方だった。

その夏をピークに、「レモンティー」を聴く回数は徐々に減り、しばらく忘れていた時期すらあったと思う。大人になってひょんなことで思い出して以来、1年に1回くらい思い出して「いい曲だな」と確認する。そんな付き合い方が30歳になった今も続いている。

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「レモンティー」が収録されたCD

24歳のときに一度転機があった。サビの「甘いようななくないような 夢と希望とかいう名のレモンティー」が、ラストの「あなたと ここにいる 朝のレモンティー」なんだ、という今にして思えばめちゃくちゃふつうの発見に貫かれた。もう7年も前のことなので詳細は覚えていないけど、15歳のときのわからなさはすっかりなくなって、この曲に夢中になった理由が9年ごしにやっとわかった。曲全体を包む空気に改めて新鮮に身を浸した気がした。

高校生のときの夢や希望というのは強烈で、燃える炎のようにいつかわたしの苦しみを焼き尽くしてくれるものだと思っていたけど、大人になってのそれは、朝、自分の部屋に差し込む木漏れ日くらい身近で、ありふれていて、でもどこか真実味を感じるようなものに変わった気がする。べつになにもしてくれない。ただそこにいるだけ。だけど、それがあることで世界に結ばれているように感じる存在。

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通っていた高校近くから見た朝日

大人の人生は苦い。だから、砂糖のように夢や希望を見つけては足し続ける。いい景色を見たり、好きな家に住んだり、爪に色を塗ったり、作品を見たり作ったりする。苦味が活きるちょうどいい甘さを模索する。そのうち苦味もくせになって、甘いだけのものを嘘っぽいと感じるようになる。もちろんこれは歌詞の内容では決してないけれど、この曲のレモンティーというモチーフの秀逸さに改めて深く頷く。

当時、夢や希望も、愛も、レモンティーという飲み物も、もっとべつのイメージで捉えていたにもかかわらず、この曲にどハマりしたことをうれしく思う。言葉にできない「好き」は、まだ出会っていない本当の自分の種だ。手放さないほうがいい。「レモンティー」を聴き続けて16年目のいま、がんばって生きていた15歳の自分に、さすが、と言ってあげたい。

伊藤 紺

歌人。1993年東京生まれ。2016年作歌を始める。2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年『満ちる腕』を私家版で刊行する。2022年両作の新装版を短歌研究社より同時刊行。最新刊は2023年12月『気がする朝』(ナナロク社)。脇田あすかとの展示作品「Relay」ほか、NEWoMan新宿、ルミネ荻窪といった商業施設での展示など活躍の場を広げる。


Instagram:@itokonda
X:@itokonda

哲学者・永井 玲衣の場合
ZAZEN BOYS「永遠少女」

探せ

ほんのつい、このあいだのこと。

わたしたちのおばあちゃんは、わたしたちの先輩は、わたしたちのお母さんは、わたしたちの近所のおばちゃんは、わたしたちの知らないあのひとは、わたしたちと同じやわらかく小さな手で、兵器をさわっていた。兵士に着せるために、服を縫っていた。どこかの街に降らせるために、爆弾をこしらえていた。どこかの空を埋め尽くすために、戦闘機をつくっていた。

 「君のまなざし おばあちゃんと変わらない
 おばあちゃんも少女 永久に少女」

少女たちは、泣いただろう。笑いもしただろう。悔しさにしゃがみこんだり、不安に震えたりもしただろう。やわらかく小さな手で、顔を覆って夜をやり過ごしただろう。

 「ここはとても暗い
 暗い 暗い 暗い
 とても暗い」

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広島で見つけた落書き

10代のころから、向井秀徳を追いかけていた。ナンバーガールはもう解散していて、ZAZEN BOYSがわたしの出会いとなった。学校帰り汗ばむ身体でライブハウスに向かうと、スーツを着た大人たちが真剣な表情で開演を待っていた。ZAZEN BOYSが登場するのを、張り詰めて待機している。はしゃいでいるひとも、雑談するひともほとんど見当たらない。複雑でストイックな演奏がはじまり、全身がぶるぶると震える。観客はすさまじい集中力で音に耳をかたむけている。誰もがひとりになっていた。目を離さないようにしていた。表現にのみこまれた、あの一瞬のようで永遠のような時間が、わたしは好きだった。

なかなか新曲を出してくれないZAZEN BOYSが、今年「永遠少女」という曲を発表した。それは、せんそうの歌だった。うすぼんやりとしてしまったせんそうではなく、わたしたちのせんそうの歌だった。

 「1945年 流れ弾が刺さった
 傷口が腐った かきむしった
 爛れた 壊れた 泥の川の水を呑んだ」

ひとが殺された。あるいは、殺させられた。腐った傷口は、うすいかさぶたが張られたまま、治癒していない。わたしたちは、かつてのわたしたちと変わらない。なのに、それを忘れてしまっている。忘れたふりをしている。腐った傷口は、わたしたちの腕にも残っている。

 「君は考えている 世の中なんてしょうもない
 君はあきらめている 大人はみんなうそばかり
 君は間違っている 人間なんてそんなもんだ」

向井秀徳は「君」に語りかける。世の中なんてしょうもない、大人はみんなうそばかり、人間なんてそんなもんだ、すべて無力感と、冷笑と、あきらめの言葉だ。わたしは集中して音をきく。向井秀徳は、それを「間違っている」とうたう。言い切る。わたしたちはそれをきく。曲は終わりにさしかかる。向井秀徳は「探せ」と叫ぶ。探せ、探せ、探せ、と繰り返す。何を、とは言わない。

「せんそうってプロジェクト」展示にて、せんそうへの問い 撮影=八木咲

最近、せんそうについての対話の場をひらいている。「せんそうはしょうがないと思う」という言葉が、参加者からぱらぱらと出る。だが、そのときの「せんそう」とは一体何なのだろう? しょうがない、といま・ここを生きるひとがこぼす「せんそう」は、爛(ただ)れた傷口のあるせんそうなのだろうか? 

そのとき「永遠少女」が遠くから近づくようにしてきこえてくる。探せ、探せ、探せ、と向井秀徳はうたう。顔の見えない少女たちもうたっているのが見える。あきらめたくないと思う。今日は8月15日。

永井 玲衣

人びとと考えあう場である哲学対話をひらく。政治や社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。

Instagram:@nagainagai
X:@nagainagainagai

文筆家・僕のマリの場合
YUKI「WAGON

今年の春、友だちと4人でピクニックをしたときに、「30代は楽しい」という話に花が咲いた。全員平成4年生まれ、20代の半ばから知り合った関係である。加齢についてのそれぞれの所感を述べると、なんと全員同じ意見だったのだ。

体力も気力も十分な20代、楽しい思い出もあったとはいえ、とことん多感でナイーブな時期でもある。それを乗り越えて30代になったいま、以前より肩の力が抜けて穏やかに過ごせているという実感があった。前向きな意味で、色んなことがどうでもよくなったのだと思う。10代、20代と気張って生きていた苦しさもあったが、行く末にはこんな凪のような生活もあるのだと、当時の自分に教えてあげたい。

若い自分を支えてくれたものはたくさんあったけれど、わたしにとってのそれとは、いつだって本と音楽だった。どちらもひとりで完結する趣味ではあったが、胸の内を静かに熱く滾(たぎ)らす。大学生のとき、部活の同期が「音楽がすごく好きな人は本も好き」と言っていたことを、折に触れて思い出す。中学から大学までずっと音楽系の部活をやっていた自分には、腑に落ちる言葉だった。

わたしは随分昔からYUKIが好きだった。世代的にJUDY AND MARYはやや上だが、YUKIがソロデビューしてからはリアルタイムでほぼずっと聴いており、新曲が出るのを待ちわびていた。ライブにも何度となく足を運んだし、バンドでコピーもした。いいときもそうでないときも、いつも彼女の曲が人生のテーマソングだった。

特に好きなのは2005年~2010年のアルバムで、思い入れのある曲が多すぎる。そして、そのなかでも「WAGON」という曲をしょっちゅう聴いていた。当時使っていたiPodの再生回数の上位には、いつもこの曲が食い込んでいた。曲も歌詞も乾いた雰囲気だが、前向きすぎないメッセージに何度となく救われたものだ。

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FUJI ROCK FESTIVAL '17にて

2017年のフジロックで、初めてYUKIの野外ステージを観た。フェスというものが初めてなうえに、1人で来たので心身ともに疲れもあったが、YUKIの元気な歌声を聴いていると夢中で楽しむことができた。「プリズム」や「ワンダーライン」、「JOY」などの誰もが一度は聴いたことがある曲をばんばん流し込み、会場は大いに沸いていた。自然に囲まれて大きな音でライブを観るというよろこびを、その場の全員が噛みしめているようだった。

最後の曲はわたしが大好きな「WAGON」で、イントロのギターが鳴った瞬間に思わず歓声をあげた。「泣けない午後に目覚めて ため息と空気を吸い込んで」という気怠い詞から始まり、「君のワゴンで 眠らせてくれないか」というサビに流れる。いつも聴いている曲を生で聴くと、新しく感動する。

曲も終盤に差し掛かった頃、曇っていた空から雨が降り出した。次第にYUKIのテンションが爆発的に高くなってゆき、会場の熱気も最高潮になった。全員が奇跡を予感する。「泣けない午後に目覚めて ため息と空気を吸い込んで 吐き出せば空高く飛んで くもり空を雨に変えやがった」という最後の歌詞が、天を味方につけたようであった。山の天気は変わりやすく、よくあることといえば、そうかもしれない。だけどあまりにも完璧なタイミングで降り出した雨に、わたしはどうしても身体の震えが止まらず、この世にはこんな風に美しい瞬間がたくさんあることに気づいたのだった。

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FUJI ROCK FESTIVAL '17の出口

僕のマリ

1992年福岡県生まれ、文筆家。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)など。自費出版の日記も刊行している。。

X:@bokunotenshi_

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Beyond magazine 編集部

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