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知らない大人と出会って、「こういう人生もあるんだ」と思った

人生の選択肢が広がった、とんだ林蘭の定時終わり

author: とんだ林蘭date: 2024/08/01

定時終わりの人との出会いをきっかけに、人生観も職業もガラッと変わったという、アーティストのとんだ林蘭さん。あいみょんをはじめ、さまざまなアーティストのビジュアル制作、アートディレクションを行うなど幅広い活躍を見せているとんだ林さんだが、20代は定時の決まっている事務仕事をしながら絵を描いていた。そんな生活が大きく変わったきっかけは、アフター5を過ごしたアパレルショップ「THE THREE ROBBERS」での日々。当時、どんな定時終わりを過ごしていたのか、振り返ってもらった。

とんだ林蘭

1987年生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業。コラージュ、イラスト、インスタレーション、映像など幅広い手法を用いてシュールでチャーミングな中毒性のある独自の世界観を創り上げる。音楽アーティストやファッションブランドともコラボレーションするなど、幅広い世代の様々な分野から支持を得ている。名付け親はレキシの池田貴史。

Instagram:@tondabayashiran
X:@tondabayashiran

日中仕事をして、定時終わりに絵を描く日々。

今のような仕事に就く前、20歳から28歳までの8年間はいわゆる“OL”をしていました。文化服装学院のスタイリスト科を卒業して、4年半くらいですかね。販売員として働いて、24歳のときに1年という期限付きの事務職に転職。初めて9時~17時という定時が決まっている仕事に就いて、その間に絵を描きはじめました。「やりたいことをやっと見つけた!」という感じで、もう毎日描くことに夢中でしたね。

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次第に「絵を仕事にしたい」と思うようになったのですが、それだけでは食べていけないので、時給がよかった派遣会社に登録。日中会社で働いて定時終わりに絵を描くというスタイルを、28歳まで続けました。

すべてのはじまり「THE THREE ROBBERS」との出会い

定時終わりはほとんど、「THE THREE ROBBERS」(通称スリラバ)で過ごしました。販売員だったころは、働く時間もシフト制で不規則だったけれど、事務職に転職したらノルマもなく、わりとのんびりとした職場だったので17時ぴったりに帰ることができたんです。当時は浅草に住んでいたので、周辺をよくウロウロしていましたね。

「スリラバ」を見つけたのは、販売員をしていた21歳のとき。その日は、いつもと違う道を歩いていたんです。そしたら、壁にサインがバーっとかかっている地下にあるお店を見つけて。有名なミュージシャンの名前もあったし、お店の扉も開いていたので、思い切って入ってみたんです。そしたら、服屋さんだった。その日は、別の予定があったのですが、店長さんの話がおもしろすぎて、気づいたら4時間もお店にいました(笑)。「めちゃくちゃおもしろいお店を見つけた!」と思って、そこから通うようになりましたね。

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事務職に転職してからは、暇さえあればスリラバに入り浸っていました。週6とか。今みたいに同年代の友だちもいなかったので、17時に仕事が終わったらスリラバに直行して、その日に来ている人たちと遊んだり、ご飯を食べたりする生活をしていました。誰が来るかわからないので、毎日予想のつかない楽しさがありましたね。みんなと楽しく遊んでも、翌日朝が早いので常識的な時間に帰って、健全に過ごしていました。

自分にしかできないことに熱中する大人たちとの出会い

スリラバの思い出は、数え切れないほどありますね。まず、メディアで見るような人たちがすごく近くにいて、一般人の私からすれば毎日のように刺激的なことが起こるんです。「とんだ林蘭」という名前をつけてくれた名付け親のレキシこと池田貴史さん、Maison MIHARA YASUHIROの三原康裕さんなど今につながる出会いもここから生まれました。

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当時20代だった私からすると経験値や価値観がぜんぜん違う大人に話を聞けたことは、すごく大きな収穫でした。それまでの私は専門学校を卒業して、募集要項と自分のできることが合う企業に履歴書を送って、雇われて働かないと生きていく術はないと思っていたけれど、スリラバの大人たちはぜんぜん違った。雇われている、雇われていないとか関係なく、すごく自由に見えたというか。それは、好きを仕事にしようみたいな気概じゃなくて、“自分にしかできないこと”に熱中してやりたいことをやっている感じ。こういう人生もあるんだって知りました。

「なれたらめっちゃうれしいかも」という自分の気持ちに気づいた。

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絵を描きはじめたのは、スリラバでミュージシャンのライブのリハーサルが行われていることがあって、楽器の音が大きくて話せないからという理由でした。通いはじめて、半年くらい経った頃ですかね。なんとなく絵を描いてみたら、すごく楽しくて。しかも周りのみんなに「いいじゃん」って褒められたので、仕事にするかどうかは考えず、調子に乗ってたくさん描きました(笑)。もともと落書きが好きで、授業中によく描いていたので、ひさびさにあの感じを思い出しましたね。

あるとき、スリラバのお客さんが私の絵を見て「仕事にしたらいいじゃん」と言ってくれたんですけど、「いや、無理でしょ」と反射的に言ってしまって。でも、そのあと一人になったときに、「絵を描く人になれるかどうかは一旦置いておいて、なれたらめっちゃうれしいかも」っていう自分の気持ちに気づいたんです。

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スリラバでやりたいことをやっている大人たちを見て、自分もそうなりたいと思っていたけど、みんなみたいに音楽の才能はないから、“自分にしかできないこと”がわからなくて。でも第三者から言ってもらえたことで、「表現者になりたい」って認めることができて、それが今につながるスタートの日って感じです。やっぱり、何も表現してこなかったのに、何者かを目指すのって勇気がいるというか。誰にも言われてないのに、なれるわけないって思っちゃうんですけど、自分の気持ちときちんと向き合って「なるぞ」って決意しておいて本当によかったなと思います。

毎日「早く帰って絵を描きたい」と思っていた

最初は、さくらももこさんに憧れて漫画家を目指しはじめたんですけど、なかなか描きたいものが描けなくて。時間もかかるし、好きだけど多分向いてないと思ってやめました。でも、次にはじめたイラストなら描きたいことがどんどん出てきて、「こっちかも」と思いましたね。向いてないことに執着しなくてよかったです。

それから毎日絵を描いては、Instagramに作品をあげていました。続けようと決めていたわけではなくて、楽しすぎてとにかく描きたいという感じ。日中仕事があったのも今思えばよかった気がします。朝から夕方まで、絵とは関係のない仕事をしていると、反動なのかどんどんアイデアが溜まっていくんです。働いていても「描きたくてしょうがない」みたいな。定時終わりは急いで帰って、家やスリラバで絵を描いていましたね。やりたいことを見つけたことも、すごくうれしかったんだと思います。

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コラージュをはじめたのは、知り合いの美容師さんがお店を移転するときに雑誌を大量にくれたから。チェコのアーティストのヤン・シュヴァンクマイエルの短編映画を観て、こんな風に世界観に制約のないものを作りたいと思っていたので、コラージュは試してみたい表現方法のひとつでした。

昔から飽き性なので、いろいろな手法を試すことでバランスを取っている気がします。あと私の場合は、数時間、なんなら数分で作ったものをどんどん出していく方が性に合っているなと制作しながら気づきました。一個の作品に長い時間をかけてつくる作家さんもすごくかっこいいなと思うんですけど、やっぱり自分にはできないし、作りたいものがあるっていうことが幸せに思うので、とにかくそれを形にするっていう感じです。

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制作するうちに、少しずつ仕事がもらえるようになってきたけれど、収入は全然安定しなかったですね。周りから「会社を辞めたら」と言われても、踏ん切りがつかなくて。でも、フォトグラファーの大辻隆弘さんとお話していたときに「ああいうものを作れるんだったら(イラストを)やらないともったいない」ってはっきりと言われたんです。私を信じるように言い切ってくれたので、「そうだな」って思っちゃって。次の日には会社に辞職願を出しました。そしたら会社の方から「週3に減らすのはどうですか」って提案をしてくれて。ありがたかったですね。そこから数ヶ月は週3で働いて、少しずつ仕事が広がってきたタイミングで退職しました。

過ごしたい過ごし方をするために、選択肢を充実させていく

スリラバで定時終わりを過ごしていなかったら、今の自分はなかったのかなと思います。元々、アートディレクターになりたいとか、フリーランスになりたいとか、そういう発想がない人間だったので。

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OL時代を振り返って思うのは、人生は選択肢があったほうが楽しいのかなって。ひとりで過ごしたり、友だちとご飯に行ったり、何が起こるかわからないスリラバみたいな場所に行ったり。その日の気分に合わせて、セレクトできる遊び方がいくつかあるといいですよね。遊びに行きたいのに行けないのもストレスになっちゃうので、一緒に遊んでくれる友だちはたくさんいるといいと思います。

私の場合は、スリラバでの人とのつながりから、遊べる場所や人生の選択肢が増えていったので、たくさんの人と出会っておくと、定時終わりの楽しみも広がっていくんじゃないかな。


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アートディレクター
とんだ林蘭

1987年生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業。コラージュ、イラスト、インスタレーション、映像など幅広い手法を用いてシュールでチャーミングな中毒性のある独自の世界観を創り上げる。音楽アーティストやファッションブランドともコラボレーションするなど、幅広い世代の様々な分野から支持を得ている。名付け親はレキシの池田貴史。
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