外からの力が作用しなければ、物体は静止、または等速度運動を続けるという「慣性の法則」をなぞり、「こばかなの無駄話から生まれる“感性”の法則」と題した連載。こばかなさんと無駄話をして、日々の生活で静止しがちな思考を動かし始めよう。第17回目は、“他者と働くこと”のお話し。
お互いに相手をヤバいヤツだと思っている現象について
会社などの組織でいろいろな人たちと働いていると、当たり前ですが、意見のすれ違いや衝突がしばしば起こりますよね。それについて私が常々思ってきたのは、“対立する2人の間には同じ現象が起こっているはずなのに、多くの場合、お互いに相手のことをヤバいヤツだと思っているな……”ということなんです。
例えば、上司のAさんと部下のBさんの間で対立が起こっているとします。上司のAさんは部下のBさんをある仕事にアサインしました。それはAさんが会社の上層部から、売上へのコミットを求められていたため。でもBさんはこの新しい仕事をしたくない。なぜなら、“今やっている仕事をしたくて会社に入ったのに、なぜその仕事をしなきゃいけないのか意味が分からない”からです。そして部下のBさんは、自分の意志は当たり前に尊重されるべきだと怒っています。
こんなケースでは、上司であるAさんから話を聞くと、「部下のBさんは会社の言うことを聞く気のないヤバいヤツだ」ということになっています。一方でBさんにも話を聞くと、「Aさんはこちらの意志を聞く気がなく、駒みたいに人を扱うヤバいヤツだ」となります。
これって、別に組織の中に限らずともいくらでも存在しますよね。仲の良かった友達や恋人同士が急にすれ違うとか、クライアントとパートナー(受注者)の関係が険悪になるとか。第三者として話を聞くと、多くの場合、互いに相手のことを“意味が分からない”と嘆いたり怒ったりしています。
こういうことって、なぜ起こるのでしょうか?
一人ひとり異なる「ナラティブ」が鍵
鍵となるのが、「ナラティブ(narrative)」という概念だと私は考えています。もともとは文芸理論の用語のひとつで、「物語」や「語り」などとも訳されます。物語の「語られ方」を研究するために使われました。
この概念が拡張され、現在ではコーチングの文脈でもよく使われます。私は、ナラティブを“人の中で動いている物語”のような意味合いで捉えています。つまり、人が物事を捉えるための枠組みのようなもの、ともいえます。
そして誰しもが自分固有のナラティブを持っています。それは、“このコップに入っている水は、多いのか少ないのか”といったごく些細な観点でも、“なぜこの会社で働いているのか”、“人生でやりたいことはなにか”といった大きな観点でも、一人ひとり違っているんです。そういった固有のナラティブを通じて、人は物事を理解する、と考えます。
だから、同じ現象が起こっているにも関わらず、AさんとBさんでは物事を捉える枠組みが違うから解釈が異なる……ということが起こるんです。
このとき注意したいのは、第三者としてAさんの話ばかり聞いていると、視点がだんだんとAさんの方に寄っていく、ということです。もし対立が起こっていたとして、周りの人がBさんの話を聞いていないと、解釈がAさん側に寄ってしまって分断が生まれてしまいます。
あくまでそれはAさんから見たビューであり、解釈なんだなと考えないと、組織のとんでもない崩壊が起こりかねません。
とにかく大事なのは傾聴
でも、客観的に考えればそんなことは分かっていても、実際に対立し合う当事者になってしまう場合もあると思います。とにかく相手の行動の意味が分からないし、言ってしまえば腹も立つ。では、もしそういう状況に陥ってしまったら私たちはどうすればいいんでしょう?
ここで役に立つのがコーチングの技術です。コーチングとは、対話や傾聴を通して相手の内面にある答えを引き出すプロセスのこと。この技術的な側面である“傾聴”が、重要なキーワードです。
人と人がぶつかるときって、怒りのエネルギーが衝突を生みます。そうならないためには、相手を分かってあげることが最も大事。傾聴にはふたつの側面があります。ひとつは、自分の解釈が混ざっている現状を解決すること。もうひとつは、相手がもつ“自分のことを分かってほしい”という想いを受け止めるということです。
ポイントは、傾聴タイムでは仮に相手がなにか共感できないことを言っていても、あなたはそう思うのねというマインドで臨むこと。向き合うのではなく、いったん同じ方向を向く。傾聴の目的は聞いてあげることなので、とにかくフラットに、状況把握のための傾聴に徹するんです。
それでもテクニックがよく分からなかったり、自信がない人は、とにかく傾聴タイムのときは自分の意見を言わないようにしてください。職務上で絶対に必要なことだと考えればできるはずです。それに、相手の怒りエネルギーを解消しようとは考えなくても良いです。ただ、意見を言わない。それさえ行えば、相手は“自分は否定されないんだ”という安心モードで話せます。
お困りエピソードはたくさん知っていた方がいい、という考え方
コーチングを行うことは、自己理解を深めることにもつながります。誰かとの対立が生まれたときには、そもそも自分がなぜこんなにイライラするのか、何にそんなにこだわっているのかを言語化し、自己理解を行うことも大事です。どうしてそう思うのか、自分の信念をある程度理解できていると、相手にも説明しやすくなります。だから相手側も、“ただのヤバいヤツ”みたいな解像度から、“だからそういうことを思っているんだ”と、人間像をグッと掴みやすくなるはずです。
そう考えると、自分が相手を見るフィルターも、一般化しないことが大事ですよね。モラハラをする人って、“普通そうだよね”と言いがちなので。解像度を上げるためにも、とにかく傾聴は大事です。
ただ結局、対立というのは他者と働いていれば起きて当たり前のことです。なぜならここまで話してきたように、人それぞれナラティブをもっていて、それらはまったく異なるから。対立が起こったとして、渦中にいると深刻な問題に感じちゃいます。でも人は解釈で生きる側面があることを知っているだけで、多少は動揺せずに済むのではないでしょうか。
少し話は変わりますが、他者の困っていたエピソードをたくさん知っておくことで、“この問題ってよくあるやつだ”と一般化できることって多々ありますよね。自分の身に降りかかっているのは大変な問題だって思いすぎないという。
それもあって、最近私はマシュマロ(匿名のメッセージサービス)にハマっています。少しユーザーインタビューに近い感覚ですが、いろいろな悩みを知りたいな、とも思って。
それで同年代の女の子に話を聞くと、子どもを産むかどうかと、キャリアの問題が必ず話に上がってくるんです。肌感として、友達の10人中8人が同じ話をしている。社会の構造がそうなっているんだな~とか、個々人の問題から一歩抽象的に事象を捉えられます。
マシュマロをやっているのは、もともと人の相談に乗るのも好きだということもあります。人の悩みへの向き合い方はふたつあると思っていて。ひとつは感情的に寄り添うやり方で、もうひとつはコンサルみたいに、問題を整理するようなやり方。実は私は後者の方が好きなんです。自分の脳内トレーニングというと語弊がありますが、構造化して打ち返すことは比較的得意なので。マシュマロ、絶賛募集中なのでいつでも送ってくださいね(笑)。
Text:弥富文次