「椅子の用途は?」と問いかけると、ほとんどの人が「座るもの」と想像し、答えるだろう。
しかしながら、完全にその答えを良い意味で裏切るチェアがある。インテリアをあまり知らない人でも一度は目にしたことがあるだろう、マッキントッシュの名作ラダーバックチェアだ。今回はラダーバックチェアが制作された経緯と自分が購入したストーリーを合わせてお伝えしたい。
ヒルハウスとマッキントッシュ
この椅子は1903年に英国スコットランド西部の町ヘレンズバラの北郊にある邸宅ヒルハウスの主寝室専用にデザインされたものだ。ヒルハウスは建築家マッキントッシュが友人のために設計し、家具のデザインまでも手掛けたもので、氏の代表作として知られている。
ラダーバックチェアはリートフェルトによるレッドアンドブルーチェアやミースファンデルローエのバルセロナチェア、コルビュジェのシェーズロングなどとともに、モダンデザインの古典として複製が製品化され、世界中のインテリアショップでお馴染みの椅子となっている。
すべてに共通しているのはデザイン自体が現代でも新しいということと、その場所、用途に限定して作られたものであるということだ。中でも、このラダーバックチェアは、その目的が一番椅子の用途とは遠いところにあるものかもしれない。
もともと椅子としてデザインされていない
インテリアショップで初めてこの椅子を目にした人々は、果たしてそれが本来どのような空間に置かれていたかを想像できるだろうか。
さすがにダイニングだとは思わないだろうが、背中の異様なデザインから何かしらの意図があったのかは想像がつくだろう。
「背景が白い空間に置かれていたの?」と想像できても、実際はその白い壁全体がシルバーとピンクの薔薇の垣根をパターン化したステンシルで飾られていたと想像することは難しいと思う。
ヒルハウスの主寝室において、この椅子が置かれる位置は初めから厳密に計算されており、あるべき位置に置かれるべくデザインされている。その位置というのは、ほとんど腰掛けることを想定されない壁際であり、薔薇の装飾と黒い直線的な椅子の組み合わせが生み出す効果は、完璧な調和を生み出すべく意図されていたはずである。
何が言いたいかというと、見た目は椅子ではあるが背景ありきでデザインされた空間を彩るオブジェであるということだ。
そしてマッキントッシュの側から言えば、この椅子は特定の空間のためにデザインした椅子であり、量産され製品化されることなど予想さえしなかっただろうと思う。人生、そんなもんなのかとも思わされる。自分の仕事が意図せぬ思わぬことでバズってしまうようなものだ。
そして僕自身、自宅に置いてあるものの、座ることはほとんどない(笑)。座ったのは購入した時の一度だけ。見た目からは想像もできない軽さに驚き、強度的に大丈夫なのかと思ったのを今でも覚えている。
芸術作品として部屋の一部に
ここまで説明してきた通り、ラダーバックチェアは実用的とはかなりかけ離れた無駄な一脚。椅子としてはあまりにも華奢であるが、輪郭を象る均一な線を思わせる背もたれの格子模様は、僕自身が大好きな日本美術を思わせるデザインで直線的な日本家屋にもよく合う。玄関などにさりげなく置いてあると、それだけで絵になる。
自宅では洋書を飾ってみたり、アートを置いてみたり、ハンガーとして使ってみたりしている。用途は自分自身でいくらでも作れるし生み出せる。椅子とはいえないが、使い方を色々と創造させてくれる、ある意味アートだ。椅子だから座るものだと先入観をもたず、その人のライフスタイルに合わせた使い方をすれば良いのだ。
物へのストーリーを大切に思う
そもそも、僕がこんな贅沢で無駄な椅子、ラダーバックチェアを購入したのにはある理由がある。ふと立ち寄ったヴィンテージショップでラダーバックチェアと出会い、クレジットを確認してみるとcassina の1980年制作ものであった。そう、1980年は自分の誕生年。「これは出会いだ!」と即購入した。購入価格はヴィンテージなので20万円ぐらい。ちなみにcassinaの現行モデルは47万3000円で販売されている。
自分のバースデーイヤーに作られたROLEXなども愛用している人も多く聞くが、自分はインテリアを生業にしているので椅子に投資。自分と同い年というだけで、愛着も湧くというものだ。日本では中古品を嫌う人も多いが、同じ歳月を違った場所で過ごし、どんな景色を見てきたのか……自分が死ぬ前にはこいつと語り合いたい(笑)。
空間も人生も物も、無駄や余白に大きな意味があると思っている。無駄や余白があるから格好良いのだ。それを敢えて取り入れるから面白いのだ。無駄や余白があるからまわりが引き立つ。もちろん主役の1脚なのだが、間違いなく生涯を共にする一生ものだ。
最後に自分は物を選ぶ時にストーリーをとても大切にしている。仕事も、物に対しても同じ考え方。ただ、物を買うのではなくストーリーを買う。もちろん、マッキントッシュへのリスペクトも含めて。