環境問題や裁断ロスを意識した新しい服作りを唱える若手デザイナー。ファッションテック(Fashion x Technology)と呼ばれる3Dプリンターなどを活用した最新の服作りのテクノロジー。ここ数年、旧態然としたファッション業界に新風を巻き起こす話題をよく耳にする。
とはいえ、ファッション業界の大勢は、すでに確立された服作りの方法論に従い、色、素材、仕上げの違いで勝負をしている。
そんなファッション業界ではるか以前から、服作りの方法そのものの改革に取り組んでいた企業がある。しかも、コロナ禍に入ってから、これまで以上に精力的に新しいチャレンジに取り組んでいる。その企業とは「イッセイ ミヤケ」。設立当初から、衣服を「ファッション」でなく「デザイン」としてとらえる独自の視点を唱える稀有な存在だったという。
2016年に国立新美術館で開催された「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」。その図録に同美術館主任研究員の本橋弥生氏が「三宅の服づくりには、活動当初から現在に至るまで一貫している特徴が大きく3つある」として、以下を挙げている。
1)「一枚の布」をできるだけそのままに、身体の動きに呼応する衣服を探求
2)(刺し子やプリーツなど)古来から伝わる服づくりの技法と最先端の技術の融合
3)独自素材の開発と専門家、アーティストとのコラボレーション
この3つを念頭にイッセイ ミヤケの服を振り返ると「なるほど」と納得するものが多い。なかでも象徴的なのが「A-POC(エイポック)」だろう。
コロナ禍に入って一年目の2021年3月、突如「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(エポック エイブル イッセイ ミヤケ)」(以下、A-POC ABLE)という新ブランドとして始動。
例えばSONYと協業し、同社が開発した再生資源「トリポーラス」で色褪せしない黒を実現した「TYPE-I」。あるいは3Dプリントで靴づくり改革を試みるMAGARIMONOと協業して生み出した大人のサンダル「TYPE-III Magarimono project」。ほかにも蒸気の熱でプリーツ形状を成形するストレッチ素材「Steam Strech」で作ったシリーズ「TYPE-O」、まくった袖がそのままの形を保つ「形状記憶素材」を用いたシリーズ「TYPE-U」など、最先端の技術を服作りのプロセスに融合したシリーズが次々と登場している。
その一方で、1~9のデジタル数字によって、時間や生命を表すアート作品で知られるアーティストの宮島達男氏と協業した「TYPE-II Tatsuo Miyajima project」や常に変化を続けることで時代を牽引してきた美術家、横尾忠則氏と協業したモデルを作ったりと、纏うアート作品も次々と生み出している。
そんな「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE 」。今年の7月には、錆の美しさを表した前代未聞のジーンズ「TYPE-IV Yuma Kano project」を発表し再び注目を集めている。
本稿では、テクノロジー、デザイン、アートを融合した同ブランドの革新性を通して、これからのものづくりのあり方について考察を交えたい。
A-POCの革新、ABLEの進化
ここで改めて「A-POC」は何が革新的なのかを振り返りたい。
「A-POC」は、1998年に生まれると、「服づくりのプロセスを変革する」技術として業界に大きな衝撃を与えた。名前はイッセイ ミヤケでもっとも重要な概念「一枚の布(A Piece Of Cloth)」の頭文字と「エポック・メイキング」のEPOCHを掛け合わせて付けられている。
従来の服づくりは分業で作られている。服飾デザイナーは服をデザインするが、その服作りに使われるテキスタイル(生地)は、テキスタイルメーカーが撚った糸を織ったり編んだりして作る。パタンナーと呼ばれる人々が、デザインを元に服の型紙を起こす。デザイナーが、できあがった生地を集めてきて、それを型紙に合わせて裁断し、裁縫する。これが基本の作り方だ。
これに対してA-POCでは、服飾デザイナーが糸選びや生地づくりといった川上の工程から関わる。
最終形をイメージし、その服の設計図のデータをコンピューターに入力。これは糸一本一本がどのように生地として編み込まれるかのプログラムでもある。
すると、コンピューター制御の編機や織機が、衣服のパーツの輪郭のガイド線が組み込まれた布を織り上げる。布の上の柄やガイド線はプリントされたものではなく、異なる糸、異なる織り方によって表現されている。
例えば、2020年の「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE 0」では7色の糸を使って生地の上に横尾忠則の絵を再現している。タペストリーのように絵が織られた布をガイド線に沿って切り取って服のパーツを取り出すが、切り取る部分はちゃんと糸がほつれにくい織り方になっている。
このように糸から最終形をダイレクトに作り出す方法は、最近、話題の裁断ロス、つまり無駄になる布が少ないばかりでなく、必要なときに必要な数だけ生地を作る適量生産にも向いている。
「ファッションテック」などという言葉が出てくるはるか前の1998年に、こんな技術を生み出していたと言うのは、まさに画期的なことだと思う。
筆者は2016年にニューヨークのメトロポリタン美術館で、アップル社がスポンサーした服作りの技術を紹介した展覧会「Manus x Machina: Fashion in an Age of Technology」を、2017年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で111種類のファッションアイテムのデザインの進化を分類した展覧会「Items: Is Fashion Modern?」に足を運んだが、そのどちらでもA-POCは重要な作品のひとつに位置付けられていた。
2007年の衝撃のデビューの後、一度、「A-POC」というラインアップは一度なくなり、その代わり一部の服で「A-POC INSIDE」として同技術を応用する形態になった。
ところがコロナ禍に入って丸1年目の2021年3月、突如、A-POCのブランドが「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(エイポック エイブル イッセイ ミヤケ)」(以下、A-POC ABLE)として再始動することになった。
「ABLE」は英語で「できる」の意味だが、その語には、こんな意味が込められているようだ:「異分野や異業種との新たな出会いから、さまざまな「ABLE」を生み出します」(A-POC ABLEブランドコンセプトより)。
ブランドを率いるのは宮前義之氏。2019年まで8年間、イッセイ ミヤケの4代目デザイナーとしてパリコレでの顔を務めてきた人物だ。
この「A-POC ABLE」誕生には、前奏曲となる出来事があった。2020年10月。宮前氏から筆者にメッセージが届いた。イッセイ ミヤケのメインデザイナーを退任してどうしているのか気になっていた時期だった。メッセージには「この1年あまり、新たな研究開発に没頭しながらいくつかの新規プロジェクトの準備に携わっておりました」とあり、そのひとつがついに発表できると書かれていた。
案内を受けた3日間だけの特別展示で披露されたのが、7色の糸の動きをプログラミングして、横尾忠則氏の作品を一枚の布の中に再構築、色鮮やかに織り上げたブルゾンの「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE 0(ゼロ)」だった。
それまでのA-POCは、ほとんどが無地で、たまにある柄ものも色数を抑えたシンプルな柄が多かったが、本作はカラフルで複雑極まりない横尾忠則の絵を完全に再現していた。この特別展示は、ネットでも大きな話題となり、たった3日間の会期に多くのクリエイターが足を運んだ。
錆(さび)を扱うデザイナー・狩野佑真もその一人だ。展示会を見て感動をし、即座に宮前に連絡をし、錆の可能性について情熱的に語ったという。
この大好評だった「新規プロジェクト」の発表から半年後、宮前義之は満を持して新ブランド「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」を発表。次々と新しいプロジェクトを発表し始め、東京と京都にブランド直営の路面店も新たにオープンさせた。
なかでも注目は京都店だ。趣ある町屋を改装した「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / KYOTO」は内装をイッセイ ミヤケとの仕事も多い世界的デザイナー・吉岡徳仁が手掛けている。協業する相手ごとにアイテムの趣が大きく変わるA-POC ABLEだが、吉岡のミニマルなデザインの什器はどんな製品の世界観も崩さず見事な調和を生み出している。
そのアルミニウムを用いた現代的な表現を、歴史ある町屋の大きなウィンドウから覗かせていることも、伝統的な技術に新たな考え方を導入するというA-POC ABLEのブランドを見事に体現しているように見える。
外の技や才との結合がイノベーションを生み出す
そんな「A-POC ABLE」の最新作が錆の美しさを讃えたジーンズ「TYPE-IV Yuma Kano project」だ。
狩野佑真は2012年に自身のデザインスタジオ「STUDIO YUMAKANO」を設立。ネジ一本からプロダクト・インテリア・マテリアルリサーチまで、実験的なアプローチとプロトタイピングを重視したプロセスを組み合わせて、さまざまな物事をデザインの対象として活動。2017年から海外のデザイン展示会への出品も始めたが、2018年に若手デザイナーの登竜門として知られるミラノサローネの「Salone Satellite」に出品し一躍注目を集め、筆者もこのイベントで出会った。
同展では、「Rust Harvest|錆の収穫」という作品を出品。忌み嫌われることの多い「錆(サビ)」に新たな美しさを見出し作品に昇華したものだ。金属板を錆びさせ、その錆の状態がもっとも美しくなった状態でアクリル樹脂に写しとる。この行為を狩野は「錆の収穫」と呼んだ。錆はどこまでも進行を続ける化学反応だが、収穫した錆はそれ以上、反応せず美しい状態を保つ。
狩野はこうして錆を収穫したアクリル樹脂を用いて椅子や棚、テーブルなどの家具を作り始め、これが話題となった。
そんな狩野は2020年秋。A-POC ABLEの前奏曲とも言える横尾忠則のプロジェクトの展示へ足を運び、その技術に感動して、自分が育んできた錆の表現とも何か協業できる事があるのではないかと宮前にアプローチを始める。宮前は、これを快く受け、2人はお互いのアトリエを行き来する間柄になった。
2人は多くの議論を重ね、店舗の什器や展示に使うことや、錆で糸をつくる可能性など両者の間でできそうなコラボレーションの方法について多くの議論を重ねた。だが、最終的には原点である「錆の美しさ」に目を向け、A-POCの技術で錆の模様を再現する形で話がまとまった。
まずは狩野が40種類ほどの錆のサンプルを収穫し、それをイッセイ ミヤケの本社の床に並べA-POC ABLEのチームで投票。最終的に2パターンを選び、A-POCの製法でジーンズとなる布を織り上げた。ジーンズはもともとは労働者の作業着で、あえて汚れや痛みを楽しむ文化もある。
実際、これまでもA-POCの技術を使ってダメージに見えるグラフィックのジーンズが作られたことはある。ただし、今回は、本物の自然現象によって生み出された錆がモデルになっている。
この錆のジーンズの実現には、実物大の鉄板では重過ぎて転写ができないといった問題から小さな鉄板を活用するアイディアなど、多くの試行錯誤と議論を通して新たなノウハウが生み出されている。
だが、これは狩野とのプロジェクトだけの話ではない。今回は紹介できないがSONYやMAGARIMONO、横尾忠則や宮島達男との協業においても、同様に膨大な議論と検証、試行錯誤が積み重ねられており、それが「A-POC ABLE」というブランドの成長にもつながっている。
「A-POC ABLE」が体現する、「真のイノベーション」とは何か
海外には、まだ日本を「技術の国」「イノベーションの国」という人が少なからずいる。
しかし、現実の日本では「イノベーションが大事」と言う経営者はよく見かけるが、その実態は「自らイノベーションを起こす」のではなく、「誰かが生み出した成功実績のあるイノベーションをいち早く後追い」しているだけのことが多い。
もし、本当にイノベーションが大事だと考えているのであれば、想定内の日常業務だけに終始するのではなく、新たな研究、新たな試行錯誤、新たなチャレンジを重ねることが必要だ。そうしてこそ他社とは一線を画すことができる。
そうしたチャレンジで自分ならではの新しいものを生み出さないことには、いつまでもスペックだけ、価格だけの競争に追い込まれてしまう。
「企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させる」という理論を唱えたヨーゼフ・シュンペーターは、もともとは「イノベーション」と言う言葉の代わりに「新結合(Neue Kombination)」と言う言葉を使っていたのは有名な話だが、異分野や異業種との新たな出会いから「ABLE」を生み出す、という「A-POC ABLE」の考え方はまさにこれを体現している。
企業として発揮できる能力を社内の能力だけに閉じた限界のある形から開放し、世界のさまざまなものと結合して無限に新しい可能性を切り開く形にしている。
コロナ禍は、ほとんどの企業にとって、会社としてのあり方の強制リセットをかけた。これを閉塞感を打破し、会社を改革するチャンスと捉えている企業には、A-POC ABLEの取り組みは、大きなインスピレーションを与えてくれるはずだ。
本記事の掲載直前に、三宅一生さんの訃報が届いた。筆者はいくつかの展覧会でお会いし挨拶をさせてもらったことがある。特に印象に残っているのは、元フランス文化相のジャック・ラング(Jack Lang)氏からレジオン・ド・ヌール勲章のコマンドゥール(勲三等)を受章した「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」のオープニングイベントで、三宅氏は「人間は美しいものが好き。良いものが好き。だから、みんなとディスカッションしながらそれをつくっている。形にするのはなかなか難しい。でも、だからこそ面白い」と語っていたのが印象に残っている。三宅一生氏のご冥福をお祈りしたい。