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Column

WAKAYAMAごんぱち家族の移住日記

人生に何度かある分かれ道、考え過ぎずに行ってみよう!

author: 利根川 幸秀date: 2021/10/17

数年間、ゆるめに進めてきた移住計画。いざ実行するには多少のビビリもあったけど、和歌山各地を見てピン!ときたという新天地「WAKAYAMA」こと和歌山県。ここで暮らしたいと思える家にも出合えたという連載2回目は、利根川家がついに移住の準備を開始します。

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谷の右上にある、オレンジ屋根が我が家

「行く行く詐欺」から、翔んでWAKAYAMA行っちゃいます!

2018年夏、和歌山で候補地になりそうな町をいくつか選び、各町の移住担当者に案内してもらった。その旅の最後に、知り合いの友達が田辺市本宮町で暮らしていると聞いて、会いに行くことにした。大阪から車で3~4時間かかる山深い内陸なので、ここに住むことはないだろうな~と思っていた。

ゲストハウスに宿泊し、町を見て回った時の印象は、欧米人観光客がすごく多いこと。小学校沿いの熊野古道を、バックパックを背負った外国人がゆったりと歩いている様子は、僕たち夫婦にとって、かなり惹かれる風景だった。日常の中に、外国人や旅人が訪ねてきては去っていく。

「大きくなったら、ああやって、バックパック背負って行きたい国を自由に旅していいんだぜ!」って、子供達に言える。

そんな説得力ある環境って最高だと思った。それと、今まで見てきた他の場所よりも、土地が開けてる(閉鎖的でない)感じを受けた。これはあくまでも僕の感じた印象ではあるけれど、千年以上も前から熊野信仰の地として、絶えずよそ者が生活環境に入って来ていたからなのかもしれない。

観光地ということも、写真家としての仕事を考えた時に、何かしらに繋げられるような気がした。東京に帰り各地を比べてみて暮らすイメージが湧き、惹きつけられたのは熊野本宮大社のある「本宮町」。住む場所は決まった。

旅人達が、家の裏山から歩って下りてくる

石段を登らないとたどり着けない感じに、グッときた

2019年秋、二度目の本宮町。移住担当の方に、空き家を幾つか案内してもらったが、しっくり来る物件はなく、そこで短期滞在住宅(月/¥3,600~¥15,500最長1年滞在可)も紹介され、ひとまずここに住みながら探すのもいいんじゃないかと言われた。そして、小さいお子さんがいると、「あまりオススメできない立地の空き家がありますが、一応見てみますか?」と言われ、期待をせずにそこへ向かう。

「ここはちょっとないと思いますが……」と、案内された家は、苔むしたスロープと石の階段を50m程上がったところにある平屋の家だった。階段を登りながら、「なんかいいなー」「ええ感じやんー」と、僕と妻は好感触で家までたどりついた。これまで見せてもらった物件と違い、家の傷み具合も少なく、大規模な修繕は必要なさそうだった。台所の柱には子供達の背丈を測ったペン跡が3本。きっと子どもは3人いたのだろう、悪くない。

写真中央が“ウチへとつづく石段”。うん、いい響きだ(笑)

「すごくいいですね!」僕がそう伝えると、皆は目を見張り「いやー、ここに住むのは大変やで~」「雨の日の買い物やらお迎えやら何やら、毎日ここの登り下りは考えもんやと思いますよ」と、口々にオススメしないコールが続いた。

2020年2月の冬、仕事も兼ねて三度目の本宮町に行った。今回は、子どもたちが通うであろう小学校と保育園を見学させてもらった。その時に先生が言った言葉が、いろいろな意味でこの土地を感じさせる内容だった。

「もし来てくれたら、新一年生が3人になるわ~。うれしいわ~」

それから、高台の空き家をもう一度見に行き、苔むした石の階段を下から見上げた時に、子どもたちが石段を駆け足で登っていく後ろ姿を見て、やはりここに住みたいと強く思った。何事も、まずは体験することだ。

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大袈裟に言えば“ジブリ感”(笑)

散々悩んだけれど、ファイナルアンサーは迷わない

2020年12月、新型コロナウイルスが世界を一変させ、僕の仕事も数カ月間、ほとんどなくなってしまった。仕方ねーなと思いながらも、来年に娘は小学1年生だ。コロナ騒動でなんとなくふわっとしていたが、引っ越すならファイナルアンサーまでもう時間はない。行かないという選択肢はないはずなのに、引っ越しを考えると、おしりの股に沢山の汗をかいては、やばいやばい、どうしようどうしようと、ドキドキしていた。

妻に「どうするん?」と聞かれるたび、「行くでしょ!」と、当然ヅラして即答していたが、自分を鼓舞していたことは間違いなかった。行くなら今しかねー。長女・種が1年生になる今しかねー。でも、あっちに行っちゃって、マジで大丈夫か、オレ? いや、なんとかなるっしょ! 人生の大きな分かれ道。

もし、行かなければ一生タラレバを引っさげて生きていくことになるだろう。行っちゃえば、その先のことはそこで対処して行けばいいじゃないか、と自分に言い聞かせる。とにかく電話をしよう。移住担当の方に連絡して、2021年3月に引っ越すことを前提に、家賃やらその他、いろいろと確認したいことも含め、大家さんにお会いしたいことを伝え、2021年 、新年早々の1月、4回目の本宮町に向かった。

常に移住が頭をよぎっていた東京生活。善福寺和公園にて。現在、妻・利根川 希美代(42歳)/長女・種(7歳)/長男・今(3歳)、筆者は43歳の4人家族

地域で育っていくような、子育てに憧れて

大家さんは僕と同じ年、子どもが3人の本宮町出身の方で、現在は他の町に暮らしている。僕が大家さんに一番確認したかったことは、「どうしてここから引っ越したのか」だった。

地域に厄介な人が住んでいるのではと、僕は秘かに勘ぐっていた。近所の人たちとしっかりと繋がって暮らしていくことが、移住に対しての最重要なことだと思っていたので、そこだけは明確にしたかった。だが引っ越した理由は、人間関係ではなく、新しい挑戦(事業)を始めることだったと聞いて一安心。

ご近所さんはどんな感じですか、と聞いてみると、「みんな子どもに優しくて、声が聞こえてうれしいと言ってくれる人たちです」「ここは子育てには最高の場所やと思います」。ご夫婦共にそう答えてくれたことが、背中をサスサスされたような安心感につながったのを覚えている。

いつも優しい眼差しを向けてくれる、近所のコネさん

東京では、公園でベンチに座っている知らない大人は、気を使わなければいけない対象のように感じることが多かったし、あからさまに舌打ちするような輩もたまにいたから、子どもたちの存在自体を喜んでくれる地域環境は、自然が豊かであること以上に、価値があると妻とうなずきあった。

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勝手に守り神と呼んでいる、下に住む杉山さん

次回は、引っ越し宣言、家賃や家屋の修繕、それに関わる移住助成金などの話も含めてしていきたい。

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フォトグラファー
利根川 幸秀

1978年埼玉育ち、99年にインドよりエジプトまで陸路で旅して、途中イスラエルで旅費を稼ぎ、2000年ハンガリーより帰国、その後も東南アジアなどバックパッカーしたのち、職人などを経て、2006年写真家・𣘺本雅司氏に師事。2010年フリーランスとして独立。雑誌、webメディア、ポートレート、家族写真等、多岐にわたり撮影。趣味:川遊び、ダム瞑想。2021年、家族で東京より和歌山に移住。
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