神保町という街で、まず思い浮かぶのは、カレー、古本、出版社? はい、ぜんぶ正解ですが、大事な”鍵”がもう一つ足りません。答えは、中華! 神保町には、明治期に遡るような歴史深い中華料理の名店が多くあって、不思議なことにどの店にもカレーメニューがある……、なぜ!? カレーなる街、神保町の、”じゃない”ほうのカレーの謎に迫る。
中華カレーを育んだ
神保町中華街説の真相とは?
いまでこそ”カレーなる街”として全国に名を轟かせる神保町界隈の真の姿は、書店、古書店、出版社がひしめく”本の街”で異論はないでしょう。明治期、この地に本邦初の大学が設立されて以降、近代日本のアカデミズムを支える出版文化の中心地として発展してきました。出版人、文化人、学生達が本を求めて集い語らう街は、知的に賑わい、必然と食文化も花開きます。
知と食は、この街の胃袋たる洋食屋、喫茶店、はたまた蕎麦屋で出会いハイブリッドされます。この街のソウルフード”カレー”もそうして育まれました。神保町界隈の独特なカレー文化に、育ての親は数ありますが、中華料理もその一角でした。長年の定番メニューにカレーをかかげる店が多く、それぞれにオリジナリティが光ります。この街のカレーを語る時、同時に中華料理を語らないと方輪走行となり、たいへん危険です。
戦後復興を遂げつつある
1950年代の神保町すずらん通りの風景
さて、神保町中華の歴史は古く、文明開化華やかな明治中期まで遡ります。東アジアの学びの中心地となっていた東京には中国からも多くの留学生が訪れ、学舎に近く地の利の良い神保町には、中国人学生街そして華僑の移民街の様相だったといいます。かの孫文や周恩来もこの地で青春期を過ごしています。戦前まで、目抜きのすずらん通りなど界隈に中華街の趣を残していたそうですが、戦災の憂き目をみています。戦後復興のなかで神保町の中華料理に再び火が灯り、名店競う中華の美味しい街としての今につながっているのです。
しかし、なぜ中華でカレーなのか?
名店4店を直撃し、神保町中華カレーの
ルーツ探ってみました。いざ!
<一軒目>
創業120年は神保町最古参、
揚子江菜館のカレー
50年越しの試行錯誤を経て生み出された獅子頭カレー 。
明治39年創業の神保町内でも別格の歴史を持つ名店。上海郊外の港湾都市寧波から移住した初代店主は、日本に合う中華料理のたゆまぬ研鑽で店を盛り立てるとともに、神田界隈の華僑コミュニティをまとめ、日中友好のため尽力した徳の人でした。その遺志を継ぐこと120年、新しい中華料理の追求は止むことなく、例えば神田の日本そばに着想して”冷やし中華”を生み出した店としても知られています。店を愛した著名人も枚挙にいとまなく、文豪で稀代の食通、池波正太郎はその代表格。この店の上海式肉焼きそば、冷やし中華を求め足繁く通ったとか。
上海料理の定番、特大の肉団子、獅子頭(シーズトゥ)
さて本題のカレーはというと、定番に定着するまで試行錯誤は50年近く続いたというから意外です。その間、挑戦した数々のカレーメニューが鳴かず飛ばずで苦渋のメニュー落ちを重ねていましたが、2012年から開発をはじめた新作カレーで多くのファン掴み、積年の雪辱を果たします。それがいまやこの店の名物ともなった獅子頭カレー、1,280円。店のルーツである上海料理定番の特大肉団子”獅子頭”(シーズトゥ)がドカッとのる迫力のルックスながら、まろやかで上品な味わいに仕上げられ、見た目よりずっと軽い食後感。ただ、9月からの秋冬限定メニューなので、来店時はご確認を。
拳骨ほどもある”獅子頭”(シーズトゥ)が、チャレンジングなカレー。
揚子江菜館
東京都千代田区神田神保町1-11-3
03-3291-0218
<二軒目> 中華カレーの立役者、
新世界菜館のカレー
いまや中華カレーの代名詞ともいえる新世界菜館のカレー。角煮カレーは一番人気。
戦前から神保町で料理人をしていた創業者が、戦後間もない1946年創業した新世界菜館。70年の時を重ねた神保町界隈最大の人気中華料理店。その店が誇る三大名物が、上海蟹、紹興酒、そしてなんとカレーです。中華でもカレー。超人気メニューにまで至ったこの店のカレーですが、ご他聞に漏れず、賄いメニューからの進化という王道を経ています。日々忙しくタフな中華料理の厨房で、大事なモチベーションとなるのが”賄い”です。厨房のエッセンスが濃縮された秘伝の一皿を想像すると、とにかくシンプルなレシピですよ、と意味深な笑顔の三代目支配人。
若き三代目支配人、傅良平さんにとっても思い出の味
肉と野菜を鉄鍋で一気に炒め、中華スープベースのカレーソースで手早く仕上げる様は、肉野菜あんかけでも作る中華調理のイメージそのもの。旬の素材をシンプルにうんぬん、と支配人は繰り返しますが、中華なカレーの深淵、隠しきれない独特の風味はなんぞ!? と、正体を問えば、隠し味の紹興酒とな、なるほど! しかし、そんな秘密はきっと小さな要素に過ぎません。旬野菜と肉、まろやかな温泉卵がスプーンの上で混然一体となるとき、中華カレーの一つの到達点を味わうことが出来ます。この一皿、じゅうぶんカレーで、じゅうぶん中華。また、カレーの街神保町の歴史からみても、特段長い歴史を持つカレーが、中華料理のカレーという事実は、この街の味と文化に奥行きを与えています。
カレーのみならず、冬場には上海蟹を求めて食通が集う。紹興酒の品揃えも随一。
新世界菜館
東京都千代田区神田神保町2-2新世界ビル
03-3261-4957
<三軒目>異色のコラボレーション、
源来酒家の麻婆カレー麺
一見して麻婆丼?と見紛う一皿に、複雑なカレーワールドが秘められている。
戦後間もない昭和25年、神保町界隈で創業した源来軒をルーツとして、20年ほど前に源来酒家として新装開店しました。源来軒創業から数え60年、名店新世界菜館の親戚筋にもあたり、古くは中華街でもあった神保町の趣を伝える数少ない店の一つです。花椒のしっかり効いた麻婆豆腐が人気メニューですが、源来軒時代からカレーがあり、人気だったそう。源来酒家として新装後、神保町がカレーの街として人気になりつつあることも意識しつつ、新たにカレーメニューの開発をはじめます。試行錯誤の末、看板メニューでもある麻婆豆腐とのハイブリッドを思いつきました。
深みのある辛味に花椒がピリリと効かせ、個性のはっきりした自慢の麻婆。それに見合うカレーソースを編みだすのに、ずいぶん苦労したそうです。個性的な麻婆に負けない、麻婆専用カレーソース、その答えとは、インディアンスパイスでしっかり仕込んだインド風カレーソースでした。また、カレーは麻婆豆腐に混ぜ込むのではなく、麻婆+カレー+麺の3層のレイヤーとして盛り付け、底部の中華麺を引き上げたときに麻婆とカレーが絶妙に絡みつくような構造としました。その結果、麻婆とカレーそれぞれのスパイスが出会い、なんとも複雑な味わいが広がります。中華と印度の出会いは、偶然であり、必然か。唯一無二なカレーメニューの摩訶不思議は、必食です。
タイ風グリーンカレーメニューも実験中というアイデアマンの店長。
源来酒家
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3丁目3
03-3263-0331
<四軒目>神保町の元祖街中華、
北京亭のカレーライス
強い直火の上、中華鉄鍋に舞い踊る食材。中華の早業妙技で仕上がるカレー。
昨今神保町の町並みは、再開発に伴う各種チェーン店の出店などにおされ、古き良き面影は薄れつつあります。こと古くからこの街に馴染んだ小規模飲食店は、後継者不足、地代高騰、チェーン店との競争の3重苦と戦いながら、維持を続けているのが現状。そんな中、敷居の低い街中華は奮闘を見せており、戦後すぐから続く北京亭は、神保町街中華の代表格かもしれません。どのメニューも1000円で十分お釣りがきてお腹いっぱい。長年、はらぺこ学生やサラリーマン、さらには日本に学びを求めてやってくる中国人留学生達の胃袋を支えてきました。
カウンターから厨房劇場を楽しむことができるのも、街中華の魅力。
日本での学びを胸に母国に帰り、作家や大学教授になったり、政府要人になったりした未来の彼らが、やがて神保町北京亭を再訪し書き残していった無数のサインが、年季の入った壁に誇らしげにかかっています。街中華に日中友好の歴史が見え隠れするようです。そしてそんな店にも、カレーライスがあります。現店長いわく、40年まえにはすでに定番メニューで、レシピもずっと変わらず守ってきたとか。早速注文すると、カウンター越しの調理風景。これこそ町中華の醍醐味でしょう。中華料理の手早い妙技で中華鍋が振られ、カンカンと小気味よい鉄の音が小気味よい。あれよという間に完成。野菜のシャキシャキ感に熱々のカレーあんが、たまらなく食欲をそそる、780円。
カレーも中華も、胃袋を満たす満足感において、貴賤なし。カレーライス、780円也。
北京亭
千代田区西神田2-1-11
03-3261-4116
写真・文:下城英悟