大阪メトロ桜川駅4番出口を出て道頓堀川を背にあみだ池筋を南へ3分ほど歩くと、茶色いタイルのビルの1階にあるガラス張りの店に着く。雲南省など辺境料理をベースにした創作料理を提供するヒサタケユーヤさんとヤマサキユウスケさんが、2025年4月にオープンした飲食店「民族中華」だ。羊の脳みそや鴨の舌など珍しい食材を含む多彩な食材を中国伝統の調理技法で調理し、美しい盛り付けで魅せる。他店で見たことがない料理の数々にファンが多い。
ふたりは2023年から月イチでイベントを開催し、半日で平均150人ほど集客してきた。ファンが増えた4回目から満員御礼、8種のメニューがほぼ完売。最初のイベントから3年を経て念願の常設店をオープンし、他では見たことがないようなクールな中華料理を打ち出し続けている。

稀人No.015
中華料理ユニット「民族中華」
大阪を拠点に、雲南省など中国辺境に住む民族の郷土料理をベースにした創作料理を提供するイベントを、2023年12月から開催してきたユニット。高知県出身のヒサタケユーヤ(店舗運営・ディレクション)とヤマサキユウスケ(中華料理人)の2人で活動。アメ村やフェスなどに出店し、誰も見たことがないような中華料理を打ち出しながらファンを増やし続けている。2025年4月、美容室の一角を間借りして常設店をオープン。
lunch12:00~14:00/dinner17:00~23:00
Instagram :
民族中華 @minzoku_chuka
ヒサタケユーヤ @yz.swg1108
ヤマサキユウスケ @yuuuuuuuusukebe
「未知」を無限に追求する、ストリート即興中華ユニット
月に一度の間借り営業が、「民族中華」の原点だ。2021年12月から約3年間にわたり、固定された場所を持たず、”フード・ゲリラ”的に飲食店やイベントに出没してきた。
提供メニューはいつも挑戦的。四川成都の伝統料理で羊の脳みそを使った「香辣羊脳(シャンラーヤンナオ)」、北京ダックの技法を手羽などで代用した「Chain Chicken Wing(CCW/チェーンチキンウィング)」、インドの揚げ菓子をおやつに昇華した「パニプリ焼売」、タイ料理の味付けを応用した「タイ式なめろう」など、他に見たことがない料理を生み出すスタイルを貫く。

羊の脳みそを使った「香辣羊脳(シャンラーヤンナオ)」


「Chain Chicken Wing(CCW/チェーンチキンウィング)」(※上の画像は、仕込み中の様子)

「パニプリ焼売」(すべて、民族中華提供)
この料理の独創性が、多くの人を惹きつける。中国辺境料理と伝統技法をベースとしつつ、国を意識しない自由なアレンジを加えることで、既存の中華の概念を軽やかに超えてくる。
「民族中華」はイベント名であり、店舗運営&ディレクターのヒサタケユーヤさんと料理人・ヤマサキユウスケさん2人のユニット名だ。イベントごとにテーマを決めて、メニューを開発。ユウスケさんは雲南省の辺境を含む本場中国各地を2ヶ月半渡り歩いて出会った「民族料理」にフォーカスを当てつつ、ディレクター・ヒサタケユーヤさんの中華にとらわれない自由な発想をもとにユウスケさんがメニューを考案する。
イベント開催場所はすべて飲食店オーナーからのオファー。難波の創作フレンチ「over the over」、難波のスタンド「エーストア」といった、関西のカルチャー雑誌『Meets Regional』にも取り上げられるような感度の高い飲食店で、即興的なクリエイティブの場として間借り営業を続けてきた。


民族中華vol.10 2023.2.2 @WONDERTOO(当時はwonderland) での様子
盛り上がりは数字にも表れ、2022年5月のVol.4イベントでは、店舗のキャパシティを大幅に超える150〜160人の客を集め、6時間で80万円の売上を記録。以来、彼らのイベントは常に満員御礼、完売が続いた。
食の表現にとどまらず、2025年1月には、彼らの感性に共鳴するショップを巻き込み、「衣×食×住」をテーマにした1日限りのイベントを開催。活動のフィールドは拡がり、今年は香港にも進出した。
食とカルチャーの境界線を越える遊び心で注目を集める「民族中華」。この突き抜けた表現の源泉はどこにあるのだろう。
カウンター越しに客席を盛り上げるエンターテイナー

まず2025年4月オープンの常設店に向かった。10月某日12時、ランチタイムに入店する。店の前に佇むベンチの横、モナリザのポスターは、キョンシーのお札のように風景写真で目元が隠されている。ガラス越しの壁には東南アジアの傘が飾られ、ミスマッチな組み合わせなのに馴染んでいる。
「こんにちは!」と席を促してくれたのは、カラフルな手ぬぐいを首に巻いた店舗ディレクション担当のユーヤさん。オレンジ色のゆったりしたシャツにハット姿で湯切りするのは料理担当のユウスケさんだ。
開店直後からすでにカウンターには2人の常連客が座る。「麻辣麺(マーラーメン)」を食べ終えると軽く手をあげて店を出ていった。ユーヤさんは「さっきのお客さん、4月にオープンしてから週1で来てくれるんですよ」と、まるで友人を紹介するように話す。隣ではユウスケさんが中華麺と平麺の2種類を手に持ち、「平麺がひとつ残ってる、どっちにする?」と客に視線を送っている。
「民族中華」オリジナルTシャツのプリントを担当しているというその客は「ユウスケとは東京渋谷で出会ったんですよ。見たことのない最高の中華を作ってくれるから、2人にしょっちゅう会いに来るんですけどね」と笑う。いつのまにか、子どもの頃の金縛り体験という他愛ない話題でゲラゲラと笑う盛り上がりに変わっている。

取材当日のランチメニュー「麻辣麺(マーラーメン・ジャスミンライス付き)」深みある辛さが程よく効き、香菜とゴマの香りも加わってたまらぬ美味しさ
次は、仕事明けの空きっ腹に飲んでベロベロに酔っぱらったという中国酒の話が出る。「これ、白酒(パイチュウ)って言うんです。中国ではお祝いの席でよく飲まれるんすよ」と言いながら、ユウスケさんが赤いガラスのお猪口に4杯分注いでいる。

あたふたして写真を撮ろうとすると「はいはい、そんなんいいから、かんぱーい!」と、全員でぐいっと呑みほす。「普段は全然飲まないんすけどね」とユウスケさんが笑う。
ランチタイムなのに、すでに夜と錯覚する、力の抜けた不思議な空気を感じた。
隣で営業する美容室のオーナーは、毎日この光景を見守り、こう分析する。
「彼らの魅力は、中華料理を介して人と人が交わる楽しい空間を創っていること。いっつもにぎわってるんですよ」
民族中華の料理と、いつのまにか同じ空間にいる人と話しているような、力が抜けた不思議な場所。2人はカウンター席を盛り上げて客の境界をもあいまいにしてしまう。彼らの現在地を体感したところで、2人の原点を辿ろう。
絶対に地元を出る。高知から大阪へ
ユーヤさんは、高知県南国市に生まれた。3歳上の姉は頭脳明晰で、海外留学してそのまま就職するような優等生タイプ。一方、ユーヤさんは勉強が嫌いで、姉に対しても心のなかで反発し、コンプレックスのようなものを抱いていたという。
ファッションが好きで、高校卒業後は服飾系の専門学校に進学するも勉強に身が入らず、その日の気分を優先して「気持ちいい日」というだけで海に行ってズル休み。アパレルのセレクトショップでアルバイトばかりする日々を送った。
専門学校を卒業してから香川のセレクトショップでも働くが、もう少し先端のファッションの世界を知りたいと思うようになり、24歳で大阪に出る。

一方、料理人のユウスケさんは高知県高知市出身。インテリア関係の仕事をする父と手芸講師の母の間に生まれた。「いつ帰っても実家がおしゃれなんですよ、ファッションが好きなのは両親の影響です」と笑う。
物心がついたときから「みんなと同じことして何になるん?」という思考で、勉強もやる気がなかった。夢も、やりたいことも、特になかった。でも「いつか海外に行きたい」と漠然と思い、高校で進路を考えたとき「直感で料理と思ったんです」と卒業間際の2月に決めた。
料理の経験は、家庭科の調理実習程度。「おかんが作るメシがめっちゃ旨かったんで」と、家では包丁にさわったことすらなかった。
英語の先生から「クラムチャウダーになにが入ってるか知ってるか?」と聞かれるが、クラムチャウダーそのものを知らなかった。「そんなんで料理人できんのか?」と呆れられ、さすがのユウスケさんも不安になったという。「なんで料理にしたんやろって、ボクもあの頃の自分に聞きたいですね」とマジメな顔で話す。

当時は閉塞感のような生きづらさを感じていたこともあり、「絶対に高知を出る」と決めて大阪へ。調理師専門学校に入学すると、同級生たちとの温度感の違いに気づく。
「高校の調理科から調理師学校に来たとか、幼少期に片親やったから料理を担当していたとか、当たり前なんですけど包丁をちゃんと使える人たちばっかりで。逆に自分は大阪に出てきたいというだけやったんで、なにも気にしていなかったですね」
料理の専攻は「チャーハンが好きだったから」という理由で、日本、西洋、中華のなかから中華を選択。中華を選んだのは40人中3人となぜか人気はなかったが、人と同じことをしたくないユウスケさんは逆に「燃えた」という。さらにフランス料理のような盛り付けをする中華料理のスタイル「ヌーベルシノワ」を知り、そのかっこよさにも影響を受けた。
入学と同時に、百貨店の本格中華料理店でアルバイトもはじめる。授業にはなかなか身が入らなかったが、「いつか調理担当になりたい」と目標を据え、野菜切りなど包丁の使い方は厨房の現場で身につけた。2年後に卒業し、そのままアルバイト先に就職した。
「高知なまり」が2人をつなぐ
ユウスケさんは2008年に18歳で、ユーヤさんは2014年に24歳で大阪に出た。2人とも大阪に来た初日から遊びまくる。
「ボク、アメ村に行きまくった!でもめっちゃ迷った」(ユウスケさん)
「オレもなんばで迷子になって死にかけた、地獄(笑)。地図アプリ見ても全然わからん、オレどこおるん状態やった」(ユーヤさん)
「わかるわかる!出口違うだけで別世界やからな」(ユウスケさん)
都会の景色に興奮したのも束の間、2人とも1ヶ月ほどで高知が恋しくなる。毎日忙しなく、人も時間も過ぎていく。サボりたいときに海に行けない。大阪には刺激はあったが、気の置けない友人とバカ騒ぎするスローな時間が圧倒的に足りなかった。
「100億回くらいは、辞めようと思いました」(ユウスケさん)
「どこ見てもビル。振り向いても海がないし空が狭い。見渡しても山が見えない。衝撃でした」(ユーヤさん)
外に出たからこそわかる高知の良さ。地元に帰りたい気持ちを抑えながら、2人は大阪で踏ん張った。

(民族中華提供)
2015年のある日、ユーヤさんが働くセレクトショップにユウスケさんが友人と2人で来店する。
「こじゃんとえい!」(=土佐弁で「とてもいい」という意味)
ユウスケさんの声に、ユーヤさんは驚いた。
普段ユーヤさんは接客目的以外に、客に声をかけることはない。だが、懐かしいふるさとの言葉に誘われるように聞いていた。「高知の人ですか?」。
すると、住んでいた市は違ったが奇遇にも実家が近く、中学校も隣の学区で同い年と発覚。共通の友人もたくさんいてすぐに意気投合した。ファッションの好みをはじめ、同じことをしたくない、常に新しい刺激を求める気質も共通していた。その日から2人は、お互いの仕事が終わってから遊ぶようになる。
「2人とも仕事が終わってから本番。夜はユウスケの家に行くのが定番で、毎晩スケボーしたり、ゲームしたりしてました」(ユーヤさん)
2人は夜に全力で遊ぶために働いた。0時から明け方までが本来の自分で生きる時間。まるで高知でゆったり過ごした日々を取り戻すかのように、寝る間も惜しんで、くだらない話をたくさんして、共通の友人といっしょにバカ騒ぎした。

中国発祥の蒸留酒「白酒」。中国らしいパッケージ
28歳のとき、ユーヤさんは4年働いたアパレルのセレクトショップを辞め、よく通っていた飲食店の先輩に声をかけられて鉄板焼きの店で働くことにした。その先輩が鉄板で調理している様に憧れたからだ。
2年後には一人で焼き場とホールを任されるようになる。会社員で満席になったホールで、どういう順番で料理を準備し、提供するのか、スポーツやゲーム感覚でこなしていくことに面白さを覚えた。「ホールをうまくまわせるとアドレナリンが出るんです」
同じ頃ユウスケさんは東京出向を任命され、「このままダラダラ仕事をしてたらダメだ。東京に行ってなにか掴んでこよう」と上京する。だが、1年経たずに「一身上の都合で」辞め、高知に戻った。

器は、大阪、東京、長野、淡路島、神戸、タイ、香港で2人が出会ったものをピックアップ。販売もしている
ノープランで中国の辺境を旅した2ヶ月半
高知で過ごして2カ月。ユウスケさんは、中華料理を10年続けても熱意は湧いてこなかった。その理由はわからない。実家で映画『マーベル』をダラダラと見ながらふと気づく。海外に行きたいから、料理の道を選んだことを。
「中華を続けるんだったら、本場の中国を見ようと思って」
渡航費用がなかったので、神戸で3ヶ月、クレーン車を製造する工場の仕事をして100万円を貯めた。
そのまま神戸ー中国間を運行するフェリー・鑑真号で中国へ。ノープランだったこともあり、船のなかで検索して中国の現状を知ることになる。クレジットカードが使えない、Googleマップも使えない。旧Twitter、Instagramも無理。どうしよう……。不安なまま2泊3日で上海に到着。北上して反時計回りで中国を1周することにする。

中国で最も高級とされる発酵調味料「郫県(ピーシェン)豆板醤」の工場を訪ねたときの写真。四川省の成都市郫都(ピーシェン)区の特産とのこと。大きな壺が敷地いっぱいに並べられている(民族中華提供)
会話は、ジェスチャーとなんとか覚えている英単語で乗り切った。駅に掲示されている地図と感覚を頼りにまちを歩く。ホテルに帰るとWi-Fi環境が整っているから、町の特産物や郷土料理を調べて、面白そうだったら食べに行くの繰り返しだった。
四川省のある町では、百貨店の本格中華料理店でともに働いていた同僚の中国人の親がご飯屋さんを営んでいて、特別に厨房のなかに入らせてもらった。ひたすら切りものを手伝いながら、本場の食材や調味料の作り方を観察した。強烈に印象に残ったのが、ホイコーロー。葉ニンニクとゆでた皮つきの豚肉だけを使っていて、日本では定番のキャベツが入っていなかった。


ユウスケさんが中国を渡り歩いて出会った料理の数々(民族中華提供)
チベットとの境に位置する雲南省のまちには、虫を食する少数民族がいた。鍋料理の店に行くと、白菜などの具材は自分で取るセルフスタイルで、同じ列には食材としてイモムシが当たり前に並んでいた。食べてみると「噛むとパチっとした食感で中からミルキーなやつが出て来た」が、驚くような味ではなかったという。
他にもカエル、サルや豚の脳みそ、犬の肉ーー。日本で食用になっていないものは正直「気持ち悪い」と思いつつ、見たことのないものはすべて体験するのがユウスケさんの流儀。臭みのあるものは「ただオイリーで辛いだけのタレ」で臭いを消しているという事実一つひとつが発見だった。
「料理だけでなく、景色、暮らすひとたち、まちの匂い。見るものすべてが初めてで。毎日が刺激的で、居れるならずっと居たいくらいでした。日本の厨房では知り得ない、本場ならではの生きた文化に触れられたことがうれしかったですね」
再び大阪へ。イノベーティブな中華料理店で修業
2ヶ月半ののち帰国。再び大阪に出て中華料理店で働こうと決意する。だが、以前のようなオーソドックスな中華料理店ではなく、もうワンランク上の世界をみたいという気持ちが芽生えていた。
中国で刺激を受け、料理だけで生きていくというマインドになっていたユウスケさんが修行先として選んだのは、世界から評価される著名な中華シェフ主宰の大阪の名店。テレビ番組をきっかけに知った店で、中国料理の伝統技法に日本の旬の食材と創造性を掛け合わせた斬新なスタイルに惹かれた。この店での日々が、これまで培ってきた中華料理への概念を180度変えることになる。
まず、食材への向き合い方に衝撃を受けた。美味しい料理にするため、すべての食材を大切にする。
たとえば葉野菜は、ただビニールに入れるのではなく、ペーパーを水に濡らしてから1枚ずつ交互に挟む。そして冷蔵庫内のなるべく冷気が当たらない場所を見極めて保存する。タレは市販のものではなく、すべてイチから作る。”作業”ではなかった。食材の保存から盛り付けまで、全工程に”思い”を料理に乗せていたという。

「料理への姿勢や考え方がガラッと変わりました。この現場で働いたことで食材からしっかり向き合うスタイルになりましたね」
朝から晩まで、ほぼ休みなく働いた。体はキツかったが楽しかった。1年働いたのち、「ビールをサーバーで入れてみたい」と思い、居酒屋のアルバイトに転身する。
民族中華、始動
一方ユーヤさんは、鉄板焼きの店のほか立ち飲み屋で働くかたわら、オリジナルアパレルブランド「NEIKNEIA」を立ち上げたり、アパレルショップのモデルを担当したりと、ファッション関連でも精力的に活動していた。
ユーヤさんとユウスケさんは、離れている間もずっと連絡を取り合い、いつか2人でなにか面白いことをしたいと考えていた。それが何かはわからなかったが、ある時、2人がよく行っていた飲食店「太陽の村」のオーナーからこんな声を掛けられる。
「うちで単発イベントをやらないか?」
やるなら誰もやっていないことをやりたいというのは、暗黙の共通認識。2人でイベントの構想を練った。
ユウスケさんが旅先で口にしてきた中国辺境の民族料理は、大阪ではあまり見たことがない。ならば、それをベースにした創作料理を、ビジュアル良く盛りつけよう。
メニュー構成はどうする? 3品だと自分たちらしさ、良さは絶対に出せない。せめて8品はいるのでは?
イベント名はどんな料理かわかりやすいシンプルなものにしようと、「民族中華」に決めた。
もともとファッション畑のユーヤさんと、中華一筋のユウスケさん。メニューやデザインのアイデアを出し合えば、2人の異なる発想と感覚が重なり合い、テンポ良く決まっていった。

vo.1のフライヤー(民族中華提供)
2021年12月12日、いよいよ「民族中華Vol.1」が始動。初回は30人ほどの集客だったが、Instagramで発信すると、知り合いの飲食店オーナーから次々に「うちでもやってよ」と声がかかった。月に一度の開催で、すぐに5ヶ月先まで予定が埋まった。
2、3回目も100人近くの集客があり、4回目からは8〜15人がキャパシティの店に150〜160人が集まった。売り上げは、6時間で80万円。以降、開催するイベントはいつも満員御礼の大盛況になった。
「行列ができてキャパオーバー。途中で電話予約対応して、テンパってることもありました(笑)」(ユーヤさん)
「休む間もなくひたすら鍋を振り続けて、脱水症状になりかけたくらいキツかったなあ」(ユウスケさん)
あとは冒頭で記した通りである。

「自分たちらしい中華料理を提供しているというだけで、魅せ方については”中華”で縛りたくはなかったんです。もっとくずしたい。それがオレたちのスタイルだから。フライヤーは自分が好きなヨーロッパのパッケージデザインをオマージュして遊んでます。そもそもデザインはやったことがないし、知識もない。だから成功とか失敗とかないんです」

ここから、取材当日のディナータイムメニューを紹介しよう。

季節の春巻。取材日の具材は、サンマ、柿、大葉。カリっとかじる。パリパリの皮のなかに旬が三位一体になって、そこにマイルドなペコリーナチーズが溶けていく。「口福」を実感。

カルダモンやシナモンなどが入ったオリジナルのスパイス焼酎(民族中華提供)
料理と民族中華オリジナル配合のスパイス焼酎が抜群に合う。香りが鼻を抜けて「んー!」と、自然に声がこぼれる。

続いて、ビーフジャーキー トマトハーブ和え。「コンビニだと500円もするから」と、牛肉を醤油とオリジナル配合のスパイスに漬けて1日乾燥させた自家製を、湯むきトマト、柿、パクチー、ミント、フライドガーリックソースで和えた1品。見た目に華やかで香り高い。
ひと口頬張ると、じゅわっ、カリッコリッ、といろいろな食感が混ざり合う。そして、酸味、甘み、さわやかさ、芳醇さが時間差で追いかけてくる。初めて味わう美味しさに、隣に座る客に「これ、ヤバいですよ…」とつい話しかけてしまう。

カオヤムガイ トー(揚げ鶏のナンプラー和え)。揚げ鶏がカリッカリ!


メニュー名は「エビ スパイスフリット」。まさかこんな真っ赤なビジュアルで出てくるとは誰も思わない。唐辛子が香り高い、この日いちばん大きな声をあげた1品

香港ソーセージとジャスミンライスの炊き込みごはん。ソーセージの旨みとスパイスとの協奏にうならされた
器も含めた料理の華やかさにうっとり眺めてしまう。口に入れると、多彩でエネルギッシュな味わいに、おおげさな表現になってしまうのだが、踊り出したくなるほどなのだ。
中華料理というよりも、「民族中華」が提案する食の旅に出ていた。すべてが初めて体験するものばかりで、2人の遊び心にずっと夢中になっていた。
「グルーヴ」が生み出した、新しい「民族」の意味
「民族中華」は、ただ料理を提供する場ではない。イベントをやるたびに毎回人が集まって盛り上がり、そこにグルーヴが生まれる。
「この空間で、ここに共存してるのがひとつの民族っていう形なんだなと思うようになりました。店に来てくれる人たちが、 1 歩入って 1 歩退出するまでを心から楽しんでもらえる空間を提供したい」(ユーヤさん)
みんなのグルーヴがひとつの民族である、というミーニングは後付けだとユーヤさんは笑い、ユウスケさんは隣でヒゲをさわりながら頷いている。「お客さん同士の距離が縮まって、そのまま2軒目に行くことが結構な頻度であるんです」と嬉しそうで、2人にとって人をつなげることがやりがいになっていることが伝わってくる。

ユーヤさんに次の構想は?と聞くと、迷いのない答えが返ってきた。
「全部イチから作り上げるオリジナル店をやりたいですね。物件さえ見つかればすぐに引っ越します。単なる中華料理店じゃなくて、衣食住すべてをやりたい。オレたち飽き性だから、きっと中華料理だけだと面白くなくなってしまうから」
どんな場を作り、仕掛けるのか。民族中華のすべてのファンが心待ちにしているだろう。きっと想像の斜め上のクールな空間になるにちがいない。

最後に、お互いがどんな存在なのか、質問してみた。間髪入れずにユウスケさんが答える。
「家族です。全部話せる関係性やし、ひとりじゃ絶対にできない」
高知から出て、偶然大阪で出会った2人。外に出たことで高知の良さを実感し、再び2人は高知とつながった。料理には高知の食材も積極的に使用しているという。2人は大阪を拠点に活動を続けるが、「高知に帰りたいから、高知のイベントには定期的に出店する」と、故郷への素直な思いも語ってくれた。
インタビューが終わり、筆者はそのまま友人を誘って彼らの料理と空間を楽しんだ。12時から21時まで、実に9時間を民族中華で過ごしたことになる。初めての場所で、初めて顔を合わせた人たちと、初めて食べる料理とお酒とともに他愛のない会話を楽しんだ。
会計のとき、筆者は自然にユーヤさんがデザインしたオリジナルTシャツを手にしていた。
「やった!これでオレたち一緒の民族っすね!」

ディナータイムスタート直後、2度目の「かんぱーい!」

執筆
野内菜々
兵庫県在住ライター。 ジャンルレスで地域のヒト・モノ・コトの魅力を掘り下げるべく、取材・インタビューライターとして活動中。「聞くこと、書くこと」を通じて「誰もが自然体で笑顔で過ごせる世界」を目指す。自然に寄り添う暮らしが好きで、気がつけば草花木、生き物を観察する日々。プライベートは二児の母。きなこが好き。

編集、稀人ハンタースクール主催
川内イオ
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、イベントなどを行う。







