餃子を包む瞬間、人はその作業に夢中になり、無心になる。それはつまり、煩悩を手放し、心を空にできる時間なのかもしれない。では、煩悩の数だけ餃子を包んだら、煩悩を捨てられるのだろうか?
108個の餃子を包むのは、ミュージシャンであり俳優としても活躍する古舘佑太郎さん。若くしてメジャーデビューを果たし、バンドの解散を二度経験。酸いも甘いも味わってきた彼が、餃子を包みながら抱いた思いとは? 最中の心境を綴ってもらった。

古舘佑太郎
東京都出身。ミュージシャン。「The SALOVERS」でデビュー。同バンドの無期限活動休止後、新たに「THE 2」を結成するも、2024年に解散。俳優としては、映画『日々ロック』、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』、映画『ナラタージュ』、NHK大河ドラマ『光る君へ』などに出演。主演映画に『いちごの唄』『アイムクレイジー』などがある。2025年3月には初の著書「カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記」を幻冬舎から出版。
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小皿に張った水で指先を湿らせ、まあるいフチをそっとなぞる。適量の餡をスプーンで掬い出し、中央より少し左にずらして盛り付ける。コツは餡を押し込むようにして包むこと。そうすることで、餡の「多すぎ・少なすぎ」を手先で微調整できる。片側にひだがつくようリズミカルに折り重ねていけば、餃子1個の完成だ。

今朝から何も食べていないので腹が鳴った。さて、2個目に取り掛かるか。残りは、107個。え……? 今日、108個も餃子を包むの?!
「大晦日のお坊さんじゃないんだから!」と、すがるようにスタッフの顔を見た。どうやら誰も手伝ってくれないらしい。ヤラセなしのガチ企画。腹ペコの僕は、煩悩の数だけ餃子を包むこととなった。その名も「煩悩餃子」。

さすがに100個以上も包んだことはない。1個あたりのペースから換算すると、少なくとも1時間以上はかかるだろう。最初は黙々と手を動かしていたが、次第に脳みそが考え事を始めた。僕の思考は、少しずつ「餃子」から「煩悩」へとスライドしていった。
お釈迦様は、108種類ある煩悩の中で、とりわけ人間を苦しめるのが三毒「貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」だと説いた。
「貧」とは、物欲や金銭欲、名声欲といった人間の貪る心。自分だけが他者よりもいい思いをしたいという強欲さも含まれる。まさに、若かりし頃の僕じゃないか……!

ハタチでメジャーデビューをしてからの20代は、「売れたい! 有名になりたい! 他のミュージシャンに負けたくない!」そんなことばかり考えていたように思う。
初めてギターに触れたのは思春期真っ只中の15歳。初恋の女の子とお別れして、僕はとても打ちひしがれていた。そんな時に音楽が救いとなり、ギターをかき鳴らせばあの子に想いが届くはず、なんて青臭いことを本気で信じていた。
仕事になるにつれそんなピュアな気持ちは汚れていき、セールスばかりに目がいくようになった。30代を迎えた頃には、自分が何のために、誰のために音楽をしているのかさっぱり思い出せなくなっていた。32歳でバンドが解散し、バンドマンとしての道を諦めることに。
そう決断したとき、肩の荷が下りたように感じた。大好きだったバンドなのに、手放してホッとしてしまったのだ。膨れ上がった欲望から、ようやく解放されたのだろう。今の僕なら冷静にそんな分析もできるが、当時はがむしゃらで気づけなかった。僕は、まさしく三毒の「貧」に侵されていたんだな。しんどかったなぁ……。

おっと、皮が破れちまった。失敗だ、不恰好な餃子ができてしまった。不意に過去と対峙して動揺してしまったのだろうか。もう少し手先に集中しよう。40個でちょうどプレートがいっぱいになったので、新しいのを用意して41個目を包み始めた。思考は「煩悩」から「餃子」へと戻っていった。
にしても、餃子ってみんな好きだよなぁ。群雄割拠の包み業界。肉まん、シュウマイ、小籠包、春巻き。あらゆるライバルたちがしのぎを削るなか、一番人気なんじゃないだろうか。
家庭餃子はもちろんのこと、餃子専門のチェーン店が多く存在し、庶民から愛されている。各地にご当地餃子も生まれ、B級グルメの側面でも盛り上がりを見せている。かと思えば、元来の姿である中華料理のメニューとして高級中華レストランの円卓にも並ぶ。さらには、ラーメンに小判鮫の如くくっついて、全国のラーメン店でも幅を利かせている。餃子は実質的に包み業界のトップランカーと言えよう。

次に人気なのは、肉まんだろうか? コンビニレジ横の定番として長らく君臨している。真冬の塾帰り、バス停近くのコンビニでよく買い食いした思い出がある。豚まん、カレーまん、ピザまん、あんまん。レパートリー豊かで親しみやすい食べ物だ。それに、関西には「551」という有名店があって、大阪土産といえば「551」の肉まんだ。
3位は、シュウマイだな。なんていったって旅のお供といえば「崎陽軒」のシウマイ弁当。横浜が誇る大手シウマイメーカーだ。僕なんか新幹線移動のときは、シウマイ弁当を買うためだけにわざわざ遠回りして新横浜駅から乗車していた。数年前に、品川駅でも販売していることを知ったときには愕然とした。
4位は、小籠包か。あるときから一気にブームに火がついた気がする。街で行列店を見かけることも。「アツアツの肉汁が飛び出すのでヤケドに注意」なんていう日本人がいかにも好きそうなスリル要素もあってか、テレビでよく特集が組まれるほどだ。

最後は、春巻き……。よく考えたら、春巻きってとても可哀想じゃないか? 有名な春巻き専門店の名前がパッと出てこない。「今夜は春巻き食いに行こうぜ!」って誘われたことがない。「春巻き弁当」ってあったっけ。春巻きについて改めて考えさせられる。
弁当に入ってることはあるけど、他のおかずと共に主役を支えているイメージ。ビュッフェでは、唐揚げとかと一緒に茶色い揚げ物コーナーに押しやられて、子供は好きだけど大人はがっつかない。
それに、タイ料理で「生春巻き」ってのがあるじゃないか。これがまたポップな見た目をしてて野菜も入ってヘルシーでスパイシーだから、いかにも女性ウケがいい。春巻きより生春巻きの方が人気なんじゃないの?
ジャンルも味も全然違う食べ物なのに、名前だけ勝手に拝借されるなんて酷いもんだ。僕個人の偏った意見であることは百も承知で、やっぱりなんか春巻きって不憫。なんだか、放って置けない存在だ。

もしかしたら、僕は春巻きを自分と重ねているのかもしれない。同世代のミュージシャンたちがどんどん売れて行っちゃって、なんだか自分だけ取り残されてるような気がしていた。なかには、「古舘さんに影響されて音楽を始めました」なんて慕ってくれる後輩が、あっという間に僕を追い越して売れていったこともあった。そうか、僕は春巻きなんだ。僕は、餃子になりたかった春巻きなんだ……。
三毒の2つ目を思い出した。「瞋」とは、怒ったり、恨んだりしてしまうこと。ネガティブな心だ。若い頃の僕は、不甲斐ない自分を許せなかったり見損なったりしていた。ときには自暴自棄になり、人のせいや時代のせいにしたこともあったっけ。
一方で、春巻きはどうだろうか。彼らは、自分だけ有名専門店がないこと、弁当で主役を張れないこと、生春巻きに名前を使われていること、そんなことに腹を立てたりしていない。いつだってパリッと茶褐色にこんがり揚がっていて、かじると中から筍や肉の旨みがじわっと口内に広がる。

決して派手ではないけど、職人のようなかっこよさがある。春巻きは、春巻きとしての仕事をひたむきに全うしているようだ。No.1のスターにはなれないかもしれないが、逆に春巻きが大嫌いな人もあまりいない気もしてきた。それに熱々でも美味いし、冷えても美味い。冷めた餃子、肉まん、小籠包が果たして美味しいだろうか? アッツアツの生春巻きなんて食えたもんじゃない!
僕は春巻きに同情していたけど、それは間違いだ。むしろあの頃の僕は、春巻きの生き方を見習うべきだったんだ。盛者必衰、いいときも悪いときも、他者を羨むことをせず、自分を責めたりせず、やるべきことを全うするべきだったんだ……!
あれ、また思考が変なところに潜っていたぞ。我に返ると、手元には108個の餃子が並んでいた。ようやく煩悩の数だけ餃子を包み終わったのだ。

しかし、まだ終わりではないのが「煩悩餃子」の恐ろしいところ。ここからが本番とも言えよう、大事な「焼き」の工程へと移った。
正直、僕は「焼き」が苦手だ。包むのは手際よくこなせるが、焼きとなった途端、持ち前のせっかちで雑な性格が顔を出す。いくら綺麗に包めても、最後に焦がしたり皮が剥がれたりして台無しにしてきた。しかも、今日はキッチンスタジオにあるフライパン。普段使うのとは全然違う仕様だ。

恐る恐る油を引いて、フライパンに均一に餃子を並べる。まず弱火で表面に焼き目をつける。いい色になってきたら、片栗粉を混ぜた水を投入。蓋をして蒸す。水分が少なくなってきたら、蓋を開ける。そこからは中火にして水が蒸発し切ったら油をひと回し、仕上げに少し焼きつける。火を止めて皿をフライパンに被せ、慎重にひっくり返したら完成。合計5回に及んで焼き上げた。

写真を見てもらったら一目瞭然だろう。焼き色、羽具合、油の切れ、パリッと感、一度として同じ仕上がりの物は存在しなかった。
それもそのはず。1回焼くごとに僕は改善点を見つけ、修正していった。水の量を少なくしてみたり、3回目以降は水を入れてから中火ではなくて強火にしてみたりした。そうすることで少しずつ上手に焼けるようになっていった。普段は餃子の数も少ないので、連続して何度も焼かないが、今日は繰り返しフライパンと向き合ったことで、苦手な「焼き」への理解が深まったのだろう。
またもや昔のことを思い出す。若くしてデビューした僕は、先輩ミュージシャンに囲まれていつも焦ってばかりいた。知識と経験に乏しく、当時は背伸びをするしかなかったが、あれは三毒の3つ目「痴」だった。
「痴」とは、間違った考え方に固執すること。つまり、知識の乏しさや無知の心。そう考えると今の僕は、目の前の出来事に柔軟に向き合う力を少しは身につけたのかもしれない。なぜなら、最初の餃子の焼き方にこだわるのではなく、何度でもやり方を変えて挑戦できたのだから。

もちろん、後半の餃子の方がクオリティは高かった。でも僕は序盤のヨレヨレ餃子も味わって食べた。なぜなら、若かりし日の失敗や後悔、苦しみも、今の僕を構築する大事な経験と学びだったんだ、と気づいたからだ。お釈迦様、ありがとう。ようやく三毒すべてを理解したよ。
お腹がはち切れそうなほど餃子を平らげ、ソファに座った。胃袋のみならず、心も満たされていた。僕は数時間かけて過去の自分と対峙し解脱したのだ。
108個の餃子を包み、焼いて、食した「煩悩餃子」。結論、やっぱり煩悩には酢醤油が一番合うな。
