ハンガーラックには、服へのこだわりと思い出が詰まっている。もしそれがファッションに携わる人のものなら、いっそう特別だろう。服を好きになったきっかけだったり、制作のインスピレーションになったり。そんなアイテムがひしめいていると考えると、”頭の中”といってもいいかもしれない。
「ハンガーラックの前に立つと、自分の“好き”を見つめ直せます」。と語るのは山口眞一郎さん。複数のブランドの立ち上げに携わる傍らで、2025年には家業である老舗料亭「山口楼」を継ぎ、二足の草鞋で活躍している。
曾祖父が住んでいた趣ある日本建築に一人で暮らし、膨大な量の服やアートに囲まれる。そんな山口さんの“頭の中”に迫った。

山口眞一郎
1997年生まれ。料亭・山口楼6代目若旦那、さまざまなファッションブランドのPRセールス、クリエイティブチーム「LANCE」ファウンダー。学習院大学在学時にファッションの仕事をスタート。若手デザイナーを中心に多くのブランドを発掘し、メディアやアーティストへの衣装提供などを幅広く手がける。2025年3月に茨城県水戸市に移住し、老舗料亭「山口楼」の若旦那に。東京と水戸を行き来しながら、料亭とファッションの仕事を両立。山口楼では、日本文化とクリエイティブカルチャーを融合させたイベントなども企画している。
HP:yamaguchirou.com
Instagram:@made97shin
自宅は書院造。料亭の息子が二足の草鞋を履くまで
――今日はお招きいただきありがとうございます。ご自宅の広さはもちろん、立派な床の間にも驚きました。
山口:銀閣寺と同じ“書院造”という建築なんです。元々は曽祖父の家で、正月にはここで親族全員でおせちを囲んでいたんですよ。僕にとってずっと憧れの場所でした。今年、東京からここに引っ越すことになった時は嬉しかったですね。


曽祖父が住んでいた頃に撮られた山口さん宅の写真。
――山口さんはファッションブランドのPRセールスやクリエイティブチーム「LANCE」の代表、料亭「山口楼」6代目の若旦那など、幅広い肩書きがあります。改めて来歴を教えてください。
代々続く老舗料亭の長男に生まれましたが、幼い頃から僕の興味の対象はファッションや音楽、アートなどのカルチャーでした。服を好きになった原体験は中学生の時。父親が持っていたステューシーのシャツをこっそり着たら街で大人が「カッコいいじゃん」と褒めてくれたことですね。
大学時代に上京してから、とあるブランドの直営店で働きはじめました。僕にとっては学校の友達より、“外の世界”であるファッション業界の方が魅力的に思えたので、3年生の頃に大学を中退して。フリーランスのPRと営業をやりながら、時には繋がりのあったデザイナーとストリートブランドの立ち上げにも携わりました。2021年には「LANCE」を創設し、立ち上げて間もないような“文脈”の中にないブランドの発掘やPRするように。最近はクリエイティブチームとして、ファッションやアート、音楽などを横断するイベントも企画していますね。
僕の今の活動を大まかにいうと、ファッションを主軸に、人と人が繋がる場を作ったり、クリエーションのアイデアを提供したり、販売を促進しているイメージです。

棚の上にはレコードプレイヤーや巨大なフィギュアが鎮座。
――ファッション業界で活躍する中、料亭を継ぐ選択をしたのはなぜですか?
実は大学を辞めるときから親に「28歳になったら継ぐ」と伝えていたんです。“27クラブ(カート・コバーンなど、27歳で亡くなった歴史的ミュージシャンのこと)”という言葉があるように、表現に携わる多くの人にとっては27歳がケジメをつける年齢の目安で。それに、料亭を継ぐなら、30歳を超えてから勉強するのでは遅いかもしれないと思っていたんです。26歳ぐらいから茨城でも活動ができるよう、ファッション業界の仕事相手と、顔が直接見えなくても安心してもらえる関係づくりに奔走していました。

――料亭一本ではなく、ファッション業界での仕事も続けるのは大胆な決断に思えます。
ファッションは僕にとっての軸ですから。それに、相乗効果もあるんです。料亭って旬の料理を提供するだけでなく、器や建築、着物、部屋に飾る花、掛け軸まで、全てでお客様をもてなすんです。それはある意味、ファッションにおけるオートクチュールであり、僕が以前セレクトショップでやっていた売り場作りともリンクする。もっと言えば、おもてなしに欠かせない“粋”の概念はどのジャンルにも存在しているんです。手段は違っても、追い求めているものは近いのかもしれません。

掛け軸の下にはテディベア型フィギュア・BE@RBRICKが。「よく見ると和柄なので、意外と和室と相性がいいです」。
東京と茨城。それぞれで体験する服好きの暮らし
――ここからは部屋の話も聞かせてください。東京に住んでいた頃はどのような家に住まれていましたか?
足の踏み場がありませんでした(笑)。服とスニーカーと本が部屋のほとんどを占めていて、あとはベッドだけ。最後の2年間は人脈作りのために色々なイベントに顔を出したり、飲みに行ったりしていたので、その時は寝に帰るような使い方でした。でも、手の届く範囲に好きなものがある状態は心地が良かったですね。

居間の一角にはフィギュアやアートがずらり。「もともとのインテリアのアクセントになるようなものを選んでいます」
――東京ならではの部屋の魅力も感じていた?
茨城に戻ってきて、より感じますね。東京だとスペースが限られているからこそ、何をどう置こうか工夫するじゃないですか。厳選した好きなものに囲まれることで、密度の高い刺激を受けられるなと。
――茨城の家に引っ越してからはどうですか?
広すぎて一人だと身に余ります(笑)。ただ、茨城での生活はゆったりしているし、人と程よく距離を置けるから、クリエイティブにも没頭しやすい。それと、仕事でもプラベートでも、誰かと会う機会が東京より貴重になりますね。「今日はこのことを話そう」などと事前にまとめたりして、お互いに有意義な時間を過ごす工夫をするようになりました。
アイデンティティであり、資料が並ぶ図書館。服好き憧れの部屋
――現在の家ではひと部屋をまるごとウォークインクローゼットのように使われています。この空間は山口さんにとってどのような存在ですか?
2つの見方ができると思います。1つは自分のアイデンティティともいえる服が並ぶ“脳内”のような場所。もう1つは、インスピレーション源を集めた“図書館”のような場所ですね。

――ハンガーラックはどのようにクリエーションに役立っていますか?
この空間にいると、年々変化していく自分の好みやセンスに敏感になれます。“好き”を見つめ直せるんですよね。今携わっているブランドには「こんな服があったら嬉しい」と消費者目線での意見も伝えているので、仕事にも直結しています。
――インスピレーションを得るために、収納方法などで工夫していることはありますか?
見せる部分は分かりやすく整理して、それ以外は潔く隠すことですね。デスクワークにおける書類と同じだなと。例えば白Tシャツ、黒Tシャツ、シャツ、ジャケット、それ以外の春夏シーズン、秋冬シーズンなどとラックごとに分けています。逆に、パンツは何本もはき回すタイプではないので、全て畳んで目立たないようにしまっていますね。

――整理をする上で大事なことはなんですか?
結局は自己満足ですね(笑)。目的の服をスムーズに探せるかも大事ですが、それよりも見ていて気分が高まるかを重視したいです。「こんな時にこんなTシャツを買ったな」と思い出せる時間が、服好きにとってはかけがえないじゃないですか。
ハンガーラックに物語あり。山口さんの憧れと思い出が詰まったコレクション
――山口さんのコレクションを見せてください。

まずはNBAプレイヤーのコービー・ブライアントの引退記念に、ラッパーのカニエ・ウェストが手がけたロンT。黄色と紫を基調とした“レイカーズカラー”や「OFF-WHITE」も多用していた“オールドイングリッシュ”というフォントのロゴがカッコいいです。2020年のある日に僕がこのロンTを着ていたら、コービーの訃報が入ってきたんですよ。そんな運命的な思い出も含めて、大切な一着です。

僕がPRを担当しているブランド「FRIGG」の一着。ヴィンテージのバンドTシャツをオーバーサイズにリメイクしたシリーズです。これはアメリカの伝説的なロックバンド・Guns N' Rosesの来日公演のタイミングでデザイナーと作りました。

「MISTERGENTLEMAN」のチェスターコート。かなり思い切ったオーバーサイズなんです。僕みたいに大柄だと自分の体型に合うアウターを見つけるのが難しいので、この一着は重宝します。このブランドのデザイナーであるオオスミタケシさんは僕よりも恰幅がいいのですが、体型の要素から逸脱したところでクリエーションをしているんですよ。ストリートとモード両方の世界に影響を与えながら、ラッパーとして活躍していた。その縦横無尽さにはいつも痺れましたし、2021年に訃報を聞いたときは本当に残念でした。

このTシャツは24歳の誕生日に自作しました。行方不明者を探すポスターが元ネタで、ラッパーのKOHH(現・千葉雄喜)がツアーグッズとしてデザインしたものを、さらにオマージュしていて。僕の幼少期の写真を使ったり、“年齢”や““髪の色”目の色”などの要素をち書き換えたり、ダメージ加工を施したり、細かいところまでこだわったんですよ。なぜか都内のセレクトショップや古着屋で何枚か流通したこともあるそうです(笑)。

「UT×KAWS×セサミストリート」のぬいぐるみと、シュプリームのスツール。ストリート好きなら定番のアイテムですね。スツールはおそらく日本の雑貨ブランド「Rotary Hero」のオマージュかなと。初めは「和室にシュプリームって合うのかな?」と思ったのですが、置いてみたら意外とマッチしました。

バンダナやスニーカー、サングラスも無数に持っているのですが、全部コンテナに収納しています。これでも引越しの時に苦渋の決断で断捨離したんですよ(笑)。
古着は買わない。ハンガーラックに現れる服選びの矜持
――山口さんのハンガーラックにはモードからストリートまで幅広い影響を感じます。特にどのようなファッションに影響を受けましたか?
1990年代後半から2000年代にかけての“裏原”と呼ばれるストリートカルチャーですね。藤原ヒロシやNIGOなどのいわゆるレジェンドや、その後にオオスミさんも活躍したあの時代は、リアルタイムで体験してないからこそ憧れます。

――当時の服を古着で購入することはありますか?
ほとんどないですね。僕らのようなファッション業界の人間は、今作られた服にお金をかけるべきだという持論があるんです。もちろん古着にも魅力はありますけど、それだけだと“未来のアーカイブ”が減る一方じゃないですか。だからこそ、新しいブランドの展示会は積極的に足を運びますね。ただ服を買いたいのでなく、作り手を応援したいんです。
――その考え方は、山口さんのクリエーションにも活かされていますか?
そうですね。古着風なデザインのブランドも増えてきていますが、僕らはデザイナーと一緒に“未来のアーカイブ”を作りたいです。

ダメージは歴史。服と部屋に共通する、時間の愛し方
――「希少な服だから大切に飾る」などをせず、ある種平等に服を並べているのも気になりました。
もちろん最低限のケアはしますが、基本的に汚れてなんぼだと思っていて。もしそれが白シャツであっても、神経質になることはないですね。デニムのように、ダメージが味になっていくと思うんです。その汚れが、そのまま自分の歴史になる。ちょっと話は逸れますけど、僕は服を売らないんです。手放す時は血の涙を流しながら、大切にしてくれそうな友達にあげている。それは「自分の歴史は他人に価値をつけられるものではない」という考えに基づいているんです。
――歴史についての考え方は、この家に対しても同じことが言えそうですね。
そうですね。山口家の歴史が染み付いていますから。僕もこれから長い年月をかけて、服と一緒に自分らしい家を作っていく。ゴールはなくて、ずっと発展途上の空間として模索し続けると思います。それってワクワクしますよね。
